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グローバリズムにおける日本の扱われ方

グローバリズムとは、単一の規格によって生命を管理する手法である。
という観点で考察します。
単一の規格が及ぶ範囲は、個体としての生命だけでなく、民族や共同体などの特質も含みます。
すなわち、あらゆるものが、交換可能になるということです。
その前提として、世界でひとつしかない存在の否定があります。
交換の媒体としての通貨の統一が現在進行中です。

グローバリズムにおける日本と呼ばれている領域は、あらゆるものを交換可能にす
るための根拠となっています。

土地の私有権のように、個体としての生命を取引市場に出品するための規格が確立されたのは奴隷制の発明に遡ります。

奴隷と呼ばれる役割は、存在の根拠を金銭と引き換えに労働に転換する機能です。
存在の根拠は生命の還るところでもあり、還るところを失った者が奴隷です。

日本は生命の還るところがずっと変わらず保持されていました。
グローバリストが最も憎悪するのは、生命の再生です。

生命は還るところから、エネルギーを得て再生します。

では再生とは、輪廻転生のことでしょうか?
否、そうではなく、絶えず再生し続ける不老不死のことです。

そして、その生命の還るところが、特定の集団的特質を形成するとき、民族もしくは種族という形態を取ります。
その文化的な洗練度は、霊性の進化に対応しています。
血統とは異なるネットワークを構築していくことになります。

アダムとイヴが楽園を追放され、死すべき肉体に労働を課されるようになった時点で、人類は奴隷となりました。

テクノロジーの発達した現代において、労働は、肉体から頭脳に比重が置かれるようになりましたが、霊性とは関係なく、労働であることは同じです。

肉体は消滅へ向かって一直線に進みます。
新たな生命が増えるとき、これまでの生命が再生される器が託されます。
その伝達経路を保持するのは、日本においてケルビムの役割を担う家系として、戦前は、わりとありふれたこととしてありましたが、現代においては、絶滅危惧種になってしまいました。

グローバリストがなぜ生命の再生を憎悪するのかというと、彼らは、楽園を追放され、後戻りできない世界で優位性を獲得しているので、それができる存在を認めると、彼らの優位性は無効となるからです。

そこで彼らは、生命の再生が当たり前であった日本で、それが不可能なだけでなく、愚昧な迷妄であるという刷り込みを徹底し、存在の根拠を消滅させることが善いこととする仮想現実世界にリアリティを見出すような精神的侵略を実施し、スパイ教育を施した移民を投入し、文化的混沌状態を造成し、かなりの成果を得ました。

グローバリストは、彼ら自身が直接手を下すことはせず、近隣同士を憎悪させ、潰し合いをさせる手法を常に取ります。

同胞が共食いする蠱毒の壺を運営するスキームが、新自由主義です。
共食いしているという自覚なく、最終的に勝者となったとき、檻に閉じ込められて取り残されている自己を発見します。
その自己の内側から、呑み込まれていった同胞を認識し、自己の存在の根拠を破壊し尽くしたということがわかります。
それは決して取り返しのつかないことを、喜んでさせられてきたという真実をつきつけられることです。
深い悲しみだけが延々と続き、何も起こりません。



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