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「正しさ」や「普通」に正解を求める必要があるのか

映画「生欲」を観てきました。

好きな作家さんの一人である朝井リョウさんが書かれた作品。
初めて本を読んだ時、ページをめくる手が止まらず一気に読んでしまった。

読み終わった後のなんとも表現出来ない気持ちが、あの本を読んだ感想で正解な気がして、この作品好きだなあ…と思った。

正直、あの本を映画にするなんて本当に出来るの?と思っていたけど、まず言わせてください。

原作の温度感をそのまま映画にしてくれてありがとうございます(涙)

本の内容を表すのに適切な表現では無いのかもしれないけど、「正欲」は重くて生温い感じがする作品だなと思う。

何が正解とか誰が正解とか無いことが、登場人物の固定観念や社会の“普通”に除外されてしまう。

多様性という言葉が広まって、多様性を認めようとしていく動きを見せる世の中だけど、それってものすごく視野の狭い行為なんじゃ無いかと思う。

そもそもどうすれば多様性が完全に認められたと認定できるのだろう。
今、テレビやネットで取り上げられる多様性はセクシュアリティの問題だけじゃない。

「正欲」はそれを気づかせてくれた作品。

親とか友達も含めて自分以外の人間は皆んな他人で、他人を理解しようとするなんて傲慢な行為だと思ってしまうし、自己満足のひとつだなと私はどうしても思ってしまう。

もしかしたら本当に観る必要がある人の元には届かない作品なのかも知れないけど、世の中の“普通”に違和感がある人には薦めたい作品です。

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