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ひとりからふたり。

私はひとりの時間が好きで、カフェでゆっくり珈琲飲みながら好きなことをすることや黙々と料理をする時間、散歩、ランチ、読書、片付けなど自分のペースで誰に何を言われるでもなく気の向くままに動けることがうれしい。

夜ごはんをひとりでお家で食べるとき、そういえば無音で食べること最近してないことに気づく。YouTubeでお気に入りの方の話を聞いたり、笑える動画を視聴したりして、画面越しのあのひとの顔や声、話を聞きながら笑いながらご飯を食べる。その姿を誰に見られる訳でもなく、1人だから出来ることでもあるけれど、そうすることで、同じ場所に聞き役としている感覚になるのだ。

子供の頃勉強する時は、テレビがついて少し声が聞こえる方が集中できたし、今も作業するときは静すぎるカフェより、心地いい音楽が流れて人がいる方が落ち着く。

ひとりもいいけど、ふたりもいいよね。

哺乳類である人間は、他者とコミュニケーションとることで感じる心が育まれて成長、変容、深化する。

ひとりは気楽だったのに、ふたり以上になったとたん目の前にいるひとの表情や声を聞きながら相手のことを考えて考えすぎたり、気を遣ったり、疲れたり、食べる好みや金銭感覚、趣味、価値観、色々自分とは違うことに気づくことになる。

それは、新鮮でもあるし、ストレスになることだってある。
でも、そうやって人間関係を築いていく。

0、100だった20代は、人間関係に疲弊していた。
友人と遊んでいたときでさえ、夜はバタンと気疲れで倒れるように眠る。
疲弊していた理由は自分を無理して隠そうとしていたからだ。本当の自分をだすことが怖かった。
ストレスフルになったとたん、あぁ。やっぱひとりがいいな。ってなるんだけど、しばらくしたらどこかぽっかり自分の心に穴が開いて寂しい感覚にもなる。

少しずつ自分の性質を知るようになり、無理に繋がる必要はなく、ひとりでもいいと許可をだし、その間に自分の心の変化もあった。そしたら今度人を誘ってみる練習をしていた。友人を誘うことすらできなかったのだ。
自分は面白い人間じゃないから、相手に申し訳ない。と言いつつ本質は他者に嫌われるのが嫌で怖かった。

でも、それは過去であり喜びを一緒に喜んでくれる人がいたり、時に怒ってくれたり、自分以上に信頼してくれたり応援してくれたり。感情を分かち合える相手がいて、自分のダークな部分も知り、そのまんまで素晴らしいよ。そんなふうに伝えてくれる人がたったひとりでもいたら、その人のことを私は大切にしたい。

私は、亀のペースだけどBeingが育まれていてその小さな変容のステップに喜びを感じられる余白が生まれた。

今でもわたしはひとりの時間は心地よく、大人数の場にいることが苦手。自分の人間関係の心地よさを探っていけばいいんじゃないかな。心地いい人間関係を築くには、自分のそのままを表現すること。
もぅ、これしかなくてこれだけだけど、深い。

歳を重ねるごとに気持ちや環境の変化もあるだろう。もしかしたら、数年後の私は人前でお話しているかもしれないし、みんなでおいしいごはんを同じ空間で食べることが大好きになっているかもしれない。


それはそれで楽しみだ。


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