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小説:雷の道(日曜日)#31

僕達はアルミ製のテーブルに向かい合って座った。
酒に酔ったちょっと危ない女とその女友達に恋をしている三十代の男。
世の中から取り残された誰も知らない辺鄙な場所で、僕がこれまで生きてきた中で一番大事な話が今、語られようとしていた。

「さっきは嘘をついて、ジュンを混乱させちゃってごめんなさい。
突然だったからかな。
お酒も入ってたし。
割とお酒、強いんだけどね、あまり寝てなかったからかな。
言い訳ね。見苦しいね。
ジュンが私に会いたがっているって知ったとき、なんとなくわかったの。
私に求めているものが。
でも素直になれなかった。
まだ残っているのかな。
本当の事を言うね。
美沙岐と坂本さんが付き合い始めてしばらくたって私も坂本さんと付き合い始めたんだ。
美沙岐には内緒でね。
私の一方的な片思い。
でも結局はするだけの女だったのよね。
それで妊娠したのが私。
部活でバスケやってて気分悪くなって美沙岐に介抱されて、わかっちゃったの。
あの子、昔から勘が鋭かったし。
だから坂本さんとの子供だって美沙岐に言ったの。
美沙岐は最初びっくりしてたけど、逆に謝られちゃったわ。
加奈子を傷つけるなんて許せないって。
美沙岐に産みたいのって聞かれて、その時私、真剣に考えたの。
坂本の事が本当に好きかって。
その時はよくわからなかったけど、あとから冷静になって考えたらね、結局は好きでも何でもなかったのよね。
美沙岐に坂本を取られて悔しかっただけなのよ。
そういう気持ちがね、心のどこかにあったの。
だからおろす事にしたのよ。
そしたらね、美沙岐は坂本に責任を取らせるって言いだして彼のところに行ったの。
そして手術の費用を出させた。
それで本当は丸く収まるはずだったんだけどね、坂本はそのお金を後輩にカンパさせてたの。
俺の女が妊娠したから金を集めろ、みたいなね。
当時の坂本はそういう顔だったのよね。
そして噂が広まったの。
美沙岐が妊娠して子供をおろしたって。
最初はね、それでも平気な顔をして登校してたんだけどね、加奈子は絶対に高校を辞めちゃだめだよって言い残して、突然、学校に来なくなったの。
音信不通になって退学届けが出されて私が高校卒業した後、ふらって帰って来たの。
謝ったわ。何度も何度もね。
でも加奈子のせいで辞めた訳じゃないからって。
そんなの嘘に決まってるって思ったけど。
それからしばらく一緒に働いたわ。
小さなスナックでね。
でもさっき話した通り何故居なくなったのか、最後まで教えてくれなかった。
聞かない約束をしたの。
それは未だにそのまま。

美沙岐はスナックのバイトを半年くらいで辞めて、実家の手伝いをしてたみたいだったけど、その後大阪に行ったの。
きっとね、私の事が心配で一緒に働いてくれたんじゃないかなって思ってる。
それでもう大丈夫って思って、自分のやりたい事、始めたんだろうね。
ジュン、私を嫌いになっていいわ。
嫌われたくなかったからさっきは嘘をついちゃたけど、やっぱり私は最低な女ね。
いくつになっても最低だわ。
あんないい子はいないわ。美沙岐の事、大事にしてあげてね」

加奈子は天を仰いだ。
青空は青空のままだった。
とんびが弧を描いた。
汽笛が再び鳴って静かな風が吹いた。

「加奈子。辛い思いをさせてしまってごめんな。
俺が突然一方的に押しかけて嫌な過去をほじくりかえしてしまった。
俺が悪い。加奈子は悪くない。
だから嫌いになったりはしない」

加奈子は首をふった。
僕をじっと見つめた。目が潤んでいた。
今にもこぼれそうだった。
結局僕は加奈子を傷つける為にここへ来たんだと思った。

「ジュン、俺なんて言うようになったのね。昔は僕だったのに」
と言って加奈子は笑った。
加奈子は笑顔が似合う。
昔からそうだった。どんな時でも直ぐに泣いて直ぐ笑った。
僕たちはそうやってきたんだ。
まだ何者でもなかった小学生の頃。
俺が僕だった頃。

加奈子の長いまつ毛は真っすぐでいつまでも濡れていた。
強い風が吹いた。
テーブルの上のミネラルウォーターが倒れそうになった。
西の空に黒い雲が立ち込めていた。
そろそろここを引き上げた方が良さそうだ。
加奈子は玄関まで見送ってくれた。
大きな犬が吠えた。
僕は振り返らなかった。




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