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小説:雷の道(日曜日)#29

窓ガラスの中の加奈子はコップを持ったまま動かなかった。
目の前の川をじっとみていた。
僕もそんな加奈子の視線の先をずっと見ていた。
川に映る光は時折通る舟にかき消された。
三艘目の舟が通り過ぎるころ加奈子は僕を見た。
ガラスに映る加奈子より現実味が増したけど、それでもまだ現実味を欠いていた。

「誰に聞いたの?」と加奈子は言った。
平坦な声だった。
僕を責めているようにも慰めているようにも聞こえた。
加奈子は僕から視線を離さなかった。

「知りたいんだ。本当の事を。何があったのかを」
と僕は言った。
「知ってどうするの?」
「わからない」本当にわからなかった。
それを知ってどうする?

「ジュン。私ね、小学一年生からずっとジュンの事が好きだったのよ。
初恋だった。
六年生で卒業したけどね。
でも、美沙岐もジュンの事が好きだったと思うの。
私がジュンの事好きだって言ったらすごく困った顔して、でも応援するねって言ってくれたの。
私達、似てるのよね。好きになる人が。
それでね、高校の時もそうだったの。
同じ人を好きになった。
その時はね、美沙岐から先に言われちゃったんだ。
坂本さんが好きだって。
社会人だったけどね、コンビニで私達バイトしてて、お客さんだったのよ。
それからしばらくして二人は付き合い始めたの。
高校二年生だった。
三年生になって直ぐね、
美沙岐の様子がおかしくなって、学校もバイトも休みがちになって、妊娠してる事がわかったの。
クラス中に知れ渡ってね、美沙岐は学校から居なくなった。
携帯もメールも繋がらなくなって、家にも帰ってなくて。
ずっと連絡を取り続けたけどね。
高校の卒業式が終わって半年くらい経って美沙岐は一人で帰ってきたの。
でもね、何処で何をしてたのか、教えてくれなかった。
お腹の子供がどうなったのかもね。
一年という期間は、そういう期間かなとも思ったけど、美沙岐は言いたがらなかったからそれ以上聞いてないの。
美沙岐は抱えてるのよ。抱えながら生きているの。
色んなもの全部」

加奈子は僕から視線を外し目の前の川をしばらく見つめ、小さな吐息のあとコップに口をつけ今度はゆっくりと酒を飲み、また小さな吐息をついた。

「すこし、喋りすぎちゃったね。
こんな話、するつもりじゃなかったんだけど。
すきっ腹だと酔いの回りが早いわ。
お刺身食べないと。せっかく頂いたのにね。
ジュンも食べてよ。お腹空いてない?
やっぱり昼間からは飲めないか。
そうよね。私、なんだか眠くなってきちゃった。
昨日、あまり寝てないの。
本当はこの時間、いつもは寝てるんだ。
この川を見るとね、ジュンの事を思い出してたわ。割といつでもね

そういうと、加奈子はソファーに深くもたれ頭を付けて目を閉じた。
横顔は無防備で幼く見えた。
小学一年生の時、まだ僕の家が古く平屋だった頃、加奈子が僕のベッドで寝てたことがあったな。
ずっと姉たちと遊んでいて、鬼ごっことかかくれんぼとかママごととか、そういうことを全部つきあわされて、断れば良いのにずっとついてまわって。

もう大人なのに、その時の寝顔と一緒だよ。
僕たちは同級生なんだ。
同じ時代に同じ空間で同じ空気を吸って過ごした、死ぬまでまぎれもなく同じ歳だ。

僕はソファーから立つと目の前のガラス戸を開けて外に出た。
風が心地良かった。床はデッキになっていて広かった。
手摺はペンキがはがれかけていたけどその先の川は変わらず、キラキラと輝いていた。
デッキの先端は川に突き出ていて、舟のへさきみたいになっていた。
僕はそこまで歩いて行った。
目の前に川が迫ってきた。
遠くに海が見えた。
美沙岐と行った。
霞んで見えるけど確かにあの場所だ。
僕たちの濃密な時間があった。僕たちが始まった。

高校生の美沙岐は命を抱えどこを彷徨ったんだろう。
頼れる人は居たんだろうか。
そしてどういう決断を下したんだろう。

でもとにかく美沙岐は生き延びた。
生きて僕の前に現れた。
水面に波が立ち、強い風が吹いた。
水鳥が一斉に飛び立ち、遠くで汽笛が鳴った。
良い場所だと思った。
このデッキはなかなか良い。
テーブルと椅子を並べて食事をしたら美味しいだろうな。
ピクニック。四人で行った。
加奈子が誘ってくれた。
初恋だと言った。きっとそうなんだろう。信じるに値する。
身に余る。
少なくとも僕を、子供の頃の僕を認めてくれたんだ。
僕らは無邪気に遊んだ。何も知らずに。




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