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小説:初恋×初恋(その13)


第十章 横浜


「久望子と連絡が取れた時、結婚して一年が過ぎていた。たまたまぽっかりと空いた夜だった。仕事が一段落ついて、妻は実家に里帰り。そんな夜だ。僕は家から久望子に電話をした。そしてあっさりと繋がった。僕は空間を埋めるみたいに話しをした。ずっと連絡していた事。そして結婚をした事。子供が産まれたこと」

「え?子供が居るの?」

「ああ、結婚してすぐに出来た。久望子もまた、特別な時間を過ごしていた。ニューヨークに常駐していて、その日は一年ぶりに帰ってきたばかりの夜だった。ちょっと着替えていい?と言って、それからまた、時間を埋めるように話しをした。久望子は僕が結婚した事について特に関心がないみたいだった。私達の友情には何の支障もないでしょ?と言った。そしてしばらく日本に居るから、たまには東京に遊びに来て、と言った」

「それで会いに行ったの?」

「ああ。一泊二日で。僕は適当な用事を作って飛行機に乗った。横浜に行きたいところがあると言うので、横浜のホテルを取った。僕らは普通の恋人同士がするようなデートをした。映画を見たり食事をしたり観光地を回ったり。そしてそれは、初めての親密でまともなデートだった。初日の夜、久望子は僕を完成して間もないランドマークタワーに連れて行ってくれた。最上階のバーから見る夜景が綺麗だと言って。でも席は一杯だった。久望子は店の人と交渉を始めた。そしてちょっとの間、窓際に立つことが許された。彼女は僕の腕を取ってその窓際に引っ張っていった。久望子が僕の腕を取る事など初めてだった。僕は圧倒的な夜景に見惚れてしまった。僕らは手を繋いでいた。信じられないかもしれないけど、その時、僕は初めて久望子と手を繋いだ。彼女の手には特別な何かがあった。僕の為に用意された、親密なもの、霊的なもの。それが彼女の手を通じて僕の中に入ってきた。それをはっきりと感じる事が出来た。今でもその時の感覚が残っている」相川さんはそう言い終わると、自分の右手を見つめ、そして再び、テーブルの上に置いた。

「彼女と寝たの?」と私は聞いた。相川さんは首をゆっくりと振った。

「僕らはその夜景を見た後、僕が予約していたホテルまで歩いて行った。ずっと手を繋いだまま。でも、ホテルの玄関に着くと彼女の方から手を離した。そして、おやすみなさい、と言って離れて行った。僕は彼女の後姿を見送った。しばらくすると振り返り、また明日迎えに来るからと言った。僕は彼女の姿が見えなくなるまで見送った。あの時、追いかけるべきだったのかもしれないと今では思う。彼女を追いかけ、彼女の腕を今度は僕が掴み、手を引き、僕の部屋に連れて行くべきだったと。でも、その時はそんな事、思いつきもしなかった。久望子の手の温もりの意味を考えるだけで精一杯だった。僕は明日来るであろう彼女をじっと見送った。彼女が迎えに来ると信じて疑わずに」

「久望子さんは次の日、現れたの?」

「ああ。朝早く、ロビーに迎えに来てくれた。だけど、語るべき事は何も起こらなかった。二人で映画を見て、それから羽田まで見送ってもらった。結局僕は、手を繋ぎに東京まで行ったようなものだ」

「でもそれは大きな進歩だったんでしょ?何の映画を見たの?その頃、何が流行ってたのかな?」

フォレスト・ガンプ。ただ、映画の内容はその時の僕らと何の関係もない。ただ、彼女が望んだだけだ。この映画が見たいって」

「それは意味のある事だったんじゃないのかしら?確か、邦題があったわよね?」

「一期一会」と相川さんは言った。

私は「そっか」と言って、テーブルの上にある相川さんの手に手を重ねた。暖かかった。

「酔ったのか?」と相川さんは言った。

私は首を振って「久望子さんはその時、どんな気持ちだったのかなと思って」と言った。

私は再び、海を見た。掌に相川さんのぬくもりを感じながら。さっきまでの月が何処かへ消えていた。でもどこかに確実にある月。その事実だけで、今の私は世界と繋がっていられる気がした。
月子。満月に産まれたから。そんな単純な理由でつけられた名前。そしてその名前を付けた両親はもうこの世の中には居ない。それでもかつて両親を構成していた全てが、この世の中の何処かに確実にあるという事実。

「それからどうなったの?」と私は言った。


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