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小説:雷の道(日曜日)#30

部屋に戻ると加奈子はさっきと同じあおむけで寝ていた。
彫刻のように動かなかった。
しばらく見ていたけど、まつ毛さえ動かなかった。
僕は近くにあったブランケットを足元からかけた。
白い脚が隠れこの空間にあった華が影をひそめた。
加奈子はゆっくりと目を開けた。
そして毛布を首までたくしあげ僕を上目遣いで見た。
まどろんだ瞳は半分夢の中だった。

「帰るね」と僕は言った。
加奈子は毛布で顔を覆うようにしながら目でうなづいた。
加奈子が好きだったのは小学生の時の僕で今の僕じゃない。
その事に多少の寂しさがあった。
でもそれは心地よかった。
少なくとも加奈子は僕の味方なんだ。

「じゃあ、また」と僕は言ってリビングから廊下に出た。
扉を閉めると廊下は真っ暗になった。
照明のスイッチらしきものを押したけど何の反応も無かった。
僕は手探りで目の前の薄暗い玄関を目指した。
どうしてこの家の人は照明を取り替えないんだろう?
もしかしたら切れたばかりなのだろうか。
加奈子は何の迷いもなくあの暗い廊下を歩いていた。
慣れ、というものなんだろうか。

どこまでも続く暗いトンネル。
光は確実にある。出口は見えている。
出口の無いトンネルの事を思った。
どこまでも続く闇の中で方向さえわからない。
誰がそんな場所に好き好んで入ったりするだろう。
それでも時に迷い込んでしまう。
真っ暗で先が見えない。
出口がどこだかわからない。

と、突然廊下が明るくなった。
振り向くと加奈子が立っていた。
「電気のスイッチはどこ?」加奈子は僕に近づいてきた。
僕の手を取った。
震えていた。小さな手が壊れるほど震えていた。
僕は加奈子の手を握りしめた。
それでも震えは収まらなかった。

「どうしたんだ?」と僕は言った。
「本当は違うの」
「何が?」
「妊娠したのは私なの」

その瞬間の加奈子の顔をはっきりと覚えている。
いたたまれなさに包まれた、壊れそうで儚い顔を。
でもその時僕が何を感じたのか思い出せない。
霧に霞んで思い出せないんだ。
僕はホッとしてしまったのかな?

「デッキで話そう」と僕は言った。
それ以外に言葉が見つからなかった。




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