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小説:雷の道(日曜日)#27

つまりこういうことだ。
今朝早く、というか深夜、加奈子の父親と一緒に釣りに行き、そこそこ釣れて帰ってきた。
加奈子の親父さんは一旦帰宅してから早朝パチンコに行った。
釣った魚はさばいてあとで届ける約束をした。

それで加奈子だが、離婚して今は実家に居る。
昨日は近くに住んでる姉の家に泊まりに行った。
どうして父がそこまで知っているのか不思議だったけど、母親が三枚におろした刺身を持って今、加奈子の家の前に居る。

チャイムらしきものを押したけれど音は鳴らなかった。
扉をたたくと中から声がした。
「はーい。ちょっと待ってね。今行くから」
そういうと中からゴソゴソと物音がしてガラス戸に白いシルエットが映った。
戸がガラガラと開けられると、男物の白いシャツの下にデニムのホットパンツをはいた、どこまでも細くて白い脚がむき出しになった。
僕はうつむいた視線を上げ「ひさしぶり」と言った。

「何言ってるの。一昨日、会ったばかりじゃない。でもここに来るの、ひさしぶりよね。というか中に入るの、初めてかな?」
加奈子はそう言いうと家の奥に入っていった。

一昨日はあまり意識していなかったけど、化粧をした加奈子は中学の頃とは見違えるほど綺麗になっていた。
高校の時、渡り廊下ですれ違った時よりも更に。
それはエリカの華やかさよりは控えめではあったけど、脱皮して本来のものを露わにしたような清々しさだった。

僕は細い背中を見ながら「おじゃまするね」と言った。
加奈子は振り返り、にっこりと笑った。

「汚いけどどうぞ。今は誰も居ないの。さっきケンちゃんから電話あったよ。ジュンに刺身を持たせるって」
ケンちゃんというのは僕の父の事だ。
なんで加奈子からケンちゃんなんて気安く呼ばれているのかわからないけど仲が良いらしい。
加奈子は暗い廊下を奥に進んでいく。
足元が暗くて何かを踏んでしまいそうだ。
加奈子が奥の扉をあけると、廊下に光が差し込んだ。
部屋の中に入ると窓から大きな川が見えた。

「ここ、我が家のメインルーム。眺め良いでしょ。でも台風の時とか大変なのよ。雨戸が無いから板を窓に打ちつけたりして。昔はね、美沙岐のお父さんが来てくれてたりしてたんだけどね、あ、ここ、美沙岐のお父さんが建てたのよ。ジュンの家もそうでしょ?それで仲良くなったみたいよ。父とケンちゃん」

知らなかった。
僕が中学生の頃の話だ。
その頃から父はここに出入りしていたことになる。

「でも、うれしいな。ジュンが刺身持ってきてくれるなんて。慌てて帰ってきちゃったわよ。昼間から飲んじゃおうか?美味しい日本酒があるの。今日は休みでしょ?つきあうわよ。そういえば美沙岐と会ってるみたいね。ちょっとびっくりよ。いつの間にそんなことになってたの?それつまみにさ、お酒飲もうよ。なんなら美沙岐も呼んじゃう?子供は姉のところに預けてるから夜まで自由なの」

加奈子は僕の方を振り返りながら、部屋の奥にあるソファーに腰を降ろした。
僕は白い脚に気を取られながら隣に座った。
正面のガラス窓に僕らのシルエットが映った。

「こっちこそびっくりしたよ。結婚も子供も離婚も。僕が日向ぼっこしてる間に一通り経験したんだな。恐れ入るよ」

「そんなんじゃないわ。ただ生きてきただけ。そしたらこうなったの。なりたくてなったんじゃないわ。子供だって可哀そうだしね。後悔するのが嫌だったのよ。だから全部受け入れて全部前に進めた、その結果がこれ。そんな事よりも、さ、飲もうよ」

そう言うと加奈子はテーブルに置いてあった二つのコップに日本酒を注ぎ、一つを僕に手渡した。
そして軽くコップを合わせると、細い首を弓なりにして一気に飲み干し、大きな吐息をついた。
白かった肌がつま先まで赤くなった。

「いつも昼間から飲んでるの?」
「今日は特別。せっかくジュンが来てくれたんだからさ。嬉しいのよ。変わり映えしない毎日だしさ、ずっとこの町にいるんだもの。ちょっとは楽しまないとおばさんになっちゃうじゃない?もうおばさんかな。まあ、どうでもいいんだけどさ、年齢なんて。同級生って安心するのよね。歳の差、気にしなくていいから。どこに居てもさ、何してても、私達、ずっと同じ歳なのよ。生きてる限りね。スナックで働いてると気になるのよ。歳の差がね。初めて来たお客さんとか。いくつなのかなとか、いくつに見られてるのかなとか。あ、聞いてる?私、水商売してるの。高校卒業してずっと
僕は首をふった。
知らなかった。
知るはずもない。

「美沙岐ともね、一緒に働いたことがあるのよ。美沙岐はすぐに辞めちゃったけどね。でもずっと一緒だったな。小学校の時はクラスが一緒。中学ではクラブが一緒。高校では部活とバイトが一緒」
「中退したって聞いたけど」
「私が?」
「美沙岐が」
「誰から?」
「ちょっと小耳にはさんだんだ」
「狭い町だもん。言いたい奴には言わせとけばいいのよ。それで美沙岐とはどうなってるの?」
「どうって、どうにもなってないよ」

加奈子は「ふーん」と言って上目遣いで含み笑いをしながら自分のコップに日本酒を注いだ。
溢れても気にしなかった。




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