見出し画像

小説:初恋×初恋(その7)


第五章 真実はひとつ


 硫黄のにおいで目が覚めた。私はいつの間にか眠っていたようだ。

「ここはどこ?」と寝ぼけた声で聞いた。自分でも笑ってしまうくらい、だらしない声で。
「別府」と相川さんは言った。
相川さんの声はちょっと高くて寝起きの耳に心地いい。夢の続きに居るようだ。

「寝てた。ごめんね。昨日、眠れなかったから」と私は言って相川さんを見た。相川さんはどこまでも真っ直ぐな視線を前方に向けている。
相川さんの初恋の話しを聞いた。
何処にでもある、でもちょっとハードな告白の話しだ。そうしたら緊張の糸が切れて、なんだかホッとした。行き先は相変わらずわからないのだけれど。でも、続きのある初恋なんてあまり聞いたことがない。
 
「ねえ、それでどうなったの?続きが聞きたいわ」私の声は、まだどこかを彷徨っているみたいに自分の声にならない。

「休憩するか」と相川さんは言った。私は「え?」と声を上げてしまった。そして辺りを見回した。真っ直ぐな高速道路の先に山を切り裂いて大きな海が目の前に現れた。

「別府湾だ」と相川さんは言った。そして左ウインカーを出し、パーキングエリアに入って行った。私はホッと胸をなでおろし、変な想像をした自分がちょっと可笑しくなった。

レストランに入るとコーヒーを注文して席に着いた。私達はコーヒーで繋がっていると思った。昨日初めて会った男とコーヒーで出会い、今こうしてコーヒーを飲みながら何かを語ろうとしている。眼下には海が広がっている。圧倒的な海。太平洋だ。濃い藍色をしている。百道の海とは違う。全然違う。私と相川さん程違う。相川さんは手にコーヒーカップを持っている。でもなかなか口を付けない。手を温めるように掌で持っている。視線は海にそそがれている。私を見ようとはしない。今まで視線を真剣に向けられた記憶がない。そんな希薄な関係。店に客は二人しかいない。そして私達を知る人は誰もいない。今日始まって、明日には終わる。

「ビックバンって知ってるか」と、相川さんは言った。朝の目覚まし時計みたいに、唐突に。私は飲食店の名前なのかと思って頭を巡らせた。
相川さんは視線を海から私に向けた。そして一瞬目が合い、再び海を見た。
「知ってるわ」と私は言った。「宇宙の起源でしょ。それくらいは知ってる。でも、それ以上は知らない。何も知らないのと同じかな」

「僕も知らない。詳しくは知らない。何かの本で読んだだけだ。今、僕たちが住んでいる地球を含め全宇宙が最初は米粒位の大きさだった。地球だってかなりデカいのに、月も含めて、太陽も含めて、そして宇宙全部を含めて、粉々にして丸めて、信じられない位の力で全てを圧縮して、米粒位にしたのが最初の宇宙の状態で、それがある日突然爆発したのがビックバン。そしてそれは今から百三十八億年前という途方もなく昔に起こったって話しだ。そういう事、普通に生きていたら考えも付かない。でもその説を聞いて、僕は妙に納得したんだ。子供が出来る仕組みがあるだろ。小さい頃はそれがわからない。赤ちゃんが何処からやって来たのか。だけどそれを理解した時、妙に納得した。膝を打った。なるほど、と。それと同じ感覚で僕は、宇宙の起源を知った時、納得感があったんだ。そうなのかと思った。そしてその説は正しいと感じた。僕たちは最初、一つの塊だった。今、どんなに離れていようと遥か昔、高密度で高温の中、とても近い距離で、ぐちゃぐちゃになってくっつきあっていた。そしてそのぐちゃぐちゃの中でも遠い近いがあって、一番くっつきあっていた人と出会った時、僕たちは運命を感じるんじゃないかと思うんだ。変かな?僕の説なんだけど」

「変じゃないと思う」相川さんの話しを聞いているうちに、私もそう感じていた。もしかしたらセンセイとはちょっと遠くに居て、むしろ相川さんの方が私の居た場所に近かったのかもしれない。そして人は、一番近くに居た人と運命を感じるのかも知れない。

「もちろん、ビックバンは仮説のひとつだ。巨大な施設を作って最新の機材を使って、信じられないくらい頭の良い人たちが集まって、ひとつひとつの事実を積みあげて、合わなかったら他のものと取り替えて、何度も何度も組み換え、繋ぎ合わせて出したものだ。真実だとは限らない。全くの見当違いかもしれない。まだ組み合わせるべきパーツがあるのかもしれない。でも真実は一つなんだ。正解は必ずどこかで眠っている。そういう事実に人はいつか出会う」

そう言い終わると、相川さんはコーヒーを飲んだ。のどが大きくうねった。
「美味しい?」と私は聞いた。
相川さんはちょっと考えて「悪くない味だ」と言った。そして「高速道路のインターチェンジで作ったにしては上出来かもしれない。でもこれが天神の喫茶店で飲むとがっかりするかもしれない。結局は求めていたものと、得た時のギャップの差で味の評価が決まる」と言った。

相川さんはコーヒーにもう一度口を付け、口に含み深く味わうようにして、のどに流し込んだ。そして再び語り始めた。
 


この記事が参加している募集

#忘れられない恋物語

9,069件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?