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着物の図案家という職業
図案家のルーツ
着物の図案家は明治以降、型友禅の発明によって生まれた職業です。
明治時代になり、庶民も絹物を着るようになると、絹の染物の量産が求められました。
そのニーズに応えるべく、広瀬治助が化学染料を使う型友禅を発明し、着物の大量生産が可能になりました。
つまり、図案家の仕事とは、型染めの為の原画の作成です。
手描き友禅の作家でもなければ工芸職人でもありません。
着物のデザイナーと言うと、
伝統文化は不易流行でなければならない
桃山時代ぐらいから江戸時代中期頃まで、庶民は対丈の小袖を着て細帯をしていました。
何よりも違うのは図柄のデザインです。
後ろ姿をお太鼓が隠さないので、ご覧のように図柄のメインは背中にありました。
帯の結目も前であったり、横であったり、後ろであったりと、変化し、今から見ればとっても自由でした。
江戸時代の代表的な小袖といえば「寛文小袖」ですね。
着物の古典的な着方として、私は復活して欲しい
和装の染織図案のルーツは、円山・四条派の絵師達だった。
幕末から明治へと怒涛渦巻く歴史の流れの中で、京都は激変した。
芸術界を取り巻く環境も一変したと言う。
元治(げんじ)元(1864)年、幕府側と長州藩による市街地戦(禁門の変)に端を発した戦火は市中を覆い、約2万7千件の家屋が焼失した。
政治的混乱で復興も進まないまま、幕府は消滅。
明治新政府の発足とともに首都の座は東京に移り、京都市域の人口は35万人から20万人あまりに激減したとされる。