カノジョに浮気されて『八犬伝』かおとぎ話かわからない世界に飛ばされ、一方カノジョは『西遊記』の世界に飛ばされました⑱


銃声に、佑月ははっとして伏せた。
(頭を低く……いやこのまま死んだふりをした方がいいか?遠くから狙われ続けたら大変だが、死んだふりをすれば敵は近づいてくるかもしれん)
幾多の戦いを経験した佑月は、そういう知恵が回るようになっていた。
はたして、鉄砲を携えた男がこちらに近づいてきた。
男は佑月の刀や持ち物に目をつけたようで、佑月の懐を探ろうとかがみこんだ。
(格闘技の本で読んだことがあるが、できるかーー?)
佑月は起き上がりざま、男の手を掴み、男の手の甲を下にして腕を上に捻りあげた。
「いだだだだ!」
と、男は腕を捻られて呻いた。
(ーー成功した!)
うまくいって、佑月はちょっと喜んだ。
「何者だ。なぜ俺を撃った」
と佑月は男に問い質したが、どうもしっくりこない。
(問い質してどうする?問い質せばこいつがもう襲ってこなくなるというのか?ーーいっそのこと殺すか?)
と佑月が考えていると、一人の中年の男が佑月に向かって駆けてきた。
「お侍様、あっしはこの村の村長で、四六城(よろぎ)木工作という者じゃ。たまたま儂は一部始終を見ておりました。そのお人を許せねえと思うのはもっともでございますが、このお人は儂の知人でございまして、曲げて許してやっておくんなまし」
と木工作と名乗る中年の男は、佑月の前で何べんも頭を下げてみせるので、佑月も仕方なく男の手を放した。
手を放されて、男は木工作に鉄砲を預け、すごすごと引き下がっていった。
(あーあ、俺もやっぱり甘いかな)
と思いながら、佑月は立ち去りかけたが、木工作に引き止められた。
「旅の方、そのご様子では今夜泊まるあてはないでござりましょう。うちへお泊まりなされ。うちには嫁と娘がおりまして、お侍様のお世話も行き届くことでござりましょう。お侍様のお名前は?」
「ーー犬塚信乃」と佑月は、犬士としての名を名乗った。
「犬塚様でございますね。先ほどの男は武田の家臣で、泡雪奈四郎と申します。この辺の森林管理をしている者でございます」
そんな話をしているうち、木工作の家に着いた。
「おーい、夏引(なびき)、お客様だ。接待をせい」
家に入るなり、木工作は言った。
「はいはい、ただ今」
と、夏引と呼ばれた女が出てきて、囲炉裏に火を起こして酒の燗を始めた。
「犬塚様、それがしの後妻の夏引でございます。浜路も呼んでこい、お侍様に酌をしながらするのだ」
と木工作が言うので、
(ーー浜路?)
と佑月はハッとした。
(ーーそうか、犬塚信乃の許嫁と瓜二つで、里見家の姫君の浜路姫のことか。浜路には会えなかったが、浜路姫には会うことができるのか)
と佑月は、娘が出てくるのを密かに楽しみにした。
「おーい浜路」
と木工作が呼んで、ようやく襖を開けて、娘が顔を出した。
(ーーえ?)
佑月は目を疑った。
娘の目が、真っ直ぐに佑月を見る。
(ーー海松?)
佑月の目の前にいる娘は、海松だった。
「娘の浜路です親バカながら美人でしょ?」
と木工作は言った。
「ーーええ、美人ですね」
佑月は言った。
「これ浜路、燗はもういいだろう。お侍様に酒を注がぬか」
木工作に言われて、浜路は佑月に酒を注いだ。
「ーーどうも」
食事を済ませると、木工作は横になって眠ってしまった。
夏引もいつの間にかいなくなっていた。
「ーー未成年のくせにお酒なんか飲んで」
と海松は言った。
「ーー俺はどうやら酒に強いらしい」
と佑月は言った。「ーー飲む?」
佑月はそう言って、海松に杯を渡した。
海松は杯を受け取り、佑月の酌を受けると、一息に飲み干した。
「ーー苦い」
海松は言った。「ーー今まで何してたの?」
「色々あった」
佑月はそう言ってため息をついた。「ーー鬼を退治したり」
「鬼退治?」
「うん、信じる?」
「ーーあたしは三蔵法師やってた」
「三蔵法師?」
「うん、お猿さん達、入ってきていいよ」
海松が言うと、縁側から雨戸を開けて、猿と豚の妖怪と、赤い髪に青い顔の妖怪が入ってきた。
「孫悟空と猪八戒と沙悟浄。あと馬になった竜王の子と一緒に旅をしてたんだよ」
「お師匠様、俺はもう腹が減って腹が減って」と八戒。
「あ、ごめんねここは人のうちだから、あなた達にご飯あげられないのーーそういや玉龍は?」海松が言った。
「玉龍は馬ですから」と沙悟浄。
「あーーじゃあやっぱり入れられないね。そうだ、ここにある残り物は食べていいよ」と海松。
「八戒、俺が後で山で猪でも獲ってきてやるから、今はそれでがまんしろ」と悟空。
「坊主が生臭食うのかよ」と沙悟浄。
「ああでもここ日本だから、あなた達が托鉢するとみんなびっくりしちゃうかも」と海松。
「お師匠様が托鉢するってのはどうだ?」と八戒。
「ごめんね、あたしは今ここの娘だからーーでね佑月」
「うん?」
急に話を振られて、佑月はびっくりした。
「あたしね、この子達とずっと旅をしてたんだけど、それは楽で楽しかったのね。でもなんか違うなあって思って。あたしはずっと佑月に会いたくないって思ってたけど、そうじゃなくて、ほんとは佑月に会いたかったんだって、でも会わす顔がなくて。それで『西遊記』の世界を出ようと思ったら、このお猿さんが世界ごとぶっ壊してくれたの!お猿さんはね、とっても頼りになるんだよ!」
「ーーへー……」
佑月は、海松の話についていけてなかった。
「でね、世界をぶっ壊したら、あたしはこのうちにいて、浜路って名前の娘で、なんのことかわからんー!って思ってたら、そこに佑月がやってきて、ほんとにびっくりしたんだよーーで、なんの話だっけ?」
「ーーいや、いいよ」
佑月は笑って、自分に酒を注いだ。
「あ、そういや佑月何してたの?」
ともう一度海松が聞いた。
「ぶっ!」
佑月は酒を吹き出しそうになった。「だから言っただろ!鬼退治とかしてたって」
「鬼退治?何その非現実的な話」
「お前の話だって非現実的じゃねえかーー鬼退治とかやってたんだよ。他に犬士やったり」
「けんし?」
「『里見八犬伝』の犬士な、他に水戸黄門やったり、明智小五郎やったり、特撮の主人公やったり、ロボットに乗って戦争やったりーー」
「何それ、めちゃくちゃじゃん」
「お前も人のこと言えるのかよーーでもな、やっぱりなんかうまくいかないんだよな」
「うまくいかないって?」
「俺はこの世界にきて、俺は選ばれたんだって思って頑張ってみたけど、でも俺は中途半端なんだよな」
「ーー中途半端だっていいじゃない」
「え?」
「わかるよ、佑月が頑張ったのは」
「わかるって、さっきめちゃくちゃだって言ってたじゃねえか」
「おい、行こうぜ」
と悟空。なおも残飯を漁っている八戒に、
「八戒、猪を獲りに行くぞ」
と悟空は言って、悟空、八戒、沙悟浄は出ていった。
「でもわかるよ、佑月が嘘をついてないってそして頑張ったって。だからいいじゃんーー自分に合ったことはそのうち見つかるよ」
「海松ーー」
二人は見つめあった。そして口づけをしようとしたところで、
「いけませんよ浜路!」
と、襖をぴしゃりと開けて夏引が入ってきた。
「ーー義母上!」
海松は言って、二人は離れた。
「嫁入り前の娘がこんなことをするなんて、なんと汚らわしい!お父上もいるというのに!これはお父上に言いつけなくては」
と夏引は喚いた。
海松はしーんとしている。
「あ、いや違うんです、俺達そういうんじゃなくて」
と佑月が弁護に入ろうとすると、
「ええいお黙り!お侍さんも坊主みたいに欲のなさそうな顔をしてとんだ助平侍よ!浜路、お前も大人しそうな顔をしてとんだかまととだこと!こんなことがお父上に知れたら、お父上はお前を目の中に入れても痛くないというほど可愛がってきたというのに!」
「あいえ、浜路殿が目にごみが入ったというので取り除いてあげようとーー」
「まあなんと図々しい!そんな手であちこちのおなごを誑かしてきたのだろう!ああ嫌らしいったらありゃしない」
と、夏引は火に油を注いだように、さらに激しく喚き立てる。
(ーーん?)
佑月は軽い違和感を感じた。
木工作が起きない。夏引は激しく喚いているように見えて、小声で話しているからだ。
(それなのに、この不快感ーー)
「佑月、いいよ」
と、海松は言った。
佑月は黙って海松を見た。
「弁護しなくていいよ。あたしはこのうちの子じゃないし」
「お前、何を言うの?」夏引が言うと、
「あたしはこのうちの子じゃないって言ったの」と海松。
「お前何を言うの?お前はれっきとしたお父上の子ーー」
「あたしはこのうちの子じゃない!」
と海松は強く言った。
(ーーいや、海松でも浜路でもそうなんだけどさ)
と、佑月はひやひやしながら思った。
「ーーそう、知ってしまったのかえ、ならばお前はその齢までお父上に大事に育てられてきたのを忘れたのかえ?」
「関係ない!あたしは自分が好きになる人は自分で決める!」
「ーー好きにせい」
と、木工作はむくりと起き上がった。
「ーー旦那様!」と夏引。
「犬塚様も元は名のある武士のようじゃ。嫁ぐ相手としては不足は無かろう。武田のお館様も有能な武士の仕官を求めていらっしゃる。機会を見て犬塚様をお館様に推挙致すとしよう。そうすれば二人が祝言を挙げるのに何の支障もない」
「何をおっしゃいます!こんなどこの馬の骨ともわからぬ男を!」
と夏引はまたがみがみ言い出す。
「いや、儂はそうなればいいと思って、最初から犬塚様を連れてきたのじゃ」
と木工作は言ったが、木工作は女房には弱いらしい。次第にがみがみと言われっぱなしになった。
「何よ、あんたこそ泡雪奈四郎って人と浮気してるくせに」
と海松は言った。
(あちゃー!そういうオチだったか)
佑月は思わず頭を抱えた。

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