80年代アメコミのモダン・エイジ Grim'n Grittyの時代

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 2012年、洋泉社の『別冊映画秘宝 アメコミ映画完全ガイド ダークヒーロー編』に書いたモノ。
 前回、『スーパーヒーロー編』のとき同様、「3000字で80年代アメコミを総括してください」という超難題をいただき、なんとかまとめたもの。ぜえぜえぜえ。
 とはいえ、80年代といえば、私が本格的にアメコミを原書で並行輸入してリアルタイムで読み出した時期なので、思い入れもひとしおのため、書かせてもらってうれしかったです。(^_^;)

 もちろんこの本も、今でもamazonなどで買えるので、未読の方はぜひご購入を!

『別冊映画秘宝 アメコミ映画完全ガイド ダークヒーロー編』
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4862489540/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4862489540&linkCode=as2&tag=fiawol-22

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 アメコミマニアのあいだでは、アメリカン・コミックスの現在、すなわちモダン・エイジが始まったのは一九八〇年代半ばとされています。
 それはDCコミックスが、フランク・ミラー原作の『ダークナイト・リターンズ』とアラン・ムーア原作の『ウォッチメン』を刊行し、『クライシス・オブ・インフィナイト・ユニバース』というクロスオーバーシリーズによって、DCコミックス世界全体のリブートをおこなったことによって始まりました。

 フランク・ミラーとアラン・ムーアという希有な作家二人が、その後のDCコミックスの、というより、アメリカン・コミックス界全体の趨勢を決めた年だった、と言っても良いでしょう。
 そしてそれは、端的に言ってしまえば「過剰な暴力描写に彩られた、アンチヒーローの時代」でありました。
『ダークナイト・リターンズ』も『ウォッチメン』も、かつての「清く正しい正義の味方」像から外れた、「リアルなスーパーヒーロー」像を追求した結果、ヒロイズムとビジランティズム(自警主義)との表裏一体な危うい関係を暴き出した傑作でした。そのテーマに沿う形で、その表現も、血しぶきがとぶ、従来のアメコミではほとんどみられなかった暴力描写に満ちあふれていたのです。

 この傾向の予兆は、すでに七〇年代半ばからありました。ムーアを始め、グラント・モリスンやニール・ゲイマンたちを輩出したイギリスのコミックス界では、『ジャッジ・ドレッド』や『ミラクルマン(マーベルマン)』といった、イギリスらしい皮肉の効いたアンチヒーローものが次々に生まれていましたし、アメリカでも『パニッシャー』や『X-メン』のウルヴァリンなどが、従来のアメコミヒーロー像とは全く違う暴力的なキャラクターであるがゆえに、読者の人気を獲得していったのです。

 それを可能としたのが、コミックスコードの有名無実化と、大人向け指定コミックの登場でしょう。五〇年代、「青少年の健全育成の妨げになる」として、アメリカン・コミックスは非難を浴び、その結果、コミックス・コードを制定して自主規制の道を選びました。ですが、それから十年、二十年と時が経ち、社会や文化が変化するに伴い、少なくとも暴力描写に関しては少しずつ規制がゆるくなっていったのです。また、表現が過激なものや内容が大人向けと出版社側が判断したものには、「大人向け」の指定をつけて出版することで、自由な表現を可能としていくという方法もとられたのでした。

 当時(八十年代)のアメリカは不況と犯罪の増加に苦しんでいました。技術的な分野で日本が台頭し、自動車や家電製品といったアメリカのお家芸だった産業が、日本に追い抜かれていった時代だったのです。また、政治的には、旧ソ連とのあいだの冷戦構造が、当時のレーガン大統領の強硬路線によって再び緊張を激しくしつつも、最後を迎えようとしていた時代でもありました。政治も経済も混迷する中、正義というものに対して懐疑的な人も多かった時代なのです。

 そんな中、『ダークナイト・リターンズ』や『ウォッチメン』に代表されるアンチ・ヒロイックなコミックスは、正義の意味を改めて問い直したり、あえて過激にヒーローの暴力性を強調してみることで、読者から圧倒的な支持を得たのでした。
 そしてそれは、『ダークナイト・リターンズ』の追い風を受けて公開されたティム・バートン監督の映画版『バットマン』(1989)のヒットも相まって、コミックスを日頃読まない一般層にまで、アメリカン・コミックスの成熟をアピールしたのでした。

 一方、従来のヒーローもの路線の中での大きな変化としては、クロスオーバーイベントの定着があります。元々クロスオーバーというのは、同じ出版社の違う作品同士で、互いのキャラがゲスト出演したり、時々ストーリーが交叉することでした。ところが、それが大きく発展して、『クライシス』のような、すべてのキャラクターが巻き込まれる大事件が起こる特別なミニシリーズをDCもマーベルも毎年のように企画しだしたのです。

 特にマーベルは、『X-メン』の人気がどんどん大きくなるのにつれて、スピンオフの新シリーズを増やしていくと共に、それらの雑誌のあいだでクロスオーバーを展開していくようになりました。これら、クロスオーバー作品のストーリーを追いかけるためには、何作もの雑誌を買い続ける必要があります。当時、コミックスの売り上げが一時的に大きく増していった一因は、このクロスオーバーにあったのだと思われます。

 ともあれ、八〇年代後半、アメリカン・コミックスは空前の売り上げを記録します。
 そんな中、当時の売れっ子アーティスト七人が、自分たちの出版社を立ち上げ、新たなオリジナル・ヒーローものを続々と発表します。それが、イメージ・コミックスとそのキャラクターたち(スポーン、ワイルドキャッツ、ウィッチブレイド等々)でした。イメージはDCやマーベルに対抗する台風の目となり、その勢いに影響されて他の中小出版社も新たなスーパーヒーローものを発表し始めます(ダークホース・コミックスのヘルボーイは、その中の一本でした)。

 かくして、九〇年代初めはさながら百花繚乱といった状態となったアメコミ界ですが、それも長くは続きませんでした。マーベルは自社の事業拡張を急いで逆に一旦倒産、イメージは分裂、ダークホースを初めとする中小出版社のヒーローものコミックスは軒並み撤退と、逆風が吹き始めたのです。あまりにも出版点数が増えすぎ、クロスオーバーを追いかけるのに読者が疲れてきたという点を指摘するファンもいました。

 そんな中、二〇〇一年にあの9.11同時多発テロが起こってしまいます。ニューヨークの真ん中で起こった大惨事に対して、当然ながらフィクションのキャラクターであるスーパーヒーローたちはあまりにも無力でした。「スーパーヒーローに何ができるのか?」という問いが、現実の世界から突きつけられてしまったのです。

 ここ数年、アメリカン・コミックスはようやく二〇〇一年の衝撃から立ち直りつつあるように見えます。そして最近では、DCもマーベルも、ヒーローものの基本に立ち返り、正義の味方らしいヒーローもののストーリー展開を目指すと言っていたりもします。

 モダン・エイジの開幕からすでに四半世紀以上が過ぎました。二〇一一年、DCコミックスは三度作品世界のタイムラインをリブートしました。一方のマーベルは、二〇一二年、映画『アベンジャーズ』で空前の大ヒットを記録しました。もしかしたら、新しいアメコミの「現在」は今この瞬間にも始まりつつあるのかもしれません。とすれば、今「モダン・エイジ」と呼ばれている八〇年代半ばから二〇〇〇年代の四半世紀には、そのうち全く違う名前がつくことになるでしょう。それが「セカンド・ゴールデン・エイジ(第二黄金時代)」なのか「ダーク・エイジ(暗黒時代)」なのかは、後世のファンたちの判断に委ねるしかないのかもしれません。

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