『十二国記』再訪「風の万里 黎明の空」篇

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 2009年から2010年にかけ4個に分けて発売された、テレビアニメ『十二国記』のブルーレイボックスに添付されたブックレットのために書いた原稿(文中の作品リストなどのデータ類は当時のものです)の第三弾。
 毎回、アニメ本篇の解説に加えて、原作を含む作品世界の背景解説や、作者紹介なども書いているので、けっこうなボリュームになっています(今回は、アニメ版の監督と脚本家のお二人についてリストつきで簡単な紹介をしています)。

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1.それぞれの正義

 本BOXにはアニメ版『十二国記』中でも最大のボリュームとなる『風の万里 黎明の空』が収録されている。
 本篇の主人公は、再び『月の影 影の海』の主人公、陽子となる。
 いや、実質的には、本篇における主人公的存在はさらに二人いる。一人は明治時代、奉公に出る途中虚海へと流れ着き、飛仙の下女となった大木鈴。もう一人は恵まれた地位から一気に引きずりおろされることになる公主祥瓊。彼女は芳国の峯王仲韃の一女だ。アニメ化にあたっては、一人が別の一人のエピソードのナレーターになるという方法で、それぞれの物語をスムーズにつないでいる。具体的には陽子は鈴の、鈴は祥瓊の、祥瓊は陽子のエピソードにそれぞれナレーションを付けているのである。
 このナレーションには場面転換をスムーズにする以外の効果もある。それは物語に客観性が与えられる点だ。本篇では三人の主人公はそれぞれに苦難の道を歩み、彼女たちは迷い、あがくことになる。彼女たちに寄り添った視点からこの苦難を描けば、まるで彼女たちは一点の曇りもない悲劇のヒロインのように見えてしまうだろう。だが『十二国記』がそのような物語ではないのは言うまでもない。そこで客観的な視点としてナレーションを入れることで、彼女たちを、時に間違った考えにもとりつかれる生身の人間として描くことが可能になるのだ。そして、生身の人間としての彼女たちが苦難の果てに何をつかむのか。それこそが『風の万里 黎明の空』の軸となっているのである。
 宮廷内の政治に翻弄される陽子。失道した王の娘として差別を受ける祥瓊。仙の暮らしに馴染めず過酷なイジメを受ける鈴。
 彼女らはそれぞれに過酷すぎる運命に翻弄されているのだが、『十二国記』の物語があいもかわらず厳しいのは、彼女らにも責められるべき心の弱さがあるということを容赦なく描いているところだ。
 陽子は知識と自信のなさから自分で判断をくだすことが出来なくなっているし、鈴は自分の境遇を哀れむばかりでそれに立ち向かおうとしない。祥瓊に至っては、自分がなぜ迫害されるのか、相手の気持ちにまったく思い至らずにいるのだ。
 もちろん、だからといって彼女たちがこれほどの苦労を背負い込まねばならないわけはない。問題は、その苦難にどう対処するかである。そのためには、他者の目に自分がどう映っているかに思い至ると同時に、他者の目を気にしすぎず自分の考えを押し通す精神力が必要となる。これは『月の影 影の海』における陽子の悩みと同じである。それを、立場や境遇の違う三人のキャラクター(その中には再び陽子も含まれているが)に振り分け、より普遍的な問題として提示し直しているのだ。

 本作における重要な登場人物はさらに二人いる。そのうちの一人が、『月の影 影の海』後半で姿を消し、行方不明のままだった浅野郁也だ。
 ここでの浅野は、十二国の世界はコンピュータRPGに似たなんらかの仮想現実的なゲームの世界であり、自分はそのプレイヤーになってしまったという考えにとりつかれている。そして、ゲームであるからには、なんらかの条件をクリアしてゲームを終了させてしまえば元の世界に帰ることができると信じて、それに必要なフラグやアイテムを探しているのだ。
 そこには、『十二国記』を含むいわゆる「異世界ファンタジー」と呼ばれるジャンル・フィクションとその愛好者の陥りやすい問題が秘められている。『十二国記』の原作はそれを逆手にとって暗に批判しているようにも読めるのだが、このアニメ版では、浅野と杉本というオリジナル・キャラを通して、この問題を顕在化させている。つまり、『月の影 影の海』における杉本はフィクションの世界に逃げ込んで現実を拒んでしまっていたし、ここでの浅野は、現実をフィクションとして読み替えることで自我の安定を図ってしまっているのである。
 それは、十二国の世界での過酷な現実から逃れるための妄想のようなものでしかないが、彼がそのような考えにとりつかれた背景には、何度かこのライナーでも指摘してきた十二国の世界の持つ不自然さがある。幾何学的な国の形、生殖を伴わない個体の発生、王と麒麟による統治システムなど、この世界の仕組みはあまりにも人工的すぎるのだ。
 このような、世界に対する不信感と世界そのものの不安定感が二重写しになる構造は、映画『マトリックス』やフィリップ・K・ディックのSF小説などと共通する、きわめてメタ・フィクション性の高い今日的なテーマであり、そこにはっきりと踏み込んでみせたところに、アニメ版『十二国記』の脚色の妙があると言えよう。
 再登場してからの浅野は、一貫して十二国記の世界をコンピュータロールプレイングゲームの世界、すなわち何者かの作った仮想現実として位置づけている。前巻のライナーでも指摘したが、もしかすると浅野の考え方は案外正鵠を射ており、十二国記の世界の謎を解く大きなヒントとなるかもしれない。
 とはいえ、ここでの浅野はもちろんそこまで深く考えているわけではない。単に周囲の過酷な現実を拒絶するため、架空のものとして斥けようとしているだけだからだ。これは、『月の影 影の海』編における杉本の抱いていた想いとよく似ている。杉本は、こちらの世界での現実を拒否するために、空想の世界へと逃げ込むようになっていたのが、十二国記の世界に連れてこられ、自分の空想が現実化したと勘違いしてしまっていた。つまり、杉本がこちらの世界を、浅野は十二国記の世界を、それぞれ拒否するために、現実から目を背けて空想へと逃げ込んでしまったのだ。そしてそれは、いかに過酷でも現実を見据えて行動しようとする陽子に対するアンチ・テーゼとなっているのである。

 そして、本作のもう一人の重要な登場人物が、最大の敵役である和州止水郷長・昇紘である。
 原作では、『風の万里 黎明の空』編の悪役たちのあいだではナンバー・スリーでしかない昇紘だが、アニメ版では性格設定が大きく変更され、十二国記の世界の矛盾をつくひと癖もふた癖もある重要なキャラクターとなっている。
 原作では、和州侯牙峰の子分格でしかなく、権力をカサに放蕩を尽くす愚鈍そうな人物として描かれている昇紘だが、アニメ版では独自の悪の哲学を持ったきわめて危険な男として描かれている。アニメ版全話を通して、原作ともっとも設定が変わったキャラクターであり、アニメ版の肝となる人物と言ってもいいだろう。
 十二国の世界を支配する法則に作為的なものを感じ、そこに矛盾を見いだしているという点では、昇紘は浅野と同じ(さらに言えば、陽子や尚隆も薄々気づいてはいる)だが、それに刃向かうためにわざと悪行を重ねているという部分に、このキャラクターの凶悪さと、その根底にある絶望の深さがうかがえる。
 結局のところ昇紘は、他人から押しつけられたからという理由だけで、善悪や倫理といった価値観を自ら放棄しているのだが、それはすなわち、本人の内部にしっかりとした倫理観がないことの裏返しだ。
 自らの意志で自覚的に「悪」であろうとすることを純粋な目的としているアニメ版の昇紘は、自らのうちに善悪の規定を持たない以外、陽子や尚隆と同等の世界観や精神力を持つ鏡像のような存在であり、最大の敵役にふさわしいキャラクターとなっているのだ。
 昇紘と浅野の会話の場面では、自分の悪の哲学に従って人間狩りを楽しんでいることをさらりと語ってみせる昇紘の「怖さ」、そして、(ゲームの世界に紛れ込んだと思いこんでいるのだから、人間がゲームのキャラに見えても仕方ないとはいえ)十二国の世界の人々の存在をリアルに感じられないでいる浅野の「危うさ」がよく出ていて、聞いていて思わずゾッとする展開となっている。
 この二人の病理は、実は十二国の世界より我々の世界の住人に近しいものだ。それはリアルな感覚の喪失と、それによる他者への共感の欠如である。
 アニメ版『十二国記』は、原作のテーマである「確固たる個人の精神的自立」の最大の障害として、リアリティと共感能力の欠けた「ひとりよがりで未熟な精神」を持ってきているのだと言ってもいいだろう。昇紘の怖ろしさは、精神の未熟さと意志の強さが同居しているところにある。

 また、昇紘は自らが悪を為すことによって、十二国記の世界を律する絶対的な力に対して反旗を翻そうとしているかに見える、という言い方もできる。
 姿を見せぬ「神」という存在の「天意」という、これまた目に見えぬものに縛られて生きることの矛盾を、登場人物中でももっとも自覚しているキャラクターだと言ってもいいだろう。
 だが、当然ではあるが、だからといって他者に向かって暴力をふるい、死をまき散らすことを正当化することはできない。
 また、それ以上に問題なのは、結局、一番「天意」に振り回されているのが、それを否定しようと必死になっていたはずの昇紘自身であるという点だ。「天意」を否定するために悪行を重ね、陽子たちに向かって「天すらも罰せずにいる私を殺せると思うか」とまで言い放っておきながら、反逆者たちの中に景王である陽子がいることを知った途端、「天の理は存在した。首を刎ねるがよい」と降参してしまう昇紘の態度は、一見潔いようだが、実際には彼が「天意」という概念を受け入れてしまっただけのことだ。
 もちろん、この作品における「天意」という概念は、我々の人生における「運命」というものと置き換え可能である。もし、本当に「運命」というものが決められているのなら、人はそれを受け入れるしかないのか。『十二国記』の物語は、「天意」というシステムが存在する世界(すなわち『十二国記』の世界)を仮定して、常にそれを問いただしているのであり、その答は、本篇をここまでご覧になった方々には自明のことであろう。

 先に書いたように、この「天意」というシステムの、あまりにも作為的なありようから、この世界がなんらかの「ゲーム」であると思いこんでしまったのが、浅野の不幸である。
 そんな浅野と陽子との再会と、二人の対話が、本作のテーマ的なクライマックスとなっているのはまちがいないだろう。
 この浅野と陽子の会話は、もちろんアニメ版のオリジナルだが、同時に『十二国記』の物語全体を貫いているテーマが直接陽子の口から語られる重要な場面となっている。
 ここで浅野は、十二国の世界から与えられた役割など捨てて自分たちの世界に帰ろうと、陽子に言うが、陽子は敢然とこれを拒絶する。
「役割を求めていたのは……あなたのほうだ。(中略)世界のせいにするな。(中略)……世界は役割など与えてはくれない。……誰にもだ……」
 陽子のこのセリフにこそ、アニメ版『十二国記』が視聴者に向かって発し続けていたメッセージが込められている。すなわち、人は自分の存在意義を、自分の力で見つけだすしかないのだ、ということだ。
 このことは、原作では、祥瓊と鈴の精神的成長を通して、間接的に語られているのみだったが、アニメ版では陽子の口から直接的に語らせることで、よりはっきりと作品の持つメッセージを提示している。
 実のところ、陽子は王に選ばれたから王として立派なのではなく、それを契機に王であろうと努力し始めたからこそ、王たる資格を持っているのである(王が失道するということは、つまり、王が王たる努力を止めるということなのだ)。陽子は、自らの意志で王(施政者)であろうとしているのだ。この一点が明確であるからこそ、陽子の物語は、凡百の貴種流離譚(実はどこかの王様や貴族の子供が、何らかの事情で卑しい身分として育てられるが、冒険の果てに自分の正当な家督を継ぐことになるというタイプの立身出世物語)と一線を画した現代的な物語となっているのである。

2.小林常夫/會川昇の世界
 本稿では、このアニメ版『十二国記』の監督、小林常夫と、そのほとんどのシナリオを一人で書いた脚本家、會川昇をご紹介したい。
 なんといってもアニメ版は、原作者である小野不由美のものであると同時に、それを映像という形に置き換えたスタッフたちのものでもあり、この二人こそ、その中核を担った存在だからだ。

 小林常夫は一九六五年、神奈川県生まれ。
『チンプイ』、『ちびまる子ちゃん』、『ミラクル☆ガールズ』といった子供向けテレビアニメの演出で活躍、『映画 忍たま乱太郎』(1996)で監督となる。
『十二国記』以降も『英國戀物語エマ』、『黒神 The Animation』といった原作つきのシリアスな作品の監督を勤めつつ、従来通り数多くの作品の各話演出・絵コンテを精力的に手がけていて、子供向けのコメディから、シリアスなドラマまで、まさにオールラウンドに活躍する演出家であると言えよう。
 その作風として、背景レイアウトの美しさや、人物の細かい芝居を評価するファンが多い。

 會川昇は一九六五年、東京都生まれ。
 高校時代に、テレビアニメ『亜空大作戦スラングル』でデビュー。それ以前から雑誌ライターとしても活動しており、「早熟の天才」として注目を浴びた。
 八十年代後半のOVA興隆期には、『大魔獣激闘 鋼の鬼』、『破邪大星ダンガイオー
』など、数多くの作品を手がけた。
 九十年代半ば以降は、『機動戦艦ナデシコ』を皮切りに、メインライター兼ストーリー・エディター(原作を兼ねる場合も多い)としてTVアニメを次々に手がけ、また、特撮ドラマも意欲的に書き続けている。
 その作風はコミカルからシリアスまで幅広いが、常に「善悪とは何か」、「正義とは何か」を視聴者に向かって挑発的に問いかける姿勢が特徴である。

『十二国記』アニメ化において、二人に共通していたのは、原作と真摯に向き合う姿勢だろう。
 會川は原作のテーマを咀嚼し、テレビシリーズの形態に合うように物語を再構成し、小林は『十二国記』の世界を形作る膨大な美術、人物といった設定を一つずつ具現化し、しっかりと映像に盛り込んでいった。
 そこに生まれたものは、紛れもなく小野不由美の『十二国記』の映像化であると同時に、小林常夫と會川昇のテレビアニメ『十二国記』でもあるのだ。

【小林常夫作品リスト】
監督作品
映画 忍たま乱太郎 (1996年)
ガラスの仮面 千の仮面を持つ少女 (1998年-1999年)
超GALS!寿蘭 (2001年-2002年)
十二国記 (2002年-2003年)
美鳥の日々 (2004年)
英國戀物語エマ (2005年)
英國戀物語エマ 第二幕 (2007年)
黒神 The Animation (2009年)

演出・絵コンテ等での参加作品
チンプイ (1989年-1991年、絵コンテ・演出)
ちびまる子ちゃん【第1期】 (1990年-1992年、絵コンテ・演出)
ヤダモン (1992年-1993年、絵コンテ)
お?い!竜馬 (1992年-1993年、絵コンテ・演出)
映画ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 (1992年、音楽パート担当【「星を食べる」】)
ミラクル☆ガールズ (1993年、絵コンテ・演出)
忍たま乱太郎【第2期】 (1994年-1995年、絵コンテ)
カラオケ戦士マイク次郎 (1994年-1995年、絵コンテ・演出)
魔法陣グルグル (1994年-1995年、絵コンテ)
ちびまる子ちゃん【第2期】 (1995年-、絵コンテ・演出)
ドラえもん (1979年-、OP絵コンテ【1995年4月~2002年9月放映版】)
YAT安心!宇宙旅行【第1期】 (1996年-1997年、絵コンテ・演出)
忍たま乱太郎【第5期】 (1997年-1998年、絵コンテ)
ドラえもん のび太の南海大冒険 (1998年、OPコンテ・演出)
YAT安心!宇宙旅行【第2期】 (1998年、絵コンテ)
忍たま乱太郎【第6期】 (1998年-1999年、絵コンテ)
天使になるもんっ! (1999年、絵コンテ)
キョロちゃん (1999年-2001年、絵コンテ)
NieA_7 (2000年、絵コンテ)
地球防衛家族 (2001年、絵コンテ)
シュガシュガルーン (2005年-2006年、絵コンテ)
IGPX (2005年-2006年、絵コンテ) ※須間雅人名義
苺ましまろ Original Video Animation (2007年、OP絵コンテ・演出)
BLUE DRAGON (2007年-2008年、絵コンテ) ※須間雅人名義
キミキス pure rouge (2007年-2008年、絵コンテ) ※須間雅人名義
デルトラクエスト (2007年-2008年、絵コンテ) ※須間雅人名義
シゴフミ (2008年、絵コンテ) ※須間雅人名義
クレヨンしんちゃん ちょー嵐を呼ぶ 金矛の勇者 (2008年、絵コンテ) ※須間雅人名義
隠の王 (2008年、絵コンテ) ※須間雅人名義
とある科学の超電磁砲 (2009年、絵コンテ) ※須間雅人名義

【會川昇作品リスト】
1983年
亜空大作戦スラングル(脚本)
1986年
時空戦士スピルバン(脚本)
1987年
特捜最前線(原案)
ミスター味っ子(脚本)
破邪大星ダンガイオー(脚本)
超神伝説うろつき童子(脚本、初期三部作のみ三陽五郎名義)
大魔獣激闘 鋼の鬼(原案・脚本)
戦国奇譚妖刀伝(脚本、但し鬼哭の章以降)
1988年
竜世紀(構成・脚本)
吸血姫美夕(脚本)
超音戦士ボーグマン(脚本)
冥王計画ゼオライマー(脚本)
燃える!お兄さん(脚本)
孔雀王 鬼還祭(脚本)
1989年
昆虫物語 みなしごハッチ(脚本)
獣神ライガー(脚本)
妖魔(脚本)
1990年
ウルトラマングレート(構成・脚本原案・日本語訳-この作品はオーストラリアで制作)
魔獣戦線(構成・脚本)
1991年
THE 八犬伝(企画・構成・脚本)
1993年
THE 八犬伝 - ~新章~(脚本)
疾風!アイアンリーガー(脚本)
1994年
勇者警察ジェイデッカー(脚本)
ぼくのマリー(協力、三陽五郎名義)
影武者徳川家康(脚本、四巻まで)
1995年
きまぐれオレンジロードOriginal(脚本・マスターの声)
獣戦士ガルキーバ(脚本)
爆れつハンター(脚本)
1996年
機動戦艦ナデシコ(ストーリーエディター・脚本)
1998年
南海奇皇(原作・脚本)
2000年
機巧奇傳ヒヲウ戦記(原作・脚本)
2002年
奇鋼仙女ロウラン (原案・ストーリーエディター・脚本)
十二国記(脚色)
2003年
爆竜戦隊アバレンジャー(脚本)
GAD GUARD(ストーリーエディター・脚本)
鋼の錬金術師(ストーリーエディター・脚本)
2004年
仮面ライダー剣(後半以降メインライター・脚本)
2005年
奥さまは魔法少女(企画協力)
劇場版 鋼の錬金術師 シャンバラを征く者(ストーリー・脚本)
2006年
轟轟戦隊ボウケンジャー(メインライター・脚本)
轟轟戦隊ボウケンジャー THE MOVIE 最強のプレシャス(脚本)
天保異聞 妖奇士(原作・脚本)
2007年
大江戸ロケット(戯作頭取)
獣拳戦隊ゲキレンジャー(脚本)
2008年
屍姫 赫(ストーリー・脚本)
炎神戦隊ゴーオンジャー(脚本)
炎神戦隊ゴーオンジャー BUNBUN!BANBAN!劇場BANG!!(脚本)
2009年
屍姫 玄(ストーリー・脚本)
仮面ライダーディケイド(メインライター・脚本 第13話まで)
十二国記(ミニドラマCD脚本:TVシリーズBD-BOX特典)

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