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【シルクロード9】吐魯番(トルファン)四 高昌国滅亡の残り香

 トルファン名物・火焔山の裏側が、そこはかとなくおっぱいだったことを確認できたその後……。
 かつて繁栄していた、沙漠の中の王国の遺跡を訪ねた。これもまた、ずっと憧れていた場所だ。

 ●高昌故城
 西暦六四〇年、シルクロード要衝の地である高昌国が、唐に滅ぼされた
 史実の三蔵法師・玄奘がその地を訪れてから、ほんの数年後のことだった。
 漢文化にあこがれ続けた国王・麴文泰(きくぶんたい)は、そのあこがれの中華帝国により、国を滅ぼされるはめになったのだ。
 麴文泰は若い頃に、唐王朝の前の隋の時代に長安(当時は「大興城」と呼ばれてた)を訪れて、その繁栄の素晴らしさに目を奪われた経験を持っていた。
 しかし、滅んだ隋に比べると、今の唐の長安の貧乏くささといったら……、
(唐なんて、大したことないな)
 おそらくそう感じたのであろう麴文泰は、唐をあなどっていた訳で、それが高昌国の滅亡の一因となったようだ。
 相手を見下し、油断していると、その相手が実力を持っていたことに気づいた時には手遅れで、今度は反発や憎しみに変わり、しまいには自分を滅ぼしてしまう……。

 それはさておき、まだ健在だった頃の高昌では……。
 麴文泰に無理やり招かれた玄奘は、予定のルートを変えてまで高昌を訪れた。
 ちな、わたしが解釈している玄奘の人物像はというと……前にも何度か言ってるので、重複になるけれど、
「仏教のためなら、何でもやる男!」
 である。
 仏教のためなら、当時、情勢不安定のために国境を出ることを禁止されていても、国法なんぞガン無視してインドへ出発しちゃう。
 仏教のためなら、帰国後に時の皇帝・李世民に「還俗して、朕に仕えよ」と言われても断り続ける。
 仏教のためなら、還俗は断りつつも、政権に取り入ることもまったく辞さない。政権の庇護と資金調達がなかったら、サンスクリット語で書かれた仏典の数々を翻訳する事業がまわらなくなるし。
 とにかく信念のためならなんでもする男、それが三蔵法師・玄奘なのだ。
 玄奘を尊敬するわたしでも、仏教のためすぎて、時折どん引きするような言動もするけど、信念の塊であるところに、強く惹かれる。

 さて、高昌故城。
 現代ではすっかり風化しつつも、かろうじてその姿をとどめている仏教寺院を眺めるにつけ、
「ああ、ここで、まさにわたしが立っているこの場所で、玄奘は仏教の講義をしたのかもしれない」
 そんな感慨にふけって、えもいわれぬ感動が湧き上がってくるのを、どうしようもなかった。
 憧れの人物がかつて「その場所の空気を吸っていた」と想像するだけで、その人の何かを共有できた気持ちにひたれる。

 あるいは、実際には玄奘が講義したのはこちらではなく、交河故城の方だった可能性もあるけど。

交河故城

●交河故城
 その高昌国が、はるばる数千里の彼方から遠征してきた唐の軍隊を迎え撃ち、籠城したのがこちらの〔交河故城〕となる。
 川の流れに挟まれ、軍艦のような威容をたたえる細長い城塞都市だ。
 もともと台地だったのを、くり抜いて作った都市だそうで、シルクロードの写真集を見ると、その城壁には確かに地層のような筋が走っている。
 かなり堅牢な、防備にすぐれた城塞だった……はずなんだけど、唐軍が持ち込んだ投石機には、手も足も出なかったらしい。
 そんなかさばる巨大な装置を、わざわざ運んでくる軍隊がいるなんて想定もしなかったろう。しかも唐と高昌の間には、広大な沙漠がひろがっているのだし。
 国王・麴文泰(きくぶんたい)は唐軍が押し寄せてくる事実を知ってショックを受けたか、病気になってふせって、そのまま戦端が開くより前に死んじゃうし、しょうがないから降伏しようと思って書状を送っても、つっぱねられるし、いざ開戦となる前に唐から降伏勧告が来て、今度は高昌側がつっぱねてしまうし──。
 あれよあれよの間に滅亡の憂き目にあったわけだ。
 つい先日までは、シルクロード要衝の地として交易が活発で、イケイケで繁栄していたはずなのに……。

 ところで、西遊記が大好きなわたしは、当然のように諸星大二郎の〔西遊妖猿伝〕も愛読している。
 で、諸星大二郎、実は想像と資料だけで描き続けていたらしいけど(すげえ!)、数年前ついに吐魯番(トルファン)へ取材旅行へ行ったのだった。
 この取材で得たことを、諸星大二郎はフルに〔西遊妖猿伝〕で発揮してくれた。

 ……のだけど。
 えと、諸星先生……高昌国の描写、さすがに風化させすぎなのではないでしょうか。
 人々が住んでた当時は、そこまでボロボロじゃなくて、建物とかもうちょいしっかりしてたと思いますよ……。
 なんて思いつつも、続刊を楽しみにしているわたしなのである。

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