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【シルクロード7】吐魯番(トルファン)二 郭くんの暴走バス

「僕はこの自転車で世界を一周するんだ。そしてこのカメラで1万枚の写真を撮るんだ」
 郭くんは目を輝かせて、愛車のロードレーサーと一眼レフを見せてくれた。

          ○

 ホテルのロビーで、現地ツアーを申し込んだ。
 で、翌日……。
「ひゃっほーーー!!」
 運転席から、わたしと同年代くらいの男子の嬌声が鳴りひびく。
 わたしは沙漠の中を暴走するバスに揺られて、一緒になって「ひゃっほーーー!」と叫んでいた。
 今、ハンドルを握っているのは、北京から自転車でやって来たという郭くん。
 社会に出る前に見聞を広めたくて、世界一周自転車の旅へ乗り出したと言っていた。
 つまり……わたしと同じく、ツアー客だったのだけど、どういう訳だか彼は運転席におさまり、とても楽しそうにハンドルを握っている。
「運転、楽しそう。僕にもやらせて」
「ああいいよいいよ」
 そんな軽いノリで、何とバスの運転手は乗客にハンドルを譲ったのだった!

          ○

 それまでは……砂塵にまみれたツアーバスは、ガタゴト揺れながらも普通に各所を回っていた。
 それらに関しては、とりあえず、次回に回すとして、今回の主役は郭くん。
 蘇公塔、火焔山、アスターナ古墳群、高昌故城、中国で一番ひくい場所にあるとされるアイディン湖をめぐり、次の葡萄溝へ向かう最中に、事件は起きた。
 後方の席にいたわたしは、前の方で学生くらいの男性客が何か運転手と交渉しているなー、とは思ってたけど、とりたてて気にもしていなかった。
 やがて……。
 妙に、車の走行っぷりが元気になったし、それに合わせてバスの揺れっぷりも元気になっていた。
 ふと見れば、さっきの男性客が運転を代わっているではないか!
 隣では本来の運転手が笑顔で、
「いいぞ、その調子だ! どうだ楽しいだろ!」
 いや待て、やんちゃすぎるだろ!
 他の客たちも事態の変化に気づいたのか、それまで大人しく席に座って黙っていたみんなは、一斉に騒ぎ始めた。
「おお、いいぞ、かっ飛ばせ!」
 日本であれば、即座に問題になるし、観光業者としての免状も取り上げられるに違いない。
 これでもし事故が起こったら、一体誰が責任をとるのか。
 そこまで思いをめぐらせたわたしは、だから敢然と立ち上がり、頭上の荷物棚へ捕まりながら大声を張り上げた。
「ひゃっほーーーー!!」
 完全にあかんことではあるけど、中国のこういうとこが好き。大好き。
 どうせ周囲は他に車が走っていない、沙漠のど真ん中だし。

 日本にいると、さすがにわたしでもこれは眉をしかめて、絶対ダメだろ、と思う。
 重大な事故につながることを、人の命をあずかる業者は絶対にしてはいけない。
 なのに中国にいると気持ちのモードが切り替わるのか、こういうシーンに遭遇するとテンションが上がる。
 現地が近くなってくると、他の車両もあるし、建物もあるし、さすがに正規の運転手に交代となったけれど。

          ○

 次の目的地、葡萄溝にて。
 やんちゃな郭くんは、またも伝説を作ってくれた。
 ガイドに案内されつつ、葡萄をたんまり食べて、かつ葡萄畑を見て回っていた最中。
「走れ!」
 突如として、前をゆく郭くんがダッシュを始めた。
 訳もわからずわたしや他の客も、きゃっきゃ騒ぎながら全力疾走を開始。
 乾いた大地の、緑の楽園を駆け抜けるのは、なんとも言えない気持ちよさ。

 ……ふと、背後に妙な違和感をおぼえて、走りつつも振り返ってみると。
「お前ら待て、止まれや!」
 顔を極限にまで赤くそめあげた農夫が、棒きれを振り回しつつ追いかけてくる!
(やべえ、うちらは禁忌を破っちまったようだ!)
 そりゃそうだろう。
 自分の畑で、観光客がいきなり走り回るなんて無法をはじめたら、その主は激怒するに決まっている。
 ここで止まればいいものを、農夫の激怒っぷりがあまりに激しすぎて、とにかくもう逃げることしか頭にない。
 わたしの視界で、旅の相棒のプチ子が捕まった。
 その後、どれだけ疾走しつづけたものか……。
 数分後、郭くんをはじめとする疾走犯たちは、畑の隅っこで、農夫の説教を食らっていた。

 主犯格が郭くんであることは、みんなの証言ですぐ判明したので、叱責筆頭は郭くんである。
 農夫の奥さんらしき人が、とにかくなだめようとしてくれているのが救い。
 全員でひたすら謝ったものの、どうにも怒りがおさまる気配がない。
 悪いのは100%こちらであって、生活の糧をみだす狼藉をされた農場側としては、どうあっても許し難い行為だった。
 とはいえ、さすがに郭くんばかり集中砲火を喰らうのが見ていられなくて、わたしも、
「ほんとうにすみません。でも、そろそろ彼を許してあげてください」
 と割って入ったその転瞬。
「お前は黙ってろ!」
 葡萄畑の主人が、こつん、わたしの額へげんこつを当てた。
 こちらは女子だし、さすがに加減した軽いげんこつではあったけれど、そのせいで、むしろ絶妙な加減となって、わたしの眼鏡を吹っ飛ばした。
 それは放物線をえがいて、褐色の大地のどこかへ転がり消えてしまったのだ。

 沙漠はつねに砂塵が舞っているので、コンタクト(ハード)はとても不利。
 ほんの微細なゴミが目へ入るだけで、猛烈に痛くなる。
 だから、西安を出発してからずっと、眼鏡に切り替えていた。
 その、我が視力をつかさどる眼鏡が、忽然と消失した。
「メガネ、メガネ……」
 おろおろ、うろうろと地面をさぐるわたしの姿に、農夫の奥さんがまず手伝いはじめてくれて、他のみんなも探し始めて、しまいには怒りの農夫も一緒になって捜索してくれることに。
「あったよ!」
 奥さんが、道端の草の影に隠れていた眼鏡を発見してくれた。

 郭くん、さすがに悪いと思ったのか、
「ごめん、あとで薬をあげるから」
 実に、申し訳なさそうな、イタズラ男子ならではのシュンとした顔で気遣ってくれた。
 うん、この反省した表情。明日にはきっとまた別の悪戯を考えついてはしゃぐやつだ。

          ○

 ツアーが終わったのは、21時30分。
 実に13時間にもおよぶツアーだった。
 さすがにお腹が減ったので、ホテルで一息ついた後、市場へ出る。
 そこで、さっきの騒動をすっかり忘れたかのような楽しげな顔つきの郭くんが歩いていて、お互いに気づくや、一緒に仲良くご飯を楽しむことになった。
 羊肉の串焼きへ豪快に食らいつきながら、
「でね、僕は自転車で世界一周をしてね、このカメラで1万枚の写真を……」

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