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好みと完成度は違う


中華でこんな感じのを見ると、あー無理無理といつも思う。むせかえるような辛さがとにかく苦手。無理して食べようものなら翌日大変なことに。何度も経験している。舌が痺れて3日は味覚が狂う。

揚げたアカムツを山椒を炒ったなかに埋め込んだ一品。山椒のピリッとしたのが苦手で、四川料理の辛すぎるのも避けているくらい、見た目でダメかなと思った。しかし、大丈夫だったと言うには失礼すぎるほど、おいしかった。どこからこの発想が降りてきたのか。聞けばスパイスの方とコラボしたとか。なるほど、そういうことかと。

前田さんの代名詞ともいえる「エボダイ」、見事な揚げっぷりだ。脱水しているので中に油が入らない。カウンターに陣取った食べ手のプロたちの心を一気に持っていった。

揚げれば僕にはなんの魚か撮った写真を見直してもさっぱり分からない。たっぷりの大根おろしで食べると悶絶のおいしさだった。

志村さんの向こうに前田さん(サスエ前田魚店)の仕事が見える。例えばカサゴは、揚げているときに湯気が上がらない。僕はなんとなく理由が分かったが、答え合わせする間もなく、志村さんが、脱水できてる証拠だと話してくれた。

地産地消という言葉にわくわくしない。地方へ行けば行くほど地産地消色が強い。地元の人しかわからないような知名の野菜を出されても、だから何?って言うのが正直なところ。すごくおいしければ別だが、そういうのに出会うことが少ない。

スーパーの野菜だって、育てた方がいるわけだし、それをおいしくするのがプロの料理人だと思う。つまり、地のものであれ、スーパーのものであれ、料理人が食材を活かしきれていないだけなのではないのか。

静岡に「成生」という天ぷら屋がある。魚屋の技術と揚げ手の技術が融合した唯一無二の天ぷらが食べられる。

この日、我々の予約は12時なので11時50分に入店した。志村さんはいない。前田さんが港から戻るのを待ち構えて魚を受け取り、開店ギリギリに帰ってきた。

8席のカウターで繰り広げられる料理は、天ぷらの枠を超えて、志村さんの料理というほうがしっくりくる。それにしても、行くたびに進化しているからすごい。

僕は食関係の知り合いが多いので、ありがたいことに予約困難店から無名の店までお誘いいただく機会に恵まれている。無名の店でもすばらしい料理に出会うこともあれば、評価の高い店でも、僕には合わないこともある。これは好みの問題でけっしておいしくないわけではない。

好みと完成度は違うのだから、それも含めて楽しむ余裕が食べ手には必要だと思う。好みと合わないだけで、ダメのらく印押す必要はない。それは良い食べ手とは言えない。シェフの人柄やサービス、料金はまた別の話ではあるが。

ありがとうございます!