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それは自分の中では「モブ」じゃない。

 少し前にバズっていたこの記事に引っかかりを感じていた。
「『モブ』ってそういう意味じゃないんじゃないか」と思ったのだ。

 ↑のたにしさんの記事を読んで、自分がどこに引っかかっていたかがわかった。

 自分が考える「モブ人生」は、「ベルセルク」のコルカスのような人生だ。(コルカスはモブではないが「主人公でもない、主人公サイドの主要登場人物でもない人生」という意味)

 そこで勝利者になれるのは、ほんの一握りの人間だけだ。大抵の人間は、自分の力量や器と自分の置かれた現実に折り合いをつけて、何とかやっていくもんなんだ。
 夢さえあればいいなんて言っているヤツはよくいるけどな、オレはそういう野郎を見ると虫唾が走るぜ!(略)
 実現しない夢なら寝言と一緒だ! 馬のクソ以下だぜ!

(「ベルセルク」三浦建太郎 白泉社/太字は引用者)

 このセリフ、今でも読むと胸が熱くなる。


 今まで何もしてこなかったおっさんが急に生産的な趣味に目覚めても、周りの生産性との差を自覚して惨めな思いするだけでしょ。

 増田のこの言葉は、

 そこで勝利者になれるのは、ほんの一握りの人間だけだ。
 大抵の人間は、自分の力量や器と自分の置かれた現実に折り合いをつけて、何とかやっていくもんなんだ。

 コルカスのこの言葉と一見同じに見える。
 でも違う。
 コルカスは(このあとジュドーが言うように)「小さいながらも自分の(十倍角)夢」を持っていた。
 自分だけにとって価値がある自分の夢を持っていた、それをかなえようとしてかなわなかった。

 自分固有の夢を持って、その夢をかなえようと生きて、それがかなわない「自分のおかれた現実」を自分の目で見て、そういう自分と折り合いをつけて生きることを選ぶ。

 これが自分が考える「モブ人生」だ。
 自分の感覚で言うと、それをしていない人間はモブではなくそもそも物語に登場していない。

「生産的な趣味を持て!」とか言われるだろうけど、生産的な趣味で承認されるほどのスキルがあったらこんなことで悩んでいないのよ。
今まで何もしてこなかったおっさんが急に生産的な趣味に目覚めても、周りの生産性との差を自覚して惨めな思いするだけでしょ。

 増田はこう書いているが、これは話が逆だと思う。
 どんな凄いスキルがあったところで始める前は認知されないのだから、承認されるはずがない。
 他人が承認を与えてくれるのは結果を出した時だ。始めなければ結果は出ない。(当たり前だけど)
「他人から承認されないと始めるほどの自信が持てない」ということを解消するのは不可能だと思う。
「結果という根拠がないから自信がない」
 これが普通のスタート地点で、何事もここから始めるしかない。(禅問答みたいだな)

「自分のおかれた現実」を自分自身の人生をかけて実感していないということは、モブでなくまだ役柄が決まっていない。
 
今ならネットがあるから趣味活動でも何でもやりやすいし、やってみればいいのにとも思うが……まあ他人が口出しすることでもないな。「お前の人生だけを気にしておけ(自分の人生に集中しろ)」だ。

「増田がモブじゃないと思うのは何故か」という自分の中の疑問をすっきり解決できたことに満足した。
 
コルカスのことを久しぶりに思い出したが、やっぱり好きだなあ。

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