創作をする上で、「他の創作の感想を書くこと」がとても役立った。
この増田を読んで、ちょっと「?」と思った。
新人賞を取った人に嫉妬している?ということは、「世間に評価されたこと、売れていること」への嫉妬ではなく、その土俵に立てたことへの嫉妬ということ?
でも今は、小説でも漫画でも音楽でもゲームでも個人で公表できる時代だ。公募を通らなければ他人に読んで(見て)もらえる可能性が皆無な時代とは違う。
「評価されるかされないかの土俵に立つこと」だけは(評価されるかどうかはともかく)とりあえず誰でも出来る。
増田を書けるということは、忙しすぎてまったく時間が取れないわけではないと思うので、ショートショートでも一枚漫画でもとりあえず描いてSNSやプラットフォームに投稿すればいいのでは。
「創作が出来ない理由」が書かれていないので、やらない理由がよくわからなかった。
閑話休題。
増田を読んでいて、ブログやnoteで創作の感想を書いたり、キャラの心情を考えたりしたことは、自分が創作を書く上で凄く役に立ったなとふと気づいた。
この作品はここが好きだなあ、ここが凄いな、この流れ良いな、この伏線の回収しかたがいい、この構図とこの構図はかぶっているのか、これはこのキャラの心情の暗喩じゃないかな、時には「ここがちょっとな」「自分だったらこの部分はこうするのにな」(あるあるw)と考えて、考えたことをアウトプットしたことがどこがどうと言うわけではないけれど、創作をすることに生きている感覚がある。
「なぜこれに気付かなかったんだろう」と思った。
「これ」が何かと言うと難しいのだが、あえて言うと「自然さ」だ。(自分が過去の自分と比べて感じているだけで、他の人の目で見ればどうということないことだと思う)
他の人の作品を読んだ(見た)こと、そしてそれについて自分がどう思ったか、その物語をどう見たかを定期的にアウトプットし続けたこと。
それが自分の中で「こういうことを書いてみたい」「こういうことを試してみたい」というエネルギーになった。
とりあえず書いてみて、「こうしたほうがもう少し面白くなるんじゃないか」「読みやすくなるんじゃないか」と、自分が出来得る限り色々な視点で読み直す。
少しでもよく出来ないかと考えることも楽しい。
自分にとって自分で創作をすることは、
①自分の好きなことを書ける。
②それを少しでもよくしたい、と考える過程を楽しめる。
③自分の好きな作品を読める。
④それの感想を考えたり、評価して楽しむことが出来る
と一石四鳥だ。
自分で書いたものを少し時間が経ってから、いつも感想記事を書いている時の視点で読み直すと軽く死ねる。
読むこと、書くこと、考えることは自分の中で、同じくらい楽しいことだ。
ブログもnoteも創作も読んでもらえるだけでめっちゃありがたいし、多少でも楽しんでもらえたら凄く嬉しい。
自分は趣味を一人で楽しんできた期間が長いので、
「まったく知らない人が、自分の文章を読んでくれる」
だけですごい奇跡のように感じられる。
だから上記増田を読んでも「楽しいからやればいいのに」と思うけど……まあ余計なお世話だろうな。
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