【「マヴァール年代記」キャラ語り】冷酷なマキャベリスト・ヴェンツェルの魅力に、今さら気付く。
ン十年ぶりに読み直して、「マヴァール年代記」は心理小説だったことに気付いて衝撃を受けた。
その続き。
今回読み直して、ストーリーと同じように、ヴェンツェルというキャラも子供のころとはまったく違う風に感じられて驚いた。
びっくりするくらいヴェンツェルを好きになった。
子供の時は「アルスラーン戦記」のナルサスに近いタイプに感じられて、どちらかと言うと苦手だった。
今読むと、少なくともナルサスとはまったく違うタイプのキャラである。
◆ヴェンツェルは悪党である
ヴェンツェルは一般的な意味で悪党だが、特異なのは田中芳樹の他の作品に通底する倫理観(美学)に抵触するタイプの悪党であるところだ。
「ヴェンツェルが本質的にどういう人間か」への言及は、リドワーンのこの言葉だけだ。
作内視点だけで読むと「本当は悪い人間ではないが、無理して強がっている」というニュアンスがある。
だが違う。
感想記事でも書いたが、ヴェンツェルは本来は手段を選ばない冷酷で利己的な悪党だが、物語の都合上、自己の本質である「悪党」の要素をラザールに奪われてしまっている。
リドワーンの台詞はそのことを示唆しているのだと思う。
作内でヴェンツェルがやっていることは、ラザールがやっていることとほぼ同じだ(だからヴェンツェルがラザールの一枚上手にいける)
ラザールの描写が本来のヴェンツェルの姿なのだ。
◆ヴェンツェルは意地が悪い
ラザールと重なる「悪党であること」にプラスしてヴェンツェルは底意地が悪い。同じことをやるにしても、わざわざ相手の神経を逆なでしたり小馬鹿にするような方法を取る。
狂信的な人間である銅雀公シャラモンを陥れる時は、シャラモンに「肉食をすると魂が穢れる」という思想を吹き込み領民に肉食を禁止させ、恨まれるように策を仕掛ける。
策が当たると、自分の思い通りに動くシャラモンのことを馬鹿にして面白がる。
田中芳樹の別の作品の主人公たちだと、その策が最も効果的だとしても、まずは領民への被害を考える。やるしかないのだとしても、そこに葛藤を持つ。
しかしヴェンツェルはそんなことはまったく気にしない(ヴェンツェルは何事に対してもほとんど葛藤を持たない)
策を弄する時は実益しか考えず、しかもその実益の中に「自分にとって面白い方法で」という趣味まで含まれる。
ラザールに流言を流された時は、同じような内容の流言をそっくりやり返す。
そうして思い通り自分の策にハマった人間を、最大限馬鹿にする。
ヴェンツェルのことを描写する時に「冷嘲」という言葉が出てきたが、これほどヴェンツェルにピッタリの言葉はない。
冷笑でも足りない、嘲笑でも足りない。その二つが掛け合わさったものを、自分の駒だと思った人間に容赦なくぶつける。
そういう人間である。
ちなみに自分が見下している人間は、殺す時まで見下したり、からかったりふざけるという特性はラザールも共有している。
こうして並べてみると、ヴェンツェルとラザールは本当に似ている。同じ人物の台詞だと言われても違和感がない。
◆ヴェンツェルの思考は端的である
「マヴァール年代記」の中で自分が一番ヴェンツェルをよく表していると思ったのは、ゾルターンに向かって放ったひと言だ。
凄く端的だ。
ゾルターンの哀願に、これ以下の説明だと足りないけれど、これ以上の言葉はいらない、という絶妙のラインで返答をする。
他のキャラであればもう少し何か「なぜ殺すのか」を話すと思うが、これしか言わずに即座に殺すところがヴェンツェルである。
◆ヴェンツェルは面白いことを思いつくと黙っていられない
これだけだとただの性格が悪い冷酷な悪党だが、ヴェンツェルには面白いところがいくつかある。
ひとつは本人も自覚しているが、思ったことをすぐに言ってしまうところだ。
もちろん好きな相手と嫌いな相手では内容自体は違うが、相手が誰かに関わらずヴェンツェルは「自分が思いついた面白いこと」を基本的に黙っておれずすぐに口にする。
陰謀家なのに「それはわざわざ言わなくていいのでは」と思うことも言う。しかも悪趣味でふざけすぎて妹や側近に苦言を呈される。
独り言も多い。一人で言って一人で面白がっている。
◆ヴェンツェルは意外と素直
もう一つは、意外に素直なところだ。
ヴェンツェルは考え方が徹底してロジカルなために、感情的な人間の思いもかけない言動に翻弄されることが多い。
ストゥルザがアンジェリナを監禁したことやドラゴシュがエルセベートに求婚したことは、ヴェンツェルにとっては計算外だった。
ヴェンツェルが底意地が悪い利己主義な悪党でも憎めないのは、他人と同じくらい自分自身のことも厳しく批判的な目で眺めているからだ。
自分が状況を読めずに後手に回った時は、容赦なく「自分の知恵などたかが知れている」と評する。
この辺りのある種の公平さが、ヴェンツェルにあってラザールにないものだ。
小説の描写だと余り伝わってこないが、弱々しい外見と野心に燃える苛烈で冷徹な中身のギャップもいい。
漫画か映像で見てみたいなと思う。
◆ヴェンツェル個人の物語が読みたかった。
本編の感想記事で「ン十年ぶりに読んで、ヴェンツェルとカルマーンがお互いの鏡像であることに初めて気づいた」と書いた。
よくよく考えて見ればストーリーの一番大元であるカルマーンの父殺しを知っている(知った)のは、カルマーン本人以外はヴェンツェルだけだ。ヴェンツェルはその事実を最後に明かして、カルマーンを断罪する。
その構図ひとつを見ても、カルマーンの鏡像としての役割が大きかったんだなあと思う。
それはそれで物語として最高に面白かったが、全三巻のカルマーンの自己葛藤の物語のための鏡像で終わらせてしまうにはヴェンツェルはもったいないキャラだ。
ヴェンツェル個人の物語が読んでみたかった。
◆余談:リドワーンについて
ヴェンツェルとは逆に、子供の時以上に「何だかな」と思ったのがリドワーンだ。
一番「?」と思ったのが、死んだ父親が夜な夜な枕辺に立って恨み言を述べる幻覚に悩まされるフェレンツに相談された時の対応である。
「親が子を恨む、子が親を恨むなどということは聞いたことがない」と一般論で返すのだが、一般的な親子ならこれでもまあいいと思う(正直言うとそれでもこの返しはどうかと思うが、話がややこしくなるので割愛)
だがフェレンツは、殺されても構わないと父親に思われて敵方であるカルマーンに送られた、いわば父親に捨てられて裏切られた子供だ。
大人になった今読むと、父親に捨てられた子供に「父親が化けて出てくることに悩んで眠れない」と相談されたら、もう少し実際的な、もしくはその子特有の状況に寄り添った回答をしないかな?と思ってしまう。
この時のフェレンツへの対応がリドワーンという人間をよく表している。ストーリーの構図上仕方がないかもしれないが、カルマーンやヴェンツェルにの心情に気付いていながら何も言わないのも、何だかなと思う。
そのわりには言わんでいいことは言う。
子供だった自分にさえ、この独白が「餅はモチモチしていてもっちもち」くらい意味のない迷言だということはわかった。
久しぶりに読むと破壊力が凄いな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?