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【ゲーム考え事】ゲームという構造が生み出しやすいもの

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 以下の文章は全て個人的な見解です。権利者の方々による指摘や、個人的な気付きによって、予告なく変更・削除する可能性があります。




前提

  • (狭義の)ゲームに関しての内容。

  • あくまで個人の考えや感想が主体。

  • 主に用語の用法などは過去の記事参照。



目的

 狭義のゲームが、『選択・影響・評価』を行うものだとするのであれば、その性質と関連性のある感情は引き出しやすいはずであり、ゲームを製作する際に、それを参考にすることができるはずである。

 それらを考えることによって、より自身にあったゲームを見つけたり、デザインしたりしやすくすることを目的とする。



定義

 ゲームと一口に言っても、その範囲はあまりにも広い。そのような広範な領域を対象として考察を行っていても、考えの密度を保つことは難しい。そのため、本記事では筆者が勝手に定義した狭義のゲームのみ取り扱う。

 ここでも簡単に記載すると、狭義のゲームには『選択・影響・評価』があるとする。

 つまり、プレイヤーからの何らかの入力があり、それをゲーム側で処理し、何らかの出力が生まれる。そして、それは最終的には評価に繋がり、多くの場合には勝敗や、ゲームクリア・オーバーと言った形に収束する。(狭義のゲームにおいては、優劣関係のある出力が発生することを前提とする)

 また、フレーバーやストーリーというような内容は、現代的なゲーム製品として見た時に、かなり重要であることは十分に理解しているが、本記事ではそれを取り扱わない(内容が広範になり過ぎるため)。

 加えて、紛らわしいのだが、シミュレーションについても分離する。ゲームとシミュレーションは共通の特徴を多く持ち、実質的には同一化している部分も多い(言うまでもなくシミュレーターはゲームの大きなジャンルの一つではある)。しかし、ここでは狭義のゲームには含まれないとする。



生み出しやすいもの

 まず、上記のような定義による狭義のゲームには、その定義上、生み出しやすい感情があると考えられ、それについて考えたい。(下記にゲームと記載されている場合、基本的にはそれは狭義のゲームを指す)

 また、前提として、多くの人々はこれらを複数求めていて、その重要度が異なる程度であることが多いと思われる。(好み、あるいは感受性のレーダーチャートがあるようなイメージかな、と思っている)

 あるゲームの何かの機能や、メカニクスが特定のどれかにだけ働いている、ということは少なく、多方面に影響を与えているはずだ。下記の異なる項目を突き詰めているが、ゲーム的に行っていることは同じ、ということもあるだろう。

 加えて、少し話はずれるのだが、以下のような感情によって、さらに生まれる感情(メタ感情?)や、ゲームを趣味とする・プレイする、ということ自体によって生まれる感情もあるとは思うが、これはゲーム構造から生まれた感情ではない、ということで一旦、本記事では取り扱っていない。


上達(学習)

 『選択』の結果として『評価』がされるのであれば、それをなるべく上げたいという感情も生まれやすいだろう。

 『選択』と『評価』を結ぶためのルール(処理)が存在しており、それによって上達がしやすくなるとも考えられる。

 『勝利』との違いは、あくまで自身の上達にフォーカスしていることだ。

 たとえば、格ゲーと音ゲーの違いとか、格ゲーと「SEKIRO」のような高難度アクションゲームとの違いとかを見ればわかりやすいだろう。ゲームの評価を上げるために自身の技能を高めるのか、相手に勝つこと自体にフォーカスしているのか、という違いになる。逆に言えば、音ゲーであっても、ランキングで上位を取る、というようなことを目的とするのならば、もちろん、それは『勝利』を求めていると言える。


勝利

 複数人による対戦型ゲームであれば、『評価』というのは勝利という形で与えられ、他のプレイヤーは敗者となる。一人用のゲームだとしても、スコアやクリア率などを他のプレイヤーとそれを比べることはできる。

 よって、ゲームは『勝利』を与えやすい構造を持っていると言える。

 上達との違いは前述したように、自身とゲームとの間に発生する絶対値に着目するか、自身と他プレイヤーとの間に発生する相対値に着目するか、という差である。

 たとえば、対戦型のボードゲームをプレイしていたとしても、以前のプレイよりも勝利点が高いことに(その差には色々な意味合いがあるとしても)喜びを見出すのならば、それは勝利というより上達に着目しているだろう。


経験(実績)

 まず、多くのゲームにおいて、『選択』は複数回行われる。そして、『選択』は次の『選択』に『影響』を及ぼす、という構造になっている。

 これによって生まれるのは、膨大な状態(ゲーム木)だ。

 様々な状態が生み出されうることによって、それを経験したい、自身のものとしたい、というような感情は生まれやすくなると考えられる。

 例としては、実際に各ゲームに実装されている実績だ。特殊な状態や、あるいは、デザイナーによっては想定もされていないような奇妙な体験を求めたり、自身の好きなことを経験して満足したり、ということをする。

 また、クエストのようなものも、広義的にはこの実績に含まれる側面がある、と考えている。


発見

 同じように膨大な状態があることによって、未知の状態が生まれやすくはなる。この未知は、そのプレイヤーにとって、全プレイヤーにとって、デザイナーにとって、そのどれなのか、というのは個人差があるだろうが、未知のものを知りたい、という好奇心が存在するはずだ。

 未解決性がないものをパズルと呼び、未解決性があるものをゲームと呼ぶのであれば、ゲームには必ず未知の部分があることになる。

 よって、その未知を知りたいという感情が生まれやすくなるはずだ。

 (あくまで、本記事におけるという意味だが)研究との違いは、未知の部分に着目している、ということだ。未知のものを探るために、結果として既知の部分を研究することはあるが、それはあくまで手段である、と考えた。


研究

 同じように未解決性を持つのであれば、ゲームのルールやデータは十分な複雑性を持つことが多いと言えるだろう。

 よって、これらを深く知りたいという感情が生まれやすくなるはずだ。

 (あくまで、本記事におけるという意味だが)発見との違いは、既知の部分に着目している、ということだ。既知のものを解析していった結果として未知のものが見つかるかもしれないが、それはあくまで副産物だ。


問題

 最終的に『評価』に繋がる『選択』があるとするのならば、その状態を問題として考えることができるはずだ。

 つまり、ある種、自動生成された問題のドリルのようなものだ。その問いを解きたい、という気持ちが生まれやすいと考えられる。

 (あくまで、本記事におけるという意味だが)発見や研究との違いは、その問題自体の正否を気にしている、ということだ。未知や既知への探究ではなく、単に問題を解きたい、という気持ちである。

 上達や勝利との違いは、これ自体が技量を上げるためのものではない、ということだ。絶対値でも相対値でもなく、単にその問題自体を解くということにフォーカスしている感情である。

 つまり、たとえば、(事実的には不可能に近いが)他のゲームプレイと完全に分離していて、他のプレイヤーが存在しなかったとするのであれば、発見・研究や上達・勝利の感情は得られないことになるが、問題を解くことはできる、ということになる。

 この『問題』こそが、筆者がゲームをプレイしてる最も大きな理由であり、これが他の感情と誤解されることによって、絶妙に好きなゲームが減っているという感覚があり、一連の記事は、それらを明確化したい、という意図が含まれている。



加えて生み出しやすいもの

 『選択』『影響』『評価』という軸から少し視線を広げた時、別の軸の構成要素として『パズル』(ここのパズルは未解決性云々とは関係がないので用語を変えるべきかもしれないが過去の記事に従っている)『インタラクション』『ランダム性』である、という考えがある。

 これらによって生まれてやすくなっている感情も、多くの狭義のゲームで見受けられていると考えているので、ここで考えてみる。


交流

 デジタルゲームが一般的となり、巨大な市場となった今ではわかりにくいことではあるが、狭義のゲームを考えた時、多くの場合でゲームは複数人によってプレイされる。伝統的なゲームも、その多くが2人用のものだ。

 よって、必然的に人物間での交流が生まれる。

 また、これはメタ感情としても生まれやすいものでもある。同じゲームが好きであるとか、切磋琢磨する仲であるとか、研究仲間であるとか、ゲームをきっかけとして交流が発生する機会は山のように存在する。

 そこにフォーカスしたゲームも十分に存在している。


射幸心

 『ランダム性』が存在し、『評価』が得らえるので、結果として射幸心が煽られるような構造にすることは容易だ。

 ゲームが賭博の対象になることは多く、被り合った領域が存在する。

 狭義のゲームに含まれるような形(加えて、様々な要因があることがほとんどだが)でも、射幸心を得らえるような構造にはしやすい。

 また、これは話が広がり過ぎるので、端的な言及に留めるが、その確率に対して影響を与えられる、という感覚が、射幸心に由来する中毒性により影響を与えており、これはゲームがなしえやすいものだと考えている。



結言

 (狭義の)ゲームという構造が生み出しやすい感情があると思っており、その種類を理解することによって、それらを満たすようにデザインしやすくなるのではないか、と考え、まとめた。

 もちろん、これがすべてを網羅できているとは思っていないし、異なる分類の仕方もあるだろう。境界が曖昧なものも多く、あくまで、筆者視点での分類をするとこのようになる、という形になるし、他視点でのそれも見てみたい・聞いてみたいというのが率直な感想だ。

 何かのきっかけとして使用していただければ幸いである。

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