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わてほんまによう言わんわ

今日は阪神の話題になります。
いや、そらそうよ。
はっきり言うて。
だってね、ファン歴は45年目ですよ。
いや、正直言うとね、それはね、あんまり覚えてないんですよ。
だってね、生まれた時からファンや言うても実際には違うやんか。
だってまだなんにもわかってへんねんもん。
でもね、これ言うと全く信じてもらわれへんのやけど、俺ね、生まれて数ヶ月の頃の記憶あるんよ。
いや、厳密に言うとずーっと頭の中にある記憶があって、これが夢で見たことやったんか、実際あったことやったんか、なんか分からんかったんやけど、親戚一同集まったときにその話したら全員ポカンとしてな、「あんたそれ、あんたが生まれてから何ヶ月か経ったころにホンマにあったことやんか」言われたんよ。
だからね、俺ね、生まれた時の記憶がある、いう三島由紀夫くんにシンパシー感じとるんよ。
チンパンジー違うよ。
シンパシーね。
そらそうよ。
なんの話やったっけ?
あ、いつから阪神ファンやったかっていう話ね。
厳密にはね、三歳の頃は親父が寝転んで野球観てんのは知ってたけどね、だから、野球というスポーツの存在は知ってたよね。
「サヨナラホームラン!」ってアナウンサーが叫んどって、どういう意味やろ?思ってたわな。
サヨナラいうことはこのまま走って家に帰るんかな? 思ってたわな。
それぐらいやった。
で、阪神タイガースの存在を知ったんはやっぱり1985年の日本一やな。
その時テレビで観とった。
厳密にいうとテレビで野球観てるオカンを見てた感じやけどな。
オカンが阪神ファンやってん。
だから、自然と阪神ファンになるわな。
新聞の一面をオカンに見せられて「阪神優勝したで!」と言われたのを覚えてる。
そこからなんとなく阪神ファンやった。
でもね、ホンマに弱かったんよ。
だから、あんまりちゃんとは観てなかった。
いっつも負けてるやん、と思ってた。
阪神が日本一になったのは俺が小学校一年生の時。
バース、掛布、岡田。
でも、どんどん主力が抜けていった。
岡田の頭髪も抜けていった。
残った優勝メンバーは真弓と岡田ぐらい。
俺が小学校四年生のころ、いよいよ本格的にソフトボールやりだして、自分も野球をやりたいと思いはじめた頃、弱小タイガースの四番は腰を痛めて満身創痍だった岡田彰布やったんや。
中野、大野、山脇…いや、誰が分かんねん!
そんなメンバーやった。
ある日の巨人戦。
先発は野球界のせんだみつおこと槙原寛己。
スコアは4対1でもちろん阪神は劣勢。
この時代、巨人に勝つなんて優勝するぐらいありえないことでその夜のプロ野球ニュースを録画して100回ぐらい見直して、翌日のスポーツ紙の一面を80回ぐらい読んでたんや。
4対1で八回裏。
勝てるわけない。
でも、なんか知らんけど満塁になった。
バッターボックスには腰を何度も捻り、その後に首を傾げる四番岡田の姿が。
その前の打席も三振。
今日はノーヒット。
マウンドにはせんだみつお。
あかん、勝てるわけない。
そう思った次の瞬間。
逆転満塁ホームラン。
珍しく飛び跳ねながら体全体で喜びを表現する岡田彰布。
その日から我が家にあったトラッキーのフィギュアの背中にはマジックで書かれた背番号「16」の文字が刻まれたんや。
結局、岡田はその後あまり活躍しなかったし、阪神も全く勝てなかった。
岡田が引退した後は桧山が好きになった。
左打者で左中間の一番深いところに放つホームランが大好きやった。
92年、亀新フィーバーの中、まだルーキーやった桧山の活躍を夢見ていた。
その後、桧山は阪神の四番に成長するんやけど、とにかく三振が多かったんや。
ぶんぶん丸や。
池山以来のぶんぶん丸やった。
ほんで阪神はむちゃくちゃ弱かった。開幕してすぐに最下位になった。
むっちゃ弱かったんや。
阪神だけ重力強いんちゃうか?
すぐ一番下にいくやんか。
そう思ってた。
たまに5位になると嬉しくて嬉しくて、その日のプロ野球ニュースの順位表を静止画でずっと見てた。
うわ、5位やん、いうて。
星野さんが強くしてくれて岡田が監督してくれて、でも日本一には届かんかった。
38年かかった。
これからはもう少しちょいちょい日本一になってや。
次また38年後いうたら、わし83やん!
死んでるやん!
いや、死んでへんかもしらんけど、もうほとんど死んでるやん!
まあ、とりあえず今日はうまい酒でも飲むわ。
わし下戸やけどな。
ほな!
岡田はん、ありがとな!

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