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僕の見たビートルズはTVの中

僕には上京した経験がない。
そもそも東京に住んだことがないからだ。
「いや、東京以外でも『上京』って言ったりしますよ」とかいう揚げ足取りはしなくていいです。
そういうのを、話の腰を折る、というのです。

ただ、田舎から都会に出た経験はある。
岡山の片田舎から大阪に移り住んでもう27年になる。
あの時の自分が今の体たらくな自分の姿を見たら愕然とするだろうな、と思う。

だけども18歳の自分にかける言葉があるとすれば、「人生ってそんなもんやねん」しかない。
それしかない。
思い通りになんか絶対に行かないし、どこかで限りなく妥協に近い柔軟性を発揮しないといけない。
18歳のあの日、MDウォークマンに斉藤和義のデビューアルバムを入れて鈍行で大阪に向かった。
毎日のように遊んでいた仲間を岡山に残し、一人、誰一人知り合いのいない大阪に向かって旅立った。
不安と寂しさでため息ばかりついていた記憶がある。
最初から負け戦だったのかもしれない。
今のように簡単にLINEやメールができる時代でもなかった。
とにかく寂しかった。
玉造の家に着いてもほとんど部屋に引きこもっていた。
家から出るのが怖いくせに外の様子は気になるから、双眼鏡で駅前のアーケードを歩く人たちをずっと眺めているだけの日もあった。
大好きな『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』も日曜日にやってなかった。
火曜日か水曜日の深夜に半年遅れぐらいでやっていた。
どこが笑いの本場やねん、と憤った。
深夜番組に出ている大阪芸人も数組以外は全く知らないので面白くもなんともなかった。
唯一の楽しみだったテレビ番組にも見放されて、より一層孤独を感じるようになった。
岡山にいる頃一番熱心に聴いていたミスチルは活動休止を発表した。
その頃ずっと聴いていた斉藤和義は『僕の見たビートルズはTVの中』で「せまい部屋でも住んじまえば都さ テレビにビデオ、ステレオにギターもある」と言っていたが、全く共感できなかった。
テレビよりビデオより心から笑い合える友達や家族が側にいる場所の方が絶対に良いと思っていた。
今思えば若かったのだろう。
いや、その感覚の方が正解なのかもしれない。
とにかく、今や大阪は僕にとっての都になった。
だけど現状は何一つ改善されていない。
相変わらず貧乏だし、テレビにも出てないし、小説家にもなっていない。
何をしているのだろう。
でも、まあ、人生ってそんなもんなんだろう。
少なくとも僕にとってはそういうことだ。
「解らないものは解らないけどスッとしない ずっと捻くれているばっかじゃ能がない 波風のない空気は吸いたくない」
そんな歌詞でこの歌は終わる。

40過ぎたけどまだまだ子供だな、と思う今日この頃です。

では、また。

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