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しぶしぶ独立→17年継続してる話

なんとかサロンオープンはしたものの
友人知人のご祝儀来店以外、予約はゼロ。
明日も明後日も来週もずっとゼロ。

半年持つのだろうかねぇ…と
看板も出せない小さなマンションの一室で
他人事みたいにぼんやりしていたのが
17年前の今頃でした。

クラッシャーと呼ばれ4店舗の移動


2000年にネイルスクールを卒業し
ネイルサロンを100店舗ほど展開する会社に
就職したのですが

先輩・同僚・後輩と折り合いが良くなくて
せっかく技術を身につけたのに
つまらなくて早く辞めたくて仕方がなかった。

ただそれらはすべて自分のせいで
年若い当時は、自己中で我が強過ぎて
チームプレイがまったくできないくらい
生意気でとんがっていたんです。

「クラッシャー斉藤」と陰でこっそり呼ばれ
2年足らずで4ヶ所も店舗移動を経験する
羽目になりました。
(みんなは動いてもせいぜい1店舗)

最後の店舗では、なぜか店長になり
もちろんわたしのジャイアンぶりに辟易した
社員達がボロボロと辞めて行く。

5人目が辞めた時、とうとうわたしも逃げ出した。

初めて未来と向き合う

それから3年程は、おもに講師業と
新規サロン出店のプロデュース業を
していました。

他業種の中小企業が続々とネイルサロン出店を
し始めた良い時代で

大手で店長経験がある、というだけで
お客様や知人の紹介で仕事をいただけてたので

しばらくはこのままでいいや、と
ふわ〜っと暮らしていました。

もうネイリストはしなくてもいいよな…
あんな大変な事はもうできないよね…と
クラッシャー時代のつらさが蘇るたび
自分自身に言い聞かせながら。

それに当時付き合っていた彼が
ボンボンと呼ばれる金持ちのお家の子で 
いざとなれば結婚しちゃえばいいや、と
舐めた未来を頼りにもしていました。

しかし。
甘い考えはあっけなく崩れる。
浮気されたあげくにフラれるという
情けない事態になったのでした。
掴めないものを無くすって本当に簡単。

これからどうやって生きるのか?
ここでやっと自分の未来と向き合うのです。

  1. ネイリストとしてお勤めする 

  2. 別業種に転職する

  3. 講師業とプロデュース業を増やす

  4. 自分でネイルサロンをやる

ぐぬぬぬ…どれも嫌すぎる。

お勤めはもう無理だし
他にやりたい事もない。
講師はやりがいあるけど
お給料は満足できないし
プロデュースを本格的にやるなら
もっと勉強してお金かけて集客しないとだし。
自分でやるなんてめちゃくちゃ大変そう…

あれこれと消去法で選んだ結果
しぶしぶ4.自分でやる事にしたのでした。
本当にしぶしぶ、苦渋の選択。

ずっと夢は持たないまま

「ネイルサロンは儲けが出ずらい」
この事実を嫌という程わかっていたせいか

サロンを大きくしようとか
人を雇って他店舗展開しようとか
お金持ちになって有名になろうとか
輝かしい夢や野望は1ミリも無いままに

とにかく明日食べるにはこれしかない、と
生きるための選択だったのでした。

商売をするなら当然の事ですが
軌道に乗るまでは大変な道のりで

なけなしの貯金も使い果たし
いよいよコンビニの深夜勤務の面接に行くか
即金でもらえるキャバクラの面接に行くか
葛藤の日々は続きました。

でも自分ひとりで全てを選択できる自由さは
責任という重い荷物を背負うことなんて
たいして気にならないくらいに
ずっとずっと心を軽くしてくれて

ダメならすぐに畳んでやる、と
最初から決めていたわりには

不思議と辛いとか苦しいとか感じないままに
首の皮がギリギリつながった状態で
しぶとく続けてこられたのでした。

そうは言っても、そもそもネイルが好きだから
やっていけるんでしょ?と思われるかもしれないが

ネイルにそこまでの強い思いは持っていない。
わたしが好きなのは、人に喜んでもらうこと。
それならネイル以外でもよかったのかもしれない。

夢はなくてもいい

夢や目標を持つ事は大切だと思うけど
わたしは特に何も持たないままに

やりたくない事はやらないとだけ決め
日々を生きる事を目的として行動してきた。
今でもその考え方は、変わっていない。

必要なことや目の前の課題や問題を
黙々と解くことだけをやっている。

もしかしたら、明確なゴールを掲げ
そこに向かって順々に登ることができていたら
今のわたしはたくさんのキラキラしたものを
持っていたのかもしれない。

でも、今ある幸せと感じるささやかなものですら
持っていなかったかもしれないのだ。

描く夢がない、明確な目標がない
それでもいいと思っている。

まずはやってみたらいい。
しぶしぶスタートしたって
継続できているわたしがここにいる。



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