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古川隆久先生、男系維持のネックは国家神道史観ですか?──4月21日の有識者会議「レジュメ+議事録」を読む 3(令和3年5月18日、火曜日)


前回の続きです。(画像は官邸HPから)


▽3 古川隆久氏──皇室の伝統は憲法を超えられないのか

3番手は古川隆久・日本大学文理学部教授(日本近現代史)でした。古川氏は設問項目に沿った4ページのレジュメを用意しましたが、半分以上は注釈と資料で占められています。いかにも学究的なご性格がにじみ出ています。

古川氏は積極的な女性天皇・女系継承容認論者で、後述するように、女性天皇・女系継承反対論者への反論が名指しで、具体的に展開され、さらに「神話的国体論」「国家神道史観」にまで言及していることが注目されます。話が俄然、熱を帯びてきました。

それではさっそく、議事録に即して、項目を追って紹介し、検証することにしましょう。


◇日本国憲法を根拠に126代の皇統を否定

まず、問1の「天皇の役割や活動」ですが、古川氏は近現代史の専門家らしく、「日本国憲法の理念と規定」を持ち出します。要するに、126代続く天皇の歴史の否定です。これが最大のポイントです。

「祭主としての役割を本質とみるという見解を述べている方もいらっしゃるが、私は、それは日本国憲法が定められた経緯をちゃんと見ていないとか、あるいは憲法に定められた信教の自由を侵害するおそれがある考え方ではないかと思っている」
「天皇が権威だという、国家の権威としての役割をという御意見も中にはあるが、私は、やっぱり国民主権なので権威は国民にあると。その国民にある権威を形として表しているのが天皇なので、天皇がイコール権威と考えると、憲法の定めと少しずれてしまうんじゃないかというふうに考えている」

レジュメには「祭主としての役割を本質とみるのは、日本国憲法が定められた経緯を無視し、憲法に定められた信教の自由を侵害する恐れがある」と記されています。4月9日に行われた櫻井よしこ、新田均両氏へのポレミックな批判であり、「(現行憲法は)決して占領軍による押し付けではなく、日本側の戦争への真摯な反省が反映されて制定された。そのことは前文によくあらわれている」と注釈が加えられています。

古川氏による皇位継承論の最大のポイントはまさにここにあります。現行憲法に基づく、国事行為・御公務をなさる「2.5代」象徴天皇が天皇であるならば、当然、女帝も女系継承も認められるでしょう。国会の召集や法律の公布に男女差があるはずはないからです。

しかし126代続く天皇の皇位継承ならば、結論は変わり得ます。ところが残念なことに、男系派の櫻井氏も新田氏も天皇が祭り主であることの意味を十分に説明していません。過去だけでなく、現代的な意味と価値を提示していません。問題はそこです。天皇の祭祀についての学問的深まりが欠けているのです。「稲の祭り」「皇祖の祭り主」という説明が現代人を納得させられるはずはないのに、その程度にとどまり、問題意識も感じていないのです。

ただ、古川氏のように、現行憲法はあくまで「2.5代」の歴史と伝統を規定し、126代の歴史と伝統を否定していると考えていいのかどうか。それは後述する「世襲」の意味に関わりますが、古川氏の解釈は誤っていると私は思います。


◇側室がいたから男系継承が維持できたのか

古川氏は、男系男子継承について、「前近代から大日本帝国憲法下まで継続できた要因の一つは側室制度である」とし、しかし、日本国憲法が「性別による差別」を禁じている以上、側室制度は認められず、したがって、このままではいずれは行き詰まる。「男系男子継承は現行憲法下においては、前近代的な色彩が強い、過渡的な制度であったと考えざるを得ない」と断じています。

きわめて常識的、一般論的批判ですが、正しくありません。側室が制度化されていた時代でも、皇位継承は「綱渡り」だったからです。

たとえば、明治天皇には5人の側室があり、15人の子女がお生まれになりましたが、うち10人は死産もしくは夭折されたと聞きます。成人された男子は大正天皇だけでした。しかし逆に、大正天皇には側室はないものの、5人の皇男子に恵まれました。昭和天皇も側室はありませんでしたが、2男5女(1人は夭折)をもうけられました。側室の有無だけで決めつけることは間違いです。

また、側室は公認されないとして、現行憲法下において、一般社会では婚外子の権利が広く認められてきているといる状況をどのように考えればいいのでしょうか。皇室にのみ厳格な倫理を要求することはできません。切羽詰まった状況ならなおさらです。ちなみに子女に恵まれなかった昭憲皇太后は大正天皇を養子として処遇されました。

古川氏は、女性天皇・女系継承を「セット」で容認することを訴えています。レジュメには「セットの場合のみ賛成できる」と明記されています。ただ、その場合、「ルールの適用は皇室典範改正後に生まれる皇族からとすべきで、改正法成立時点で未婚の女性皇族については、ご本人の自発的同意があった場合にのみ適用すべき」としているのは注目されます。「人生設計の強制的変更は人道上問題」だが、「ちょっとそれでは間に合わないという場合」もあり得るというわけです。

そういう議論より、なぜ男系の絶えない制度を考えようとしないのでしょう。


◇男系派による「世襲」の説明が不十分

古川氏は、平成17年の皇室典範有識者会議報告書に全面的な賛意を示し、翻って、女性天皇・女系継承反対論について、「成り立たない」ときっぱりと批判しています。理由は2点です。

ひとつは、「女系天皇を憲法違反だとする見解」についてです。

古川氏によれば、平成24年の皇室制度有識者ヒアリングで、「女性宮家」創設反対派の百地章・日大教授は、「憲法第2条は『男系主義』を意味し、皇室典範への委任はこれを前提としたもの」とコメントしている。八木秀次・高崎経済大学教授は「女系天皇は憲法第2条に違反する」と述べている。しかし、憲法制定時の担当大臣金森徳次郎は帝国議会で「現在においては」と答弁しているのであり、「男系維持は未来永劫絶対に維持されなければならないとは述べていない」と古川氏は批判するのでした。

また意見交換では、「皇室典範制定時の政府側の見解で、新しい憲法の理念上は、女系を否定する積極的な理由はない、国民に理解されればそれはあり得るのではないかということを言っている」とも述べています。

けれども、そうではないのです。憲法が規定する「世襲」はそもそもdynasticの和訳で、「王朝の支配」の意味なのでした。単に血がつながっているということではないのです。たとえばイギリスでは、女王が即位したあとは王朝が交替します。だからこそ明治人は女統を否認したのです。「万世一系」を侵すことになるからです。戦後の新憲法制定時に、占領軍が男系継承を否定したとは聞きません。古川氏の批判は「王朝の支配」に言及していません。むしろ男系派の説明が十分でないからでしょうか。

もうひとつは、民間男性の皇室入りについてです。

古川氏は、ふたたび百地教授を例示し、「『女性宮家』の最大の問題点は、国民に全くなじみのない『民間人成年男子』が、結婚を介して、突然、皇室に入り込んでくること」と説明しているが、「この見解は、戦後、皇室の男性と民間の女性の結婚が認められてきたこととの論理的整合性がないので成り立たない」と批判しています。

これも百地氏の説明不足によるオウンゴールでしょうか。最大のポイントは、女系継承容認と一体不可分である「女性宮家」創設が、126代の一系なる皇位継承を破り、正統性の崩壊を招くことでしょう。問われるのは、日本国憲法なるものを根拠にして、そうすることが認められるかどうかです。

古川氏は有識者会議のメンバーとの意見交換で、「世襲」概念ついて、「とりあえず血筋のつながった人で継いでいく」とあらためて説明しています。「今、ヨーロッパの王室はほとんどもう長子優先」とも述べていますが、126代の歴史の重みとはそんなものなのでしょうか。


◇神武天皇を認めることは憲法を形骸化させる

古川氏は、皇統に属する男系の男子を、養子縁組もしくは皇籍復帰によって皇族とすることについて、「どちらも好ましくない」と否定しています。問題はその理由です。

古川氏が挙げた理由で、興味深いのは、「神武天皇の実在を確認することは困難」というのがあります。男系派の八木秀次氏が「天皇の正統性は初代・神武天皇の男系の血筋を純粋に継承すること」と説明していることに対して、神武天皇って実在するのか、と批判しているわけです。

しかし古川氏自身、「大王(のちの天皇)の世襲が確定するのが欽明天皇以降である」と説明していることからすれば、「天皇」は間違いなく「男系」であり、そこに「正統性」があります。それで十分です。それとも古川氏は、代々継承されてきた天皇に「初代」は存在しないとお考えなのでしょうか。

2点目として、古川氏は「江戸時代までは女系天皇は法令上許容されていた」と指摘しています。レジュメの注釈によると、その根拠は例の「継嗣令」で、女系派の高森明勅氏が平成17年の皇室典範有識者会議で言及していると説明しています。

しかしこれも間違いです。前回、申し上げたように、「女帝子亦同」は「ひめみこも帝の子、また同じ」と読み、天皇の兄弟・皇子を親王とするように、皇女も同様に内親王とせよと解釈すべきです。「女帝」なる公用語は当時はありません。

古川氏の女帝論の根拠は一にも二にも憲法です。「現在の天皇が天皇である根拠は日本国憲法」とし、返す刀で戦前を否定します。「主権在民、戦争の惨禍への反省からの普遍性への立脚をふまえて、国民の総意としての象徴天皇という規定が根拠なのである」「天皇は憲法を越えた存在ではあり得ない」ということになります。

つまり、126代続く男系継承という皇室独自のルールと日本国憲法に基づく象徴天皇の継承論の抜き差しならぬ対立であり、皇位が憲法に基づく以上、新たな継承が求められると主張しているのです。

その際、古川氏が、教育勅語を例示していることはじつにシンボリックです。敗戦後、教育勅語ほか詔勅が「排除」されましたが、それは「根本理念が主権在君並びに神話的国体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる」「神武天皇の実在を認め、神話的国体観を認めることは現行憲法の基本理念否定、形骸化させかねない」。だから「旧皇族の復帰は採用できない」というわけです。

一言だけ反論すると、教育勅語煥発の目的は本来、神話的国体観を称揚するためではありませんでした。急速な欧米化の弊害を憂えた明治天皇の叡慮に基づき、非政治性、非宗教性、非哲学性が追求されました。しかし煥発直後、政府は教育勅語を宗教的拝礼の対象とし、叡慮は反故にされたというのが事実です。釈迦に説法ですが、図式的に戦前=悪と決めつけては歴史研究は成り立ちません。


◇問われているのは日本の「負の歴史」

戦争中、アメリカは、軍国主義・超国家主義の源流が「国家神道」にあり、靖国神社を中心施設とし、教育勅語がその聖典だとして敵視したことは知られています。しかし、占領後期になると敵視政策は急速に後退しています。

古川氏の女帝容認論は、幻の国家神道論をもって、126代の皇統を改変させる結果を招かないでしょうか。より慎重な、精緻な歴史論が求められるのではありませんか。

意見交換で、古川氏は、「伝統だから憲法を超えていいのか」と反論しています。しかし、日本が未曾有の戦争と敗戦を経験したのは事実として、何を具体的に反省すべきなのか、精査されるべきでしょう。日本国憲法は少なくとも天皇統治を否定していないし、「王朝の支配」を認めています。日本国憲法が未来永劫、不磨の大典であるはずもありません。

最後に古川氏は、安定的な皇位継承を確保するための方策や皇族数の減少に係る対応方策として、「皇室活動の自由度を上げること」などを説明し、いわゆる「開かれた皇室」論を展開しています。けれども、もうこれ以上の紹介と批判は不要でしょう。

古川氏のヒアリングを通じて浮かび上がってくるのは、皇位継承問題で問われているのはじつは日本の過去の「負の歴史」であり、端的にいえば、いわゆる「国家神道史観」であり、「国体論」であるということです。男系派はこれに対して、どこまで本格的に反論できるのか、男系派の本気度があらためて問われます。

次回は本郷恵子・東京大学史料編纂所所長です。

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