高価過ぎるガジェットは自分の管理範疇を超えていると自覚する
こんにちは。
先日「安いiPhoneで十分と言う話」という記事を書きまして、思いのほか多くの方から反響をいただきました。
やはりiPhoneに関しては機能向上はカンストしており、その価格上昇に見合う価値はもうないとみんなが気づいているということなのかなと思いました。
そこで今回はその話を深掘りしまして、「なぜ安いもので十分なのか」を「機能ではない側面」から考えたいと思います。
それってつまりは貧乏性?
結論から言いますと、「高価過ぎるモノは自分がストレスなく使えるモノとしての管理範疇を超えている」と考えました。
これは、
高価から壊したくない=よって使いづらい
つまり「高価であることがストレスになる」という感覚を指しています。
ある意味今回の話も自分に向けて書いている側面があります。
みなさんもiPhoneをはじめとするガジェットや外に来ていく服などで思い当たる節がありませんか?
本当にその最新機を使いこなすことができるのか
街中に目を移しますと、みんなスマホにはカバーをつけたりフィルムを貼ったりしていますよね。
保護することは、もちろん「壊さずに使いたい」という思いがあることは承知しています。
それは壊さずに使ったほうが良いのは明白です。モノを大事に使うことは素晴らしいことです。
ですが、何か行き過ぎ(過保護)ではないでしょうか。
結局は「”高かったから”、壊さずに使いたい」ということではないでしょうか。
上記の記事の中で、「リセール狙いでiPhoneを毎年買い替え」を考えることも可能である趣旨の話を書きました。
でも最新のものを使う(使える)のはリセール前提ということになります。
リセール前提の場合、最新モデルをケースをつけて少しでも高く売れるように使う方ことになります。
確かに最新モデルを使うことでドヤることができますし、アップグレードされたカメラに一喜一憂することができます。
長い目で見てください。せめて売る瞬間までのこと。
落として壊れないかドキドキしながら毎日使い、結局その機能を使いきれずに翌年売ることになりませんか。
ガジェットは使いこなして初めて価値がある
もちろん、「最新の機種の恩恵を受けられる」or「機能を使いこなして価値を生み出せる」のであれば、最新の機種を使うことはメリットになりますし、大賛成です。
一方、旧機種で「機能を使いこなして価値を生み出せる」なら、それで十分じゃないでしょうか。
目的をしっかり考えて見合うものを選ぼう
結局は以下の点をよく考える必要があると思います。
自分がそのモノを使って何をしたいのか明白にする。
(機能と価格は見合っているのか)
身の丈を超えた金額のものを使うことにはそれなりのストレスがかかり、本末転倒ではないか。そのストレスと金額の負担を負ってまで使う必要があるのか、よく考えること。
「最新機種をリセール狙いで使うこと」と「安く旧機種を買って使い切る」ことのどちらがデジタルデバイスに対するスタンスとして健全なのか。
これは別にどっちの考えが「せこい・せこくない」、「偉い・偉くない」とかそういった争いをしたいのではなく、一つの視点として持っておこうという話です。
これはiPhoneに限らず、目に見えるブランド品など様々な物事で言えますので、考えを横展開させていきたいですね。
今回もお読みたいただき、ありがとうございました。
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