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深夜のラブレターでいい場合もある

昨日、職場のかたに「いつもわかりやすく文章まとめられていてすごい、読みやすい」と言われ、瞬時にテンションやる気ともにMAX有頂天になった猫目です。皆さま。こんばんは。猫目はとても単純な生きものです。

その後「最近褒められてないのでうれしい」「褒められるために生きているようなものです」と聞かれてもいないことを口走ってしまい、急に恥ずかしくなって無言を貫きました。褒められて喜ぶのは個人の自由ですが、有頂天になり過ぎるのは問題ですね(笑)

ただ、褒められることで発揮されるパワーというのは想像以上にすごく、モチベーションが高まるだけでなく、仕事の効率もあがるので感謝しかありません。なんだか文脈がおかしい気がしますが浮かれているのでご了承を。

いつかポニーと暮らすのが夢。で、山羊さんはあいかわらず積極的。双方だいすきです。

では、本題です。

深夜のラブレターでいい場合もある

深夜のラブレター別名「真夜中のラブレター現象」とは、その名から想像するとおり、深夜にテンションがハイになっている際に自分の思っていることを主観的にバーッと書きつらねてしまう現象をいいます。

夜の静寂のなかで、普段は制御されている感情が解き放たれ、感情をむき出しにラブレターを書いてしまうなど。とくに恋愛に使われることが多いですね。

ちなみに親愛なる「Gemini」に訊ねてみたところ、深夜のラブレターについて以下のような特徴を教えてくれました。

この通り、深夜のラブレターにはリスクが伴います。とくに冷静さを失ってしまうのは一見してマイナス要因にも思えます。

みなさんにも、朝起きて読み返してみたら、顔面がカーっと熱くなったという経験があるのではないでしょうか?

猫目はわりと多いです。といってもラブレターではなく大抵は小説です。夜は「これ結構いい線いってるぞ。まちがいない」と思っていた作品内容やキャラクターたちのセリフが、いざ翌朝起きて読み返してみると「……(なんだこれ)」と絶句状態。昨夜の自分の頭脳を疑いたくなったことは一度や二度ではありません。

なので

小説など創作物にかんしては、必ず客観的に見直せるよう一定の期間を置くようにしています。小説家の村上春樹氏は最低でも2週間は作品を寝かせておくと聞いたことがあります。

そのくらい私たちは感情的になってモノを書いているとき、冷静さを失っているのです。

だから、時間を置く。
そして第三者の目になって冷静に見直す必要があります。

ところが、この”深夜のラブレター現象”も悪いことばかりではありません。

なぜなら

そこに綴られた言葉こそが”本心から思っている心の声”に他ならないからです。

つまり、本質です。

なにを言いたいのかというと・・・

本質のないラブレターなど所詮は薄っぺらく、語弊を恐れずに言えば、どこにでもある”当たり障りのない声(メッセージ)”に過ぎないということです。

そこに本心や本音となる部分がふくまれていないと、そもそも伝える意味があるのかどうか、それすら一寸怪しくなります。

このことからも、深夜のラブレターはある意味で必要な過程といえます。

ただ、そのまま相手へ贈ってしまうと、支離滅裂になってしまっている可能性があることはおろか、ほとばしった感情が逆の意味に捉えられてしまったり、あるいは想定外の結果へ繋げてしまう場合があります。これはリスクの部分といっていいでしょう。

そのために推敲があります。

推敲とは、何度も文章を練り直すことを意味しますが、ここにもまたリスクが発生します。それは推敲し過ぎてしまうと、自分でも気がつかないうちに本心をすっぽり抜け落としてしまうというリスクです。

つまり

輪郭どころか骨格や中枢までもをきちんと整えてしまい、あげく本心が美化され、ねじ曲げられてしまっているケースです。

たしかに恋愛の場合は、目的の達成という一面において、深夜のラブレターを推敲なしに(客観視なしに)相手へ渡してしまうのは逆効果となる場合があります。

ですが、小説や作品においては、本質の部分が抜け落ちてしまうことのほうが、深夜のラブレターをそのまま渡すことよりもはるかに危ないことだと猫目は思っています。

理由は簡単で、本質(中枢)を伴わない作品が、だれかの心に響くわけがないからです。

これは作品だけに言えることではありません。

たとえば、だれかにコンタクトを取る、新しいことをはじめる、などといった行動面でも同じことが言えます。

残念ながら

深夜のラブレター的感情がいつまでも続くことはありません。

そう、深夜のラブレターはその夜限りの感情。それをいつまでも頭のなかで「ああでもない」「こうでもない」「ダメかもしれない」「やっぱり無理なんじゃないか」と考えているのでは、いずれ朝がやってきて冷静な頭脳と、それに伴う思考によって抑制されてしまいます。

これこそ、感情の過剰推敲です。

深夜のラブレター的感情が働いているうちだからこそ、行動できることがある。そう思って猫目は、朝の冴えわたった頭脳に抑圧される前に行動することがあります。

行動がすべて

とは言いません。

ですが

行動しないとなにも変わらないのも事実です。

以上、「深夜のラブレターでいい場合もある」というお話でした。本日もさいごまでお付き合いいただきありがとうございます。それでは、また来週の土曜日にお会いしましょう!

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