上島竜平さんの訃報、舞台裏であった本当の話
◇訃報について
昨年5月11日、ダチョウ倶楽部で有名な上島竜平さんが、
都内自宅で倒れており、緊急搬送されたが亡くなったという報道があった。
これについて、家族が異常に気づきとあるがどういった状態だったのか、
また何があったのか報道されていない。
ということで、今回は上島竜平さんの亡くなった本当の理由をお話したいと思います。
◇ダチョウ倶楽部でのもめ事
これは業界内では有名な話なのですが、ダチョウ倶楽部の上島さん以外の二人は「ガチの創価学会員」なのだそうで、特に寺門ジモンさんが、昔から強く上島さんを勧誘していたそうです。
よく収録が終わった後など、楽屋裏で集まったり、または電話があり創価学会に入るように強く言われていたそうなのですが、上島竜平さんはずっと上手く断り続けていたそうなのです。
ただ時には上島さんが怒ってしまい、三人して揉めている所を内部の人たちが見ていて「またやっている」といった感じで遠巻きに見ていたそうです。
遠巻きに見ていたというのは、何も冷たいからではなく、
もめた時は必ず上島竜平さんが折れて、上手にその場を収めてくれると分かっていたからだそうです。
◇亡くなったその日だけは、違った
亡くなった日も収録があり、その収録後にいつも通り電話があったそうなのですが、その日だけはちょっと違かったそうです。
内部のスタッフさんにも不穏な雰囲気が漂い、
誰か呼んできた方がいいんじゃないか?と周りがザワついていたそうです。
どうも上島竜平さんが寺門ジモンさんと電話されていたらしく、
本気で電話越しに怒鳴っていたというのです。
「いつもなら上島さんが折れて、その場が収まるはずなのに・・・」とヒヤヒヤしながら見ていたのですが、
結局1時間ほどそのやり取りが続き、上島さんが強制的に電話を切ったそうです。
これが亡くなった当日に行われたやり取りであり、
創価学会としての寺門ジモンさんの怒りを買ったのは間違いがないようです。
内容までは聞き取れなかったそうですが、創価学会の勧誘で間違いがなかったといいます。
ただ、余程言っちゃいけないような事を言ってしまった可能性があると。
どうも寺門さんは相当、創価学会でも力があるらしく、
内部ではおそらく殺されたのだろうという話でした。
◇上島さんがやっていた事をつぶされた経緯
上島竜平さんは、上島会と言うのを作っていたと思うのですが、
実はこれは売れないお笑い芸人達の支援をするためのものでした。
支援と言っても寄付ではなく、食事をおごってあげるという、ささやかな会だったのですが、
少し前から有吉弘行さんが入ってきて、内部のメンバーを入れ替えたり、
もともとのメンバーを来させないようにしたりしており、
いつしか有吉さんの息のかかった人間しか来なくなったそうです。
どうやら両面から創価学会の勧誘をしていたとか。
設立当初は、上島さんも楽しく竜平会を盛り上げていたそうなのですが、
いつしか昔の芸人たちも来なくなり、がっかりされていたという話でした。
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