翔べ 薩摩土手104 番外編 ④家康から秀忠への石槽船 150艘の流用指示
薩摩藩は、駿府城の南側にある安倍川の氾濫を防ぐとともに、城下町の水害を軽減する目的で、安倍川の河口から賎機山までの約4キロメートルにわたって土手を築いた。
土手の材料としては、薩摩から運ばれた石や砂利が使われた。
薩摩から海路、折戸へ、折戸から現巴川、北川、横田運河を経て川船で駿府城横内堀へ。
駿府城から築堤箇所までは、安倍川が賎機山沿いに流れ、舟を引っ張り運んだか、現安倍街道を牛車(京都伏見、仙台、駿府のみが牛車の使用が許されていた。荷車のいずれかにより運んだかは不明で