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タクトト

ノート。


君がまだ3歳の頃、かかは君を連れて家を出た。場所は知らされなかった。

その場所に君のおもちゃはあるのか?

それが真っ先に気になった。家には君のおもちゃが散らかったままだった。

その1週間後、ファミレスで君と会える可能性があると告げられる。

僕は古本屋に走り、君が好きな乗り物やキャラクター、動物の本をたくさん買った。その絵をハサミで切り取って、のりで貼り付けて1つのノートを作り始める。大きくなくて持ち運びができれば捨てられることもないし、君が持っていることもできると思った。

君の好きな物をたくさん詰め込もう。本当にそう思っていたとは思うけど、眠れない夜を越える方法がそれしかなかったような気もする。

「このしんかんせんがだいすきで、げんきであかるいおとこのこはだーれだ?」

そんなふうに、色々書き足した。こうすれば君とかかの会話が増えるかもしれない。とととかかの問題よりも、今の君の顔を見て欲しいと思ったから。


1週間後、ファミレスで話し合いが終わってからほんの数分だけ君に会えた。僕は父親の涙を見たことがなくて、自分もそうあるべきだと思っていた。でも、その目標は君が3歳の頃に崩れた。

空白が怖かった夜、ぼろぼろになりながら作ったノートを渡す。君は小さな手で何も言わずに受け取った。

「昨日ね、グミを3個も食べた」

泣いている僕にもノートにもまるで興味を示さず、君は最近の自分にあったことを無表情でたくさん話した。無表情というより、凛としていて寂しさが感じ取れなかった。

何を思っているのか、何も読み取れなかった。

数分後、君はかかとかかの妹夫婦に連れられて車に乗って行く。


君が寂しくないなら良かった。


それならこれで良かったんだと、そう思った。安心が寂しさに勝った。僕は笑って車に手を振った。

かかと妹夫婦とその子供達が車の窓から僕に手を振る。君は僕にバイバイもしてくれないのかと、自然と息子を探すように車の中を見た。

…泣いていた。かかの隣に座る小さなたくっちが、うずくまって泣いていた。



それから更に数週間後、僕はかかの実家で話し合いをする。お互いの家族を盛大に巻き込み、家族みんなが元の形に戻ることを望んだ。

無事に話し合いが終わって、僕は隣の部屋の君に会いに行く。

君は歳の近い二人の従兄弟とは遊ばず、壁にもたれて小さく座って、食べもしないお菓子を持っていた。

「たくっち…」

僕が声をかけると、君は突然たくさんのお菓子を口に含んでふざけてみせた。

でも、眼は全然ふざけていなかった。

泣くことを我慢して、隠そうとして、

3歳の男の子は、お菓子を頬張った。


僕は君を抱っこして、愛を伝えるように一緒に呼吸をした。頭を撫でた。少し強く抱きしめて謝った。

この子に寂しい想いをさせてはいけない。

そう誓った。今の君をいつも忘れない。


コーラ。

どんなに遠くても
どんなに速く過ぎ去っても

「ととが好きなジュースがあった」

自販機を見つけると君はそう教えてくれる

昔からそうだ
もっと小さい頃から君はそうだった

君は父さんの好物を見つける天才だ


その優しい心が擦り減ってしまわないように
僕も君の笑顔を見守る天才になろうと、想う


ジカク。

車で田舎道を走っていると
強い陽射しが車内に差し込む

助手席で眠る君が眩しそうな顔をする

僕はハンドルから左手を離して
君のまぶたの上にそっと影を作った

そういえば僕の父もそうだった
同じことをしてもらった記憶がはっきりと蘇る

僕の父は気が利くこともなければ
優しさを数字で表すと限り無くゼロに近い

そんな父が左手で陽射しから僕を守ってくれた

きっと父には
父親の自覚があったのだろう

僕にもその自覚はある
君の父親はこの僕だ


セナカ。

床に座る君の丸い背中

足の爪を切っている時
漫画を夢中で読んでいる時

その丸い背中がすごく可愛い
どうしようもないくらい愛しい

その写真を母に見せた時
母は子供の頃の僕にそっくりだと笑った

僕の母さんも
今の僕と同じような気持ちで
我が子の丸い背中を見ていたのかな

見守る愛情をただ抱えている


リンゴ。

「おい! とと!!」

君はダンボールで作った剣を構え、鋭い眼で僕を見てきた。

「この剣に斬れないものは…ある!」

「…え? あるの? 斬れないものあるの?」

「違う」

「違うよね。ちょっと違うね」

「この剣に斬れるものは…ある!」

「…うん? あるよね。あると思うけど、ちょっと違う気がするよ」

「この剣に斬れるものは…ない!」

「ないの? 何も斬れなくなっちゃったよ?」

「違う」

「違うよね」

「この剣は斬れる!」

「短い。短くなった」

「長いよ、ほら」

「いや、剣の長さじゃなくて」

「いいから斬れるの!」

「怒らなくていいの。確かこういうセリフじゃない? この剣に斬れないものは?」

「りんご」

「いや、そうじゃない。それにりんごは斬れるよ。たぶん」

「この剣に斬れないものは…ある!」

「戻っちゃった。最初にそれ言ったよ」


ミルク。

雨の日の朝、スーパーでたくさんの食材を買った若い母親は、それを急いで袋に詰め込みながら幼い息子を何度も怒鳴っていた。平日の朝ということは、男の子は風邪でもひいて幼稚園を休んでいるのだろうかと思う。

たぶん男の子は飛行機の絵が描いてある傘を眺めたかっただけで、その母親は雨の中でたくさんの荷物とたくさんの予定を抱えて、気持ちがいっぱいになっていただけ。

きっとその牛乳が入った買い物袋の重さも感じていないのだろうと思う。

みんな自分を精一杯生きているだけ。
誰もが誰かの理解を求めるみたいに。

早く帰って君に会いたいと思った。


トトト。

ある日のこと、それは突然の出来事だった。
保育園に君を迎えに行くと、

「あ! とと…じゃなくてお父さん!」

君はみんなの前では僕のことをお父さんと呼ぶようになった。君はまだ4歳だった。

僕の知らないところで、君の周りでどんな会話があったのか、そんな想像をしてみる。

きっと君は誰かに何かを言われて、何かを思って考えて、人前では僕のことをお父さんと呼ぶようになった。まだ4歳なのに、君はもう何かを知ってしまった。

なんだか世界が寂しく見えた。

君は車に乗ると、何度も「とと」と呼んでくれる。その声を聞かせてくれる。

僕は君の柔らかい髪を優しく撫でた。
この子の世界が優しいものであってほしい。


ツムル。

仕事で帰りが遅くなったのに、君は僕とお風呂に入る約束をしていたからと言って待ってくれていた。

君はシャンプーを流す時、ものすごく頑張って眼をつむる。この顔を見れる僕は最高に幸せ者だと思う。

これから大きくなっても、この子はこれからもずーっと僕の息子でいてくれるのだと思うと、胸の奥があたたかくなる。

あと何年、一緒にお風呂に入れるんだろう。

そういえば、今日は、歯を磨いてくれと言われなかった。言ってもいいのに。僕には甘えてもいいのに。

あまり急いで大人になりませんようにと、いつもそう思う。


オバケ。

夜9時半になると君はかかと2階へ上がる。けれども夏休みの夜は、ほとんど僕と一緒に1階で眠っていた。

そして、夏休みが終わったというのに、君はかかに確認をしてから僕と寝ることを選んでくれた。夏休みが終わってから君と寝るのは、今日で2回目。

空想を共有したり、クイズを出し合ったり。

勇気が出る話。勇気が必要になる時の話。

時々、窓の外にオバケがいる話。

勇気が出ない話。
勇気が出なくても、なんとかなる話。

時々、人は誰にも気づかれずに一人で寂しく傷つくことがある話。

友達ができない話。
友達と喧嘩してしまった話。

時々、まるで待っていてくれたかのように、
まるで探しにきてくれたかのように、
隣に大切な誰かがちゃんといてくれる話。

息継ぎを忘れてしまうんじゃないかというくらい、夢中でたくさん喋ってくれる。聞いてくれる。


クルミ。

僕は自分の母さん、つまり君のばあに頼まれた物を仕事帰りに買って、そのまま届けた。

「何か食べ物ある?お腹空いたよ」

子供に戻った僕がそう言うと、僕の母さんはすぐに白い紙袋に入ったパンを渡してくれた。

帰りの運転中にさっそく紙袋を開けると、僕はびっくりした。中には母さんが大好きな栗とクルミのパンが入っていた。

僕が子供の頃から母さんはいつもそれを食べることを楽しみにしていたし、これは絶対に自分のご褒美に買っていたパンだ。

なのに母さんには何の躊躇いもなかった。たぶん何も考えてはいなくて、当たり前のように渡してきた。

大切な人にはそんな優しさを与えよう。
そう思った。

いや、改めてそう思った。
母さんはずっと教えてくれていたから。


ユウヒ。

仕事が早く終わっていつもよりも早く家に帰ると、君がローマ字の勉強をしていた。

boukenの読み方をベーコンと書いていた。

なんて可愛らしい間違いなんだと思うと、仕事の疲れがどこかへ消えて無くなった。

本読みやリコーダー。えんぴつを持つ姿。
集中するところもそうじゃないところも。

その日の君が今もそこにいる。


ソファ。

ゲームのコントローラーを失くした君を軽く叱る。その後に一緒に探していると、ソファの下から発見された。

「大切な物がなんでこんなところにあるの!」

と更に叱った直後、そのソファの下からは僕の点鼻薬やボールペン、大事なメモなどが次々と発見されてしまう。

情けなく思った。
怒っていた自分が馬鹿らしくなった。


グロウ。

「歯磨いて」

君は時々、歯ブラシを持ってそう言ってくる。

「いいよ、おいで」

一言そう返事をして君の歯を磨く。こうやって甘えてきたなら、大抵のことはするつもりでいる。

どうせ大きくなったら言わなくなるし、こんなに甘えてはくれなくなる。明日急に大人になるかもしれない。

少し前までは仕事が終わって家に帰ると、君は僕を驚かせようと必ずどこかに隠れて、楽しそうに笑い声をこぼしていた。それがすごく可愛かった。

それが最近では「おかえりー」と出迎えてくれることが少しずつ増えてきた。

ほら、成長ってこんなに寂しい。
記憶の中の、あの隠しきれない笑い声が愛しい。


ムコウ。

「今日から一緒に寝れない…」

君は残念そうに言った。僕と一緒だと寝るのが遅くなってしまうこと、夜遅くまで騒いでいることをかかに叱られたようだ。

9時半には電気を消しているし、君は寝坊もしないし寝起きにぐずることもない。むしろ朝には強く、起きてからの行動が早い。ほぼ毎日遅刻していた子供の頃の僕とは正反対で、君は一度も遅刻をしたことがない。

「子を想う母親っていろんなことを心配してくれたりするから、だからいちいちうるさいんやで。それだけたくっちは愛されているってこと。週末の夜は毎週パジャマパーティーをしよう。だから今日はかかと寝ておいで」

本当は僕も寂しかったけど、父親らしいことを言ってみる。今、僕は一人で部屋にいて、こうやって何かを書いたり、時々天井を見たりしている。

この天井の向こうで、君がかかとたくさん話してたくさん笑った後に、ぐっすり眠れていたらいいなと思う。


チーズ。

フライパンでカリカリに焼いたチーズが君は好きだった。たくっちチーズとか、ととチーズなんて二人は呼んでいた。

少し遅い時間でも、お腹が空いたといえばこっそりと焼いた。すぐにバレてかかには何度も怒られた。

ある日曜日の朝、早くに目覚めた君は僕の部屋に来て朝ご飯をねだってくれた。

僕は焼いた食パンを少し斜めに切って、その上に目玉焼きをのせ、輪切りにしたウインナーを焼いてそれを団子みたいに爪楊枝に刺した。

ものすごい勢いで食べてくれた後、

「ととチーズが食べたい」

なんてことを言ってくれる。
定番で、特別なメニューになっている。


レイン。


大人になった君は
どんなふうに雨を感じるのだろう

その耳でその肌でその手のひらで

狭い灯りの中に守られて
綺麗なその眼で

君は雨を見て何を想うのだろう

雨が大好きな父のことを
ふざけることが好きな父のことを

君は思い出してくれるだろうか

遠い未来の静かな夜の雨の中
不安や悲しみに襲われてしまわないように

おどけた父の記憶が君を救いますようにと


カット。

前回二人で散髪屋さんに行った時は、落ち着けなくて口も動きっぱなし。君は僕にも店員さんにも怒られていた。怒られて少し反省していると思っていたら、僕がヒゲを剃ってもらっている隙にまた大きな声で話し出していた。

「たまにはいいとこ見せてくれよ」

そして今回、散髪屋さんに入る前、僕は君に一言だけそう言った。その一言にとんでもない効果があった。褒め方がわからないくらい、君は完璧なお利口さんになった。

髪の毛を切ってもらっている時はじっとしていたし、丁寧に相手の眼を見てお礼も言っていた。僕が切ってもらっている間も、ずっと静かに本を読んでいた。凄く嬉しかった。

嬉しかったし、なんだか少し寂しかった。


イノリ。

ずっと聴かせていた子守歌がある。

いつか、いつの日か、父が歌っていた子守歌の歌詞を思い出した時、少しだけ勇気が出ますように。

そう思いながら歌う。贈る。

君は小学生になった頃、

「うるさいから今はちょっと歌わないで」

恥ずかしいのか面倒臭いのか、歌うことを止めるようになった。それでも歌い続けると、しばらくすると寝息を立てている。

「えっ、寝た? 俺の子守歌で寝た?」

うっすらと起きていた君は無言で少し首を振ってそれを認めない。抵抗が可愛い。そのまま深く眠っていく君を見ている。


イイコ。

君がまだ2歳になる前、かかのおばあちゃんが天国に行った。かかはおばあちゃんのお家を片付けないといけなくなって、かかとかかの妹さんは急におばあちゃんの家に泊まることになった。

君と僕は、その日は2人で家に帰ることになった。妹さんには君と同い年の男の子がいて、その子は自分のお母さんと一緒にいられないことがわかると大泣きしていた。

正直嫌な予感がした。やばいと思った。きっと君も同じようにかかと一緒にいたいと大泣きすると思った。

「かかはおばあちゃんのお家を綺麗に掃除しなきゃいけないから、今日はととと二人でお家に帰るよ。また明日の朝にかかを迎えにここに来るから、今日はととと二人でいっぱい遊ぼうね」

まだたくさんの言葉を知らない君は一瞬泣きそうになった。でも、まるでその事実をしっかりと受け入れたかのように僕の眼を見て頷いた。

君はその日、泣くこともなくとても良い子だった。朝起きた時にかかがいなくて泣いてしまう気がしていたけど、君はぐずることもなく静かに起きて、一緒にサンドウィッチを食べてからかかを迎えに行った。

「すごく良い子にしてたよ。たくさん抱きしめてあげて」

僕はかかにそう言った。

それから数年後、君にこの日のことを話したことがある。褒めてもらえていることが嬉しかったのか、

「かかのおばあちゃんが天国に行った時の話して」

時々そう言って同じ話を聞きたがる。

5年後も、10年後も、
この話をしようと思う。


ユメミ。

「着替えないの?」

「たくっちが寝たらね」

残業を終えて少し遅い時間に帰ると、君は僕の部屋で先に布団に入っていた。遅くなると電話をしていたけど、君は先に僕の部屋で寝て待っていると話してくれていた。

嬉しかったし、可愛かった。

「今日ね、学校でね…」

いろんなことを話してくれる。僕はスーツのまま横になってその話を聞かせてもらう。

僕の母さんもそうだった。食器洗いもお風呂掃除も、自分の時間も全部後回しにして、子供の頃の僕と妹の話を隣でうんうんと静かに聞いていた。

やがて話し疲れてまぶたを閉じて、食器を洗う音を聞きながら眠りに入っていく記憶がはっきりと残っている。だから僕もできる限りそうしようと思う。


コリツ。


家族の中で孤立した。

「安月給なのに毎日毎日遅くまでよく頑張るね」

夜8時頃だっただろうか。かかはお風呂に入っていた。リビングでテレビを見ていた君は、帰ってきた僕に振り向くこともなくテレビを観ながらそう言った。

それは誰の言葉か。
そんなことはすぐにわかることだった。

僕が子供の頃、同じようなことを父に言ったことがある。家に遊びに来た友達に、

「僕のお父さんは給料が安いから狭い家でごめんね」

みたいなことを言った。まだ何も知らなかったとはいえ、ひどいことを言った。その日、母さんにたくさん叱られた。ご飯も食べるな、服も着るな、家に入るな、全てお父さんが頑張って働いたお金。それを馬鹿にする奴は許されないと。

子供ながら、すぐに理解した。大人になってから、そのことを父さんに謝ったこともあった。

「はいはい、はーい。ご苦労さーん」

父さんは無口な人だ。大人になったんだねと、そう言われた気がした。少し照れ臭そうにも見えた。

しかし、今の君は訳が違う。その言葉を発したのは君だけど、それは君の言葉ではない。

些細なことといえば、小さなことといえばそれまでだけど、僕には大事なことのような気がした。君が将来家族を支えるようになって、我が子や奥さんに同じようなことを言われたら嫌だなと思った。

それを伝えたくて、大袈裟に怒った。君の母さんにも強く言った。残念ながら理解してもらえず、引くこともできず、そのまま僕は孤立した。

君は部屋に来なくなった。たぶん、来られなくなった。

きっと辛抱しているのだろう。大きなストレスを感じているのだろう。

なんだか、すごく寂しい。


アクム。

朝起きるとシャツがびっしょりになるくらい汗をかいていた。離婚寸前まで行った時の夢を見た。

あれから6年。あの時の君はまだ3歳だった。

「ととと遊びたい」

君のあの一言が無ければ、僕らは離れ離れになっていただろう。なのにまた無力で身勝手な二人の親のせいで、君に大きなストレスが降りかかっている。

昨晩、君は何度か僕の部屋のドアをそっと開けた。ただそれだけで、入ってくることはなかった。たぶん、君は僕の部屋に入ることを許されていない。

もしくは、かかに気遣って僕との関わりを避けているのだと思う。かかがお風呂に入っていると、君はまるでこの隙にというように、僕の部屋を覗きにくる。

「入れば?」
「ううん、今日はいい」

昨日話した会話はこれだけだったけど、今はまだ同じ家に住んでいる。

なんとかしないとダメだ。


オロカ。

リビングにたまたま3人が揃った時、離婚の話が出た。かかは君を説得しようとする。まだその二文字の意味も知らない君に。

こういう時、君は全く話を聞こうとしない。まるで興味がないふりをしている。あまり見ていないアニメを見て、あまりしていないゲームをして、その話に寄ろうとしない。

無理をして自分に嘘をついて、
この時間を辛抱している。

話はまとまらず、僕は自分の部屋に戻った。しばらくすると君が入ってきて、僕の横に寝転んでゲームを始めた。

「かかのところに行けば? かかのこと好きでしょ」

なぜか、そんな言い方をした。

「かかは好きだけど、一番好きなととと今は遊んでる」

君はすぐにそう言った。確かにそう言った。

ここで喜ぶのは愚かな奴だ。
ここで泣くのは呑気な奴だ。

僕は、9歳の息子に気を遣わせてしまっている最低な親だ。嘘をつかせてしまっている親だ。

親の前で自分を押し殺すことを覚えさせてしまった親だ。最低な父親だ。すまん…。


キミハ。

「おい、とと!離婚しそうになったら僕が全力で止めてやるから心配するな!」

君はわざわざそれを言う為に僕の部屋に来た。

僕らはしばらく見つめ合った。子供の頃の僕とは違って、この子は人の眼をしっかりと見て話す。

君は眩しい。
その眩しさが今は痛い。

それでも、話は離婚に向かっていく。親権を争うつもりは無いし、母親に勝てる訳がない。君から母親を奪うようなことはしたくない。いや、誰も母親を奪ってはいけない。

君が家族3人暮らしを望むなら、僕もそれがいいに決まっている。でも、どうやら本当に壊れるみたいだ。

前回と違うところは、無理矢理お互いの家族を巻き込んででもなんとかしようという気力がない。夫婦カウンセリングに行こうという気持ちももうない。かかと上手くやる自信がもうなかった。

別れが寂しくなるので、君とはもうあまり話さないようにして、僕はトイレとお風呂以外は部屋にいる。そういえば、最後にリビングで食事をしたのはいつだっただろうか。

「ととー! 一緒にグミ食べよー!」

僕以外の誰かにも聞こえるような、家中に響く大きな声を出して君は僕の部屋に入ってくる。

まるで君はひとりで戦っている。

誰と、何と…

僕に、今の僕に何ができる…。


オモミ。


部屋で寝ていると、君がふざけて布団の上に乗ってくる。心地良い重みを感じる。君の重みはいつになっても心地が良い。

赤ちゃんの時も、保育園に行っていた時も、泣き止ませる時も、疲れて眠ってしまった時も、早くに目覚めた時も。

そう、これからもずっとだ。

ゆっくりと流れる日曜日の朝、君が重みとぬくもりで伝えてくる存在の表現に癒しを受ける。

いつまでも眠っている僕の隣で、本を読んだりゲームをしたり、時々早く起きてと勢い良く乗ってきたり。

そして、その日はいつもよりも乗っている時間が長い気がした。

「たくっち重いよ! いつまで乗ってるのさ!」

そう言おうとして身体を起こしたら、

部屋の中には僕しかいなかった。

僕は君の存在の夢を見ていただけだった。

これから何度この夢を見るのだろう。

寂しさよりも不安が大きかった。

この夢は、実は2回目だった。君と初めて離れ離れになった時も、全く同じ夢を見た。

そして、全く同じことを思って絶望した。

これから何度この夢を見るのだろうと。


しばらくすると、部屋の外で声がする。

「あの段ボールの荷物は誰の?」
「ととのよ。ととはこの家を出て行くの」
「嘘でしょ?!」

君はまだ何も知らない様子だった。


お互い少し頭を冷やそう。
僕はしばらく実家に帰るよ。

そんなことをかかと話していたんだ。

僕が出て行く事実を知った君は、すぐに僕の部屋に入ってきた。

「僕ね、耐久力のあるこいつを育てるよ」

ゲームの話をたくさんしてきた。たくさんたくさん、してくれた。君はそれ以外は何も話さなかった。僕は言葉が何も見つからなかった。

君が好きだと言えば良かった。


スイミ。

君が2歳の頃、赤い電車を上手に描いて、僕はすごく感動した。僕はその絵をスマホの写真で撮って待ち受けにして、いっぱい褒めて、たくさん一緒に笑った。

君が描いたカニの絵は、一緒にハサミで切り取って、スマホケースに入れた。描いてくれた似顔絵は、車のサンバイザーに挟んである。

一緒に貼り絵をして作った大きな城も、学校で作った魚のしおりも、ちゃんと大切に保管している。その全ての理由が、嬉しさの共有。喜びを君にも伝えたかった。君の成長と君の作品に、父が喜んでいること。感動していること。それを君に伝える手段だった。

君をいつも笑わせていたかった。


コクリ。

気がつけば、実家に帰ってきていた。無心で荷物をまとめて、それは一瞬の出来事だった。

僕の部屋で最後に君と真面目な話をした時、

「ととも3人で暮らしたいの? 僕もだ。じゃぁ多数決で決めよう。かかに言ってくる!」

君は嬉しそうにそう言って僕の部屋を出た。きっと違う話を聞いているのだと思った。君は3人で今まで通り暮らせると思ったのだろう。

しかし、しばらくすると君の母さんの叫ぶような泣き声がする。ひどく反対されたのだろう。

時間を少し置いてからリビングに行くと、君にしがみついて泣く君の母さん。そして、その時の君は頭をぐるぐると回し、両眼もぐるぐると回していた。新たなチックの予感がして怖くなった。

これ以上、君に負担をかけるわけにはいかない。自分を押し殺すということと自分の意見が通らないということ、そんな大きなストレスに君は襲われていた。

僕に気づいた君は、まるで平然とした態度で眼を合わせて静かに頷いた。僕も頷くことしかできなかった。じっと眼を見て僕も静かに頷き、僕はこの家を出ることにした。


アマド。

僕の母さん、つまりばあが大好きな君は、君の母さんの携帯を借りて直接ばあに電話をして、学校の帰りに遊びに行くと話したそうだ。

そのことを聞いた僕はなんだか落ち込んでしまって、会わないほうがいい気がした。

6年前に同じようなことがあった頃、あの時は僕が君に会う為に君の母さんの実家に何度も行った。僕が帰る時間が来ると、さっきまで笑って走り回っていた君は突然部屋に閉じこもって、布団の中から出てこなくなった。

あの時、君が布団の中に入っていたから、僕は君の泣き顔を見なくて済んだし、僕も君に涙を見せずに済んだ。寂しかった。寂しい想いをさせていることが辛かった。

そんなことを思い出すと、今はなんだか会わないほうがいい気がして、僕は仕事が早く終わっても帰ることができなかった。

「ずっとあんたの部屋にいたよ」

家に帰ると、母さんはそう言った。今はテレビも漫画もない僕の部屋で、君は宿題をしたりしながらゴロゴロしていたらしい。

リビングでおやつを食べながらテレビを観なさいとばあが言っても、君はずっと僕の部屋にいたらしい。

やっぱり可愛い。本当に大好きだ。早く帰れば良かったけど、なんだか会う自信がない。悲しい想いをさせたくない。バイバイする時に顔を見るのが怖い。

何が一番いいのか、僕にはまだわからない。


マンガ。

実家に帰ってきてから数日後、君の母さんの弁護士から電話があった。突然の出来事だった。

そんなことよりも、今日は君が楽しみにしている月刊誌の発売日。毎月、君にその漫画を買って帰るのが楽しみだった。

丁寧なお礼をちゃんと言った後にすぐに本を開き、集中力が凄すぎてしばらくは会話ができなくなる。ちょうどお風呂上がりの時に渡した時は、服も着ないで裸のまま読んでいたこともあったし、宿題の途中だった時は早く読みたくて汚い字で一気に書き上げていたこともあった。

君は集中して本を読む。何度も読み直したり、先月の本を持ってきて頭の中で物語を繋ぎ合わせて納得して、それを僕に教えてくれることもあった。

本を読む君を見ていることが幸せだった。今月、君の母さんは君に漫画をちゃんと買うのだろうか。


カタテ。

昨日、実家で晩ご飯を食べた時に気がついた。2リットル入のペットボトルの水が1ケース買ってあった。それは、水にうるさい僕の為だ。

母さんがこの重い荷物を買って家まで自転車で持ち帰ったのかと思うと、先に僕が買っておくべきだったと後悔した。

実家のトイレットペーパーが切れた時、トイレの上の棚から新しいトイレットペーパーを取って取りつけておく。184センチの僕には簡単なことだけど、150センチの母さんにとっては困難で、怪我をする可能性だってある。

そんな当たり前のことに気づいた時の僕は、もう十分過ぎるほど大人になっていた。


アノヒ。

車の中を片付けていると小さなおもちゃが出てきた。君を保育園に送っていく時、毎朝おもちゃを1つ持って出ていたことを思い出す。

保育園に着くと君は僕とおもちゃにバイバイをして、先生と手を繋いで保育園に入って行く。

ある日、君は車から降りずに僕と遊びたいと泣いたことがあった。僕は会社に遅れることばかりを気にして、保育園の先生に大泣きする君を託した。

あの時、もっと抱きしめておけば良かった。あんなふうに大声で泣くことなんて、もうないのかもしれないから。

あの日、早く君を迎えに行きたくて急いで仕事を片付けていた記憶がある。君を迎えに行って新幹線を見に行って、公園に寄ってすべり台で遊んだ。

また会えるかな。会えるといいな。

…会いたい。


ヤッテ。

君が実家に泊まりに来てくれた。約2週間ぶりの再会。たくさん話してくれた。何事もなかったかのように、今までと同じように、まるで昨日も一緒にいたみたいに。

君の可愛い横顔を見ていた。焼きそばソースを口のまわりにたくさんつけたまま、テレビに魂を奪われている君。子供は生きることに本当に素直だと思う。

二人でゴロゴロしていると、君は引っ付いてきてどんなことでも「やって」と一言。今日は甘えたい気分だったのかな。

普段はなんでも自分でやるお兄ちゃんになっているのかもしれないと思うと、たくさん甘やかしてあげたいと思う。

次の日、君とラーメンを食べに行く。テーブル席に着いて注文した後、君は水の入った自分のコップを持って、僕の隣に座った。

まだ、こんなに子供なんだ。君はまだこんなに幼いのに、もうすぐまた離れ離れになる。

いつまでも可愛い僕の坊や。
どうか元気でいられますように。君の周りの人達が、どうか君を明るく助けてくれますように。


オカシ。

君の母さんと話すことがあって、公園で待ち合わせをした。君と君の母さんに久しぶりに会い、3人で本当に少しだけ話した。

ブランコに乗った君はすぐに両方の靴を脱いで、靴下を砂だらけにした。それはとてもわざとらしかった。

痛いほど君の気持ちが伝わってくる。いつも君を想っていて、いつも君を見守っている。それを伝える為に僕は君を抱っこした。君は少しの間静かにしていた。

君と離れ離れになってから、僕はスーパーのお菓子コーナーを歩くことができなくなっていた。君を思い出して泣いてしまうから。

でも今日は久々にお菓子コーナーに行ってお菓子を買った。喜ぶ君の顔と笑い声を思い出すだけで楽しかった。今日、君に会えることが嬉しかったから。

「ととも今から僕の家においでよ」
「うん、またいつかね」
「一緒にお菓子食べよ」
「うん、今日はかかと一緒に食べて」

僕は君の心配と同じくらい、別の家に帰ることを怖く感じていた気がする。


アレチ。

君と君の母さんは家を出て、3人で暮らしていた家に僕は一人で暮らすことになり、離婚調停が始まった。

僕はそれまで何をしていたかというと、弁護士を雇って自分の身を守ることばかりに動いていた。

弁護士との打ち合わせがいつもより30分程早く終わった。もうできる準備は全て整った。揃える資料は全部揃った。矛も盾もここにあって、核兵器のスイッチはいつでも押せる状態になった。後は泥試合が始まるか、さっさとけりが付くか。どちらにせよ、ひどい戦争だ。

この戦争…誰が何を得る?
誰が救われて、誰が幸せになるの?
愛情ってどこから、誰からもらうの?

君の笑顔を、二人の親が潰し合う。

例えこの戦争がどんな形で終わろうと、君から「とと」と、いつまでもそう呼ばれる存在でいたい。

離れ離れになっても。君が呼んだところに、君が指差したところに、僕はそこにありたい。


スノー。

夏前のあたたかい昼間、思い出の中では雪が降っていた。

僕らが住む街には雪が積もることはほとんどないけれど、君がまだ幼い頃に少しだけ雪が積もったことがあった。

家の前で小さな雪山を作って、新幹線のおもちゃを滑らせる。何度も何度も滑らせて遊ぶ。黙々と繰り返す君の姿がたまらなく可愛かった。しばらく遊んで、風邪や霜焼けを気にしてお家の中に戻った。君はまだ遊びたくて大泣きした。

その日の夜、僕は自分が疲れていたことに気づいた。君の身体を心配したのではなくて、本当は自分が疲れていて、少しでも早く休みたいだけだった。楽しく遊ぶ君を泣かせてでも家の中に戻ったことに気づいた。

もっと君と遊べば良かったと、その日の夜に後悔した。それから数年間、雪はほとんど積もらなかった。

君と離れ離れになる約1年前、僕は仕事で雪がたくさん積もる街に行った。降り積もる雪を見ながら君のことを想う。

スーパーで大きな発泡スチロールをもらって、ふわふわの雪をたくさん詰め込んで帰った。家に帰ると君はお風呂に入っていて、僕はすぐにお風呂場で発泡スチロールをひっくり返した。雪が溶けて消えるまで、お風呂でたくさん遊んだ。

次の日の朝、君の母さんが僕に言った。

「僕はなんて幸せ者なんだ。この家に生まれてきて良かったって、涙を流しながら静かに眠っていったよ」

離れ離れになった今も、発泡スチロールを見る度にあの日のことを思い出す。何が出来るかと、いつも考えている。


コトバ。

君が泊まりに来てくれた。君は自分が住んでいた家に久々に帰ってきた。どんな気持ちなのだろうと、僕は君を見ていた。

「おかえり」
「うん」
「たくっち、おかえり」
「うん、ただいま」

おもちゃを部屋中に散らかしながらたくさん遊ぶ君は、先週に君の母さんの実家で、君の母さんの妹夫婦、そしてその子供達とバーベキューをしたことを話してくれた。何を焼いて、何を食べて、誰とどんな話をしたのか、いろんなことを話してくれた。

君がどんな風にそこにいたのか、君がどんな風に箸と皿を持って、どんな顔をして焼かれる肉や野菜を見ていたのか、誰の何を気にしていたのか。

人と人の間、君がどの辺りに立っていたのか。

わかる気がした。君は僕に似て、人の言葉に敏感なところがあるから。君と君以外の人達との、その距離感がわかる気がした。

吐いた本人も覚えていないような、見もせずに投げ捨てられた誰かの言葉。誰も記憶すらしていないような無責任な言葉が刺さってしまって、それがいつまでも取れなくて、気にしたまま壁を作る。

僕もそうだった。特に僕は人見知りがひどかったから。でもね、君は子供の頃の僕よりもずっとずっとしっかりしている。人の眼を見て話すことができる。だからなんにも心配しなくていい。もっと自分らしくしていればいいから。


ナミダ。

家庭裁判所で親ガイダンスを受けた。子供のことは誰よりも考えている自信があったし、正直受ける意味なんてないと馬鹿にしていた。

でも、すぐに涙が出てきた。ずっと泣いてしまっていた。君の心を心配して、混乱もさせたくなくて、僕から今回の事件の話をしたことがなかった。

二人の親、そのどちらかが嘘をついている。

そう思わせることも嫌で、ほとんど何も話していなかった。

来週、君が遊びに来てくれる。たくさん遊んだ後、ちゃんと、少しだけ僕側から話をしようと思う。


ラシサ。

「とと、今度は僕の家に遊びにおいでよ」

「いやいや、それはかかが嫌がるよ」

「呼んでもいいって言ってたよ?」

絶対に言わないと思うけど、子供らしさ君らしさを感じて笑えた。

泊まりに来てくれた君とゲームをして、笑い疲れて二人で寝転んだ時、

「たくっちがまだ赤ちゃんの頃、僕がこうやって寝ながら膝を立てると、たくっちはすぐに飛び乗ってきて飛行機ごっこを…」

話の途中で君は笑いながら勢い良く飛び乗ってきた。痛かった。膝も腰も、なぜか心も痛かったような気がする。

君を送って行く時、玄関に置いてあったアマリリスを枯らさないでくれと頼まれた。君が面倒を見ていた植物だとは知らずにほぼ放置していて、少し前まではピンと立っていた3枚の長い葉っぱの1枚は枯れて、残り2枚もだらんと垂れていた。

「枯れた葉っぱに栄養を使ってしまうから、ここの部分はハサミでちゃんと切り取っておいてよ」

すぐに言われた通りにした。水もやるようになった。出勤前に植木鉢を陽の当たる場所に移動させるようになったし、休みの日や早く帰ってきた日は、陽の当たる場所に改めて移動したりと、手をかけるようになった。

少し心配になったりと、気にかけるようになった。すると、アマリリスはたった数日で元気になった。なんだか嬉しかった。まるで子育てをしている気持ちになった。

たくっちも元気に生きていますように。


テガミ。

いつもと変わらない夜でも
身体のどこかがほんの少しの寒さを感じて
そこから寂しくなって不安が広がって

眠れないことだってある

そんな時は思い出してほしい
僕はいつでも君のそばにいるから


デアイ。

僕には仲の良い妹がいるから、兄弟の素晴らしさを知っている。なのに君には兄弟を作れなかった。それはずっと後悔している。

だからというわけじゃないけど、出来る限り多くの人に会わせて、いろんな人と会話をさせようと、いつもそう心がけていた。

仕事を手伝ってくれと言って、助手席に君を乗せて得意先に行く。

お手伝いして偉いねと褒めてもらいながらホテルでロールケーキを貰ったり、居酒屋で美味しいジュースを飲んだり焼きおにぎりをもらったりした。

中華屋の杏仁豆腐の隠し味を君が言い当てたことで、君はその店で料理長候補になった。料理長と君は楽しそうにしていた。

たくさんの人と出会って欲しい。


タクト。


離婚調停が進み、これから会えるかどうかも怪しくなってきた。もう会えなくなる可能性だって十分に考えられる。少なくとも、この調停が終わるまでは会えないことになりそう。

僕はハンカチ屋さんで、君が好きな猫の刺繍といつか一緒にYouTubeをやろうと約束した時のチャンネル名を入れてもらった。

渡せるかどうかもわからないけど、どうか君が笑っていられるようにと祈りを込めた。


ビデオ。

君がビデオ通話をかけてきてくれた。映っていたのは君の顔ではなくてゲーム画面だった。

「とと、見てよこいつ。この耐久力。すごいでしょ」

顔は見せてくれなかったけど、その画面を僕に見せようとスマホとゲーム機を持っている君を想像すると、可愛くて泣きそうになる。

僕ら親子だけど、友達だもんな。


ホンネ。

もう会えないかもしれないと思っていたけど、君は当たり前のように泊まりに来てくれた。調停での話の流れが悪く、もしかしたら今回が最後の面会交流になるかもしれない。

今何が起きているのか、どこまで何を知って、それをどんな形で理解しているのか。

君はそんなことよりも僕と遊ぶことを選んで、きっといろんなことを乗り越え振り切り、会いに来てくれたのだと思う。

もしかしたらこれが最後かもしれないと思うと、僕は君の身体を洗いながら、大きく育ってくれたことをたくさん褒めて、ちゃんと全身が綺麗になるような洗い方を伝える。毎回同じことを言っているから、君は少し面倒臭そうに返事をする。

お風呂を出ると布団の上でゲームを始める。今まではゲームをしている時はゲームの話しかしなかったのに、家について、母について、暮らしについての不安を教えてくれた。

ただ返事をするのではなく、今回は僕も色々と話した。すると、君の気持ちや考えを教えてくれた。

「ごめん、阻止できなかった」

なんとも言えない表情で君は言った。離婚はさせないと、情けない父に力強く言ったことを君は覚えていた。

「ううん、悪いのはとととかかだ。たくっち、これからもいっぱい遊ぼうな」

二人で同じ画面を見て、馬鹿笑いを繰り返しながらゲームをした後、君は静かに眠った。


前回会った時と同じ服を着ていたら、服を買いに行こう。散髪に行ってなかったら、一緒に髪を切りに行こう。そう決めていた。

子供は親が用意した服を当たり前のように着る。大きくなって服が小さくなっても、きっとそれ以外のことに夢中でそんなことは気にならない。

だから、親が見ていなきゃいけないと思う。

二人で服を選んでいると、お揃いにしようと君が言ってくれて、僕らは同じシャツを買って、そのまま店のトイレで着替えて散髪屋さんに向かった。

「でかいおっさんとでかい子供が同じシャツ着てるって、まぁまぁシュールだよな」

少し恥ずかしがっているのか、君はそんなことを言った。

床屋さんは少し混んでいて、先に君が切ってもらい、その後に僕も切ってもらう。僕が切ってもらっている間、鏡に映る君は静かに本を読んでいた。

とても静かで、まるでそれが当たり前で、もうすっかりお兄ちゃんになっていた。なんだか少し寂しい気持ちになった。

家に帰ってからは、二人で風船に水を入れて破裂寸前までどんどん膨らませていく。

「待って! 待って! 心臓止まりそう!」

君はそう言って大はしゃぎして笑い転げる。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

「本当は、みんなでここで暮らしたい」

君を送って行く時、玄関で君はそう言った。本音を久々に聞いた気がした。ずっと我慢させていた。

久々に本音を教えてくれた気がした。

「とともだよ。ちゃんとかかに話してみるから。今ね、月に一度話し合いをしてるんだよ」

本当の声をくれた君に、僕は嘘をついた気がする。


ヨウビ。

月曜日は早く帰ってくるから遊べるね。

明日は火曜日だから帰ってくるの少し遅いよね。先に寝てるね。

次の水曜日は休み?
休みなら一緒に寝てもいい?

木曜日は早い時と遅い時があるけど明日はどっち?

金曜日は早いよね。もし遅くなっても、僕は次の日休みだから起きて待っててもいい?

土曜日は帰ってくるの遅いけど、僕も遅くまで起きてる。もしそれよりも遅かったら、日曜日は遊ぼうね。

保育園の頃から、毎日。本当に毎日だ。毎日君は僕にそう言ってくれた。寝る前も朝起きた時も。仕事に行く前も帰ってきた時も。

君の頭の中には僕のスケジュールがしっかりと入っていて、遊べるか遊べないか、どれくらいの時間遊べるのか。いつもそんなことを言ってくれていた。それがどれほど勇気になっていたか、どれほど生きる力になっていたか。


アルヒ。

ある日突然、君の父さんが羊毛フェルトと専用の針を買ってきた。

君はそんなことを覚えているだろうか。

君と並んで座り、遊びながら作っていく。僕に似て手先が器用な君は、小さくて可愛い物を作ることが好きなはずだと思っていた。

たった数分で絆創膏だらけになった君の指を見た時はこの遊びは失敗だったかと思ったけど、楽しそうに笑って続けている君を見ていると「やっぱりやめようか」とは言えなかった。

猫や雪だるま、ゲームのキャラクターを作った。実はね、もし君が冬休みの自由研究に困った時にと、父は密かに思っていた。

前回の面会交流で、君はあの日の作品を部屋で見つけた。手に取り、しばらくじっと見つめていた。

「これ持って帰っていい?」
「いいよ。それはたくっちの物だから」

君はすぐにリュックに詰め込んだ。今年の君の夏休みは、どんな夏休みになるんだろう。

明るくて元気な笑い声が少しでも長く続きますように。


ユウキ。

少しだけ勇気が必要になって、昔使っていたスマホに残っている幼い君の動画を見る。

「さっき、どうしてお風呂に入ってきてくれたの?」

君とそんな話をしている動画だった。その日の晩、残業で帰りが遅くなった僕がお風呂に入っていると、もうお風呂に入ってパジャマを着ていた君はパジャマを脱いでお風呂に入ってきてくれた。

ちのうやくちょくちてたでちょ
(昨日約束してたでしょ)

君は当たり前のようにそう言った。

「ごめんね、仕事が遅くなっちゃって」

あやままなくていいの。もうゆるちてる!
(謝らなくていいの。もう許してる!)

昔から君は真っ直ぐな子だった。


リズム。

君が階段を降りてくる足音が、何歳になっても同じだった。家の階段は段差が少し高くて落ちたら大怪我をするとしつこく言っていた。

だから君は降りてくる時、手すりを持ってゆっくりと降りてくる。その音が、そのリズムがいつも可愛らしかった。

君の足音を聞いただけで、君の状態がわかる。君がゲームを持っているのか、本を持っているのか、まだ眠たいのか早く遊びたいのか。

僕の部屋に来てまず何を話し出すのか、そんなことがわかっていた気がする。

日曜日の静かな朝、君の足音の夢を見た。元気な足音だった。きっと勢い良くドアを開けて、大きな声で「遊ぼう!」と言ってくる。もう少しだけ眠りたかった僕は思わず布団を被った。

でも、夢だった。もう君はいない。


トケイ。

時計が止まった
いつの間にか止まっていた

いつも見つめられていた時計が
いつも静かに動いていた時計が

そっと静かに役目を終えていた
止まることを止められなかったこと

終わったことを
過ぎ去る記憶を残しておくこと

止まった時計をそのままにして
新しい電池だけ買っておいて
いつか君が遊びに来た時に
「電池の入れ換え方がわからない」
なんて言ってみたら

きっと君は得意げな顔をして
手際良く交換してくれると思う

可愛らしい姿をきっとまた見せてくれる
君との思い出が変わらないように
忘れてしまわないように


キオク。

「服を5秒で脱げるから数えて」

お風呂に入る前、君は時々そう言って僕の前に立つ。

「いーち、にーぃ、さー…」

君は3秒もかからないうちに全裸になった。突然のそんな発言をするところも、少しズルをしていたところも、まるで子供の頃の自分を見ているように思う。

「これ、何の真似かわかる?」

君は全裸のまま、ゆっくりと首を左右に動かす。

「何? 全然わかんない」

「これは扇風機の真似」

君との記憶が、突然蘇る。
寂しい、嬉しい。


フタリ。


車道の向こう。本屋の前に君がいた。

「ととー!!」

僕を見つけた君は、大声で僕を呼んだ。
偶然、久々の再会だった。

「たくーっち!!」

僕も大声を出した。君の母さんもいた。でも、今の僕らには関係無かった。

「ととーっ!!」

「たくーっち!!」

親子がふざけている。知らない誰かがそんなふうに見ていた。でも、僕らは真剣だった。

「ととーっ!!」

「たくーっち!!」

車道は越えられない。それでも近づいていく。

君は大人に、僕は子供に。
まるで二人の年齢が近づいていく。

二人は笑っていなかった。手も振らなかった。君の可愛い大きな眼は、まるで僕だけを見つめるように小さくなっていた。今の僕も同じような顔をしているのだろうか。

二人の間を行き交う車。互いに向きの違う風を感じながら、何度も、何度も僕らは呼び合った。

きっと同じ気持ちだった。


キセキ。

インターホンを押した君がモニターに映る。返事をしてから玄関を開けると君の姿はなくて、笑い声をこぼしながら車のところに隠れていた。久しぶりの再会。まだこんなに可愛い姿を見せてくれる。

家に入ると、君は何かを思い出したかのように突然収納スペースに潜り込んで散らかし始めた。おもちゃや思い出がたくさん残っている収納スペースから、君はある物を取り出した。

カード入れくらいの小さな段ボール箱に写真が貼ってある。写真立てみたいなその箱の中には、土が入った袋。

「何これ?」
「プチトマトのお墓…」

すぐに思い出した。君が毎日水やりをして育てていたプチトマトは、ある日君の母さんが殺虫剤で枯らしてしまった。

その写真を撮って印刷して、段ボールで箱を作って袋に土を入れて、数年前の君はプチトマトのお墓を作っていた。

僕は知っている。君が本当に悲しんでいたこと、ショックを受けていたことを。これは玄関先の思い出を飾るところに一緒にしておくことにする。


わざとだらしのない大人のふりをして、エアコンのリモコンをその辺に置いて、君の前で失くしたと少し困りながら言うことがある。

そんな自分の心理を探ってみると、君がちゃんとしてしっかりしているということを伝えたいからなのかもしれない。

いつも君は積極的に探してくれる。

「ちゃんとここに置かなきゃ。ほら、この壁にかけるところがちゃんとあるでしょ」

「うん、そうね」

「ここは父さんと僕のお家なんだから、ちゃんとしてよ」

まるで強調するように、君はそう言った。少し前までは当たり前のこと、それが当たり前ではなくなって、それでもそう言う君の強さが苦しかった。

離婚。

たわいのない会話の中で、そんな言葉が落ちた。いつの間にかその言葉の意味をはっきりと理解していた。君の口から聞いたその単語は、明らかに覚えたてのものではなかった。

家だけじゃない。きっと学校でも、いろんな人達と話したのだろうと思う。実はあの時、僕は呼吸の仕方がわからなくなるくらいに動揺していた。

「そうだ、それ見てよ」

すると君はリュックをひっくり返し、赤ちゃんの頃に遊んでいた正方形の積み木を出した。そのひとつひとつにドットキャラ風の顔が書いてあった。

これは凡内君。
これは細岡君。
こっちは普口君。

その説明に驚いた。その3人は、僕が書いた小説に登場した人物だった。小説を書いていた時、何度か話したことがあった。普口君はかなり男前に仕上がっていて、キャラ設定まで君は覚えていた。そういえば、普口君は君が好きなキャラクターでもあった。

嬉しかった。嬉しかったけど、この積み木に絵を描いている君を想像したら寂しくなった。

僕の想像の中、君はなぜかひとりぼっちだった。ひとりで積み木に絵を描いていた。

「たくっち! これで遊ぼうぜ!」

そう言ってたくさん遊んだ後、

「これさ、どれかひとつを玄関先に飾っておきたいんだけど。すごく気に入っちゃったよ」

君を褒めたいだけじゃない。たぶん僕は、君はひとりじゃないよと伝えたくて、そう言ったんだと思う。


ユクエ。

離婚が成立した。僕は君の父親として、君を一番に考えること、嘘をつかないこと、この2つを意識してこの問題と向き合ってきた。

離れ離れになってから半年以上が経っていた。

何もできなかった。本当に何も。
僕にできることは何もなかった。

リビングの真ん中で倒れて、天井を見ていた。君を想うと悔しくて涙が止まらなかった。


かかとは上手くいかなかった。それは離れ離れになる前からで、譲り合いができなくなった。ととはかかに歩み寄ることができなくなった。優しくすることが嫌になって、とうとう口も利かなくなった。だから離婚の原因は、本当はととにある。

最後に君と会った日の帰りの玄関先、靴を履きながらそう話した。君はじっと僕の眼を見ていた。君は真実を見る眼で僕を見ていた。僕にはそれが怖かった。

「かかは嘘をついていたよ。それにととの悪口ばかり言ってた」

真実を見ているのか…いや、そうではない。

君は今、僕の味方をしてくれている。そんな君の優しさは、なんだか僕に似ている気がした。

その優しさは、きっといつか、必ず誰かを幸せにする。それまでたくさん傷ついて苦労するだろう。なんども泣いてしまうだろう。



あのね、たくっちは俺みたいな失敗するなよ。離れ離れになるけど、俺が持ってるこの優しさは、たくっちに残すよ。



面会交流の条件は最初から最後まで、息子に任せるとしか言わなかった。

「とと! 毎月一回は泊まりに行くから!」

君は最後まで二人の親のバランスを考えていたのだと思う。本当に、申し訳無く思う。

未来の君に届くようにといつも歌っていた子守歌を、何度も泣きながら歌った。

たくっち、離婚して本当にごめん。


ツナグ。


僕にできる限りの愛情を、面会交流で伝えていきたいと思う。君が君のままでいられるような、これからはそんな面会交流にしようと思う。

今日は君と新しい靴を買いに行った。僕は自分が子供の頃に母さんと靴を買いに行ったことを思い出す。

ただ選んで、ただお金を出すだけが父親の役目ではないと思った。

一緒に選んで、君に靴を履かせて、靴のつま先のところを指で押す。

「きつくない?」
「うん、大丈夫」
「こっちの履いてごらん」
「僕はこれでいいけど」
「いいから」

別の靴を履かせてもう一度つま先のところを指で押す。

「どう?」
「うん、オッケ」

君はこれからどんどん大きくなる。そして、楽しいことがたくさん待っている。靴が小さくなっていることを言い忘れるくらいいろんなことに夢中になる。

だから君の足の成長は僕がちゃんと見ていたいと思う。

この愛情の示し方を君に伝えておく。僕は母さんから貰ってきた。

君と向き合い、君の足元で屈んだまま見上げると、君は無表情で、可愛い顔でじっと僕を見ていた。


デッキ。

君の誕生日。当日にお祝いができないのは今年が初めてだった。君はじいからもばあからもたくさんのプレゼントを受け取るから、僕はいつも何かを作って、お金のかからない物を渡すと決めていた。

去年はドット絵風の貼り絵を作ってラミネート加工をした誕生日カードを君に送った。少しずつ作っていたことが数日前にバレてしまい、君と一緒に作ることになった。

「なんで僕の誕生日カードを僕が手伝ってるんだ?」

なんて笑って言いながら遊んでいたことを思い出す。

最近カードゲームに夢中の君に、新しいカードとデッキ入れを買って、デッキ入れの中に手作りのキーホルダーを入れた。

じいとばあにたくさん祝ってもらって、その後は家で昔みたいに二人で遊ぶ。特別なことはしなかったけど、まだ本当に幼い頃に良く一緒に見ていたアニメが見たいと君は言い出し、同じ画面を二人で眺めていた。

「たくっち…お誕生日おめでとう」
「うん」

あの頃とまるで変わっていない。釘付けになる君がとても可愛らしい。


ナマエ。

君は学校の宿題を持ってきた。鉛筆を持つ姿を僕に見せてくれた。ノートには、僕とはもう違う名字が書かれていた。

気づかないフリをしていたけど、君は慌ててノートをひっくり返して僕の顔を見た。

どうしようという顔をしていた。

「そういうことはね、気にしなくていいの」

「違うよ? とともこの名字になれるよ?」

「ととはなれないよ。たくっちはなんにも気にしなくていいから。ほら、この字書いてよ」

頭を撫でて、肩をぽんぽんと軽く叩いた。

「たくっちはいつまでもたくっちで、ととはいつまでもたくっちのととだよ」

「おしっこ!!」

君は泣きながら泣く姿を隠そうとトイレに行った。楽しいことをたくさんしようと思った。毎回、何回も何回も笑わせようと思った。


シュミ。

ととの趣味は、詩や小説を書くこと。遠くへ出掛けていろんな物を見て、いろんなことを書くこと。

最近の君は、そのことについて質問してきたり自分の考えを話してくれる。

僕も高校生の時、父さんに麻雀の役のことを時々聞いたりしていた。別に僕が麻雀に興味を持ち始めたわけではないし、父さんが麻雀好きというわけでもなかった。

たぶん、子供なりに無口な父さんとの共通点を探した結果だった。

別になんでも良かった。僕はなんとなく、父さんと話したいと思っただけだったと思う。

あの時の僕は、父さんに認めてもらいたかった、並んでみたかった、大人になりたかったのかなと、そんなことを今思う。


ゴッコ。

「ヘイ! たくっち! 俺がレジを済ませている間にあっちに積んである段ボールで箱を1つ作ってくれ。この荷物が入るくらいの大きさな!」

「オッケー! 任せろ!」

レジに並んでいる時、ミッションごっこをする。どう見てもそれはでか過ぎだろと思う箱を見事に作ってくれて、それがすごく可愛い。

「帰る前にトイレに行こう。一緒に行きたいけど荷物があるから順番ずつ。待っている方は荷物の見張り。よし、先に行け」

「オッケー、わかった!」

君は小走りでトイレに行った。なぜ走って行ったのか。僕が次に待っているから、それともこの遊びを楽しんでくれているからか。

本当に、明るくていい子だと思う。それが壊れる可能性、環境を実の親二人が与えている。

影に敏感になる。しっかりと見守っていたい。


サンタ。

「サンタさん来るかな?」
「トナカイが飛ぶわけないじゃん」
3歳の君はそんなことを言った。

「ととも良い子にしてたからサンタさん何かくれるかな?」
「大人は金があるでしょ」
4歳の君は風邪を引いて鼻声で言った。


「もしもし? サンタのおじさんだよー」

「えっ! 本物のサンタさん!」

「そうだよー。良い子にしてたかなー?」

「うん! 僕ね、九州新幹線が欲しい!」

「わかったよー。お母さんの言うことをちゃんと聞くんだよー」

「うん! ところでとと、今日は何時に帰ってくるの? 仕事はもう終わった?」

5歳の君は、もう何かに気づいたかもしれない。でも、信じている子供達にはサンタさんがやってくる。ある時に気づいた君は、サンタさんへお願いするようになった。

「見ろたくっち! 朝起きたらコーラゼロが置いてあった! ととが良い子だから、サンタさんがくれたんだ!」
「うん、それは本当に良かったね」

高学年の君は棒読みだった。おちゃらけた父を、君は覚えているだろうか。


ネンガ。

君からの年賀状が届いた。ハンコは押してなかったから、君が直接持ってきてポストに入れてくれたんだと思う。

一声かけてくれれば良かったのに。

あけましておめでとう。


ハヘン。

久々に君と会って楽しく遊んで、ばあとじいの家で食事をした。仕事で疲れてしまっていた僕は、そのままリビングで少しだけ横になった。

君はばあとテレビを観ながらいろんな話をしていた。その声が心地良かった。


「本当は名字変わりたくなかった」


突然だった。静かに休んでいた脳に君の寂しそうな声が突き刺さってきた。離婚してからもうすぐ1年。君の中にはまだ解決していないこと、納得していないことがあった。全然気づけなかった。

ばあは君に優しくわかりやすく色々な説明をした。うん、うんと頷く君の声が少し震えていた。僕はその時、寝ているふりをすることしかできなかった。


ネガイ。

僕の誕生日、父の日、学校や放課後デイサービスで何かを作った時、君は僕にプレゼントをくれる。

色鮮やかなコースター、切ったストローに糸を通した風鈴、僕が大好きなキャラクターのビーズアート、ストラップ…その全てが宝物。

手作りがすごく嬉しい。君は手先が器用で物作りが好きで、面会交流の時もいろんな物を作った。

もうしばらく会えていないけど、どうか元気でいて欲しい。前回遊んだ時は、回転寿司のガレージで肩を組んで歩いた。心も体もますます大きくなっていた。

また会えた時、その成長が楽しみだ。


ガマン。

久々に君から連絡がきて、遊ぶ約束ができた。色々あったのかもしれないけど、元気そうだった。もうお父さんが必要な時期が過ぎて、しばらくお休みになったのかと思っていた。

そして、約束の前日の夕方から、音声メッセージが何度も届く。僕も音声メッセージで返事をする。僕らは1時間以上メッセージを送り合っていた。

夕飯もお風呂もあるから、このやりとりを終わらせようと、

「明日のお昼、気をつけておいでよ。また明日ね」

そう言って切り上げようとしたけど、君はずっと音声メッセージを送り続けてきてくれた。まだ終わらない。まだたくさん話したい事があると、いろんな話をしてくれた。

次の日の朝も、それは続いた。

君は少しだけ大人になって、少しずつ父から離れていくと思っていた。

全然違った。

たくさん、きっとたくさん我慢させていた。楽しみで楽しみで、仕方がない様子だった。

ごめん、まだまだ全然何もわかっていなかった。


ツヅク。


月に一度の面会交流。その価値観や意味が二人の中で落ち着き始めた。きっと僕らはそう思っていた。

「ととって恋人いるの?」

「なんでそんなこと聞くの? たくっちは?」

「いないよ」

「これからたくさんできるよ。たくっちはととに似て顔が可愛いから」

「別にいらないけど」

「たくさん恋をして、たくさん傷ついて、いつか運命の人にちゃんと優しくできるようになるよ」

「ふーん」

「その人と結婚して、赤ちゃんができたら、写真見せてくれてよ」

「え、写真だけでいいの? 抱っこしないの?」

「ととはね、抱っこしたことがある赤ちゃんはたくっちだけなんだ。なんだか壊れそうで怖くて他の赤ちゃんは抱っこできなかったんだよ。だから、ととが抱っこするのはたくっちだけでいいの」

「じゃぁ、紹介するよ。僕のお嫁さんにも赤ちゃんにも」

「嬉しいね。優しいなぁたくっちは」

「この人が昔おばあちゃんと喧嘩して離婚してひとりぼっちになってしまった君のおじいちゃんだよって」

「お前! お前さぁ!」

二人で笑い合った。最後の面会交流の、君を送って行った時の会話。

乗り越えたのかな。
またいつか、また会えたらいいな。

君のことは心配している。
でも、僕らのことは心配していない。
君もそうだと思うから。繋がってるから。

いつも君が先に頑張ってくれた。
僕はその勇気に応えたかった。


本当にありがとう。

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