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条里制の起源と日本社会の「沼地」的あり方の関わり?

皆様は「田んぼ」と言われて、どんな風景を思い浮かべるでしょうか?谷間の「谷内田」と言われるような場所でしょうか?、段々畑のような斜面に展開する田んぼでしょうか?それとも、平野部に広がる真四角な田んぼでしょうか?

日本列島に稲作がもたらされた当初、この真四角な田んぼは作られていませんでした。
当初は、自然の湿地帯等を改良して稲を植えるやり方が基本だったようです。
それがある時期から「条里制」と言って、平野部に真四角な区切りを作って、田んぼにしていったようです。

この条里制の歴史について書かれた「条里制(日本歴史叢書 落合重信著)」は、初版が1967年代と古いものの、今読んでもいろいろな事を感じさせる本です。

著者は大化前代・・・つまり、645年の大化の改新の前から条里制による田んぼづくりは行われていた、また5世紀後半、巨大古墳を作った土木技術は、平野に真四角な田んぼを作る土木技術の発展と軌を一にしていると考えているようです。

この論が興味深いのは、実は大化の改新で導入されたとされる公地公民制は、それ以前に蘇我氏が考えていたものだと言う説との関連においてです。

日本書紀の中では、次の天皇となる「跡継ぎ」の人達が見当たらなかった時、北陸に男大迹王と言う人がいると言って、即位させ「継体天皇」にしたのは、大伴氏の発案だったとされています。

この後、群臣(「まえつきみ」と読みます)達が、次の大王はこの人がいいと「推戴」すると、推戴された大王が、群臣達を改めて重臣に任命する儀式が行われる時代が続きます。

この時期、どうやら大伴氏は「キングメーカー」だったようです。
しかし、いつしか群臣リストから大伴氏が外れ、蘇我氏が入ってきます。
そして、蘇我氏は群臣リストに名前が出るとすぐに「大臣」になっています。

今で言うなら、国会議員に初当選した人がいきなり内閣総理大臣になるようなもので、大抜擢と言えます。

そして、どうやら蘇我氏は、仏教の導入など、「改革派」だったようです。
ただ、「足腰」が弱かった・・・
つまり、あまり領地や領民などを持っていなかったようです。
先の条里制の話と合わせて考えると、豪族たちが平野を切り開いて田んぼを作り、自分たちの「領地」にしていった。そして、その田んぼを耕す「隷属民」を抱えていた・・・
こういうあり方が、どうやら「限界」に近づき、何らかの改革が求められる時代、蘇我氏は、改革派として抜擢されたようです。
ただ、ここから先が問題なのですが、改革とか革命とかと言うのは、それまでの社会のあり方を否定することでもあるわけです。
この事は、それまでの社会で「既得権」を持っていた人達から既得権を取り上げることにもつながります。
しかし、それをやるには、その既得権を持っている人達の抵抗を押し切るだけの「力」が必要になります。
条里制の田んぼや隷属民をあまり持っていない=既得権を持たないからこそ、蘇我氏は改革派になれたのでしょう。
しかし、領地や隷属民を持たない事は同時に基盤が弱い、既得権を持つ人達の抵抗をねじふせる腕力を持たないと言う事にもつながってきます。
結局、蘇我氏は排除され、公地公民制は大化の改新で導入されます。
ここで興味深いのは藤原氏(中臣氏)の動きです。
仏教が倭国に到来した時、中臣氏は物部氏と一緒になって反対します。しかし、物部氏のように蘇我氏によって排除されていません。
また、大化の改新では中大兄皇子(後の天智天皇)と共闘しますが、天智天皇の子・大友皇子が壬申の乱で敗れると、勝者の大海人皇子(天武天皇)の側とうまくやっていくようになります。
仏教以前の在来の「カミ」信仰と言うものが、もしかすると、豪族達が領地や隷属民を支配するための儀式に関わっていたのかもしれません。
だから、仏教受容に反対の声があったのかもしれません。
しかし、藤原氏は、後に興福寺を氏寺にしていきます。

つまり、藤原氏(中臣氏)は、当初は改革を渋る「既得権者」の仲間だったのが、うまく、改革期の政変や氏族間抗争を乗り切り、いつの間にか「公地公民制」や「仏教受容」の改革派の側に乗り換えているとも言えます。

では、その乗り換えを通じて、藤原氏(中臣氏)が持っていた条里制の田んぼや隷属民達はどうなったのでしょうか?

この点について、述べるには、僕は、まだ勉強不足です。
ただ、例の遠藤周作さんの「沈黙」で出てくる吉利支丹宣教師と幕府の役人のやり取り・・・
つまり、「普遍は世界中どこに行っても普遍だ」と言う吉利支丹宣教師に対して、幕府の役人は「日本は沼地だ、どんな苗を持ってきても育たたない」と言うわけです。
現代でもなにか新しいことをしようとすると、「いや、日本でそんなことをするのは、まだ早すぎる」とかと言われて、足を引っ張られてしまう・・・そういう「グチャグチャ・ドロドロ」の沼地みたいなあり方、
そういうものを経験した方も多いと思います。
僕はなんとなく、藤原氏の転換・・・つまり、古い社会で既得権を持っていた側が、いつの間にか、自分たちの既得権をうまく温存しながら改革側に乗り換えてしまうような形で、過去の日本の「転換」や「改革」がなされてきた事と、この「沼地化」状態が関連しているように思っています。
では、どうしたらいいか?と言うと、その辺のことはまたおいおい述べていきたいと思っています。

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