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鳥山明さんの死に思う、漫画界のレジェンドの軌跡と秘話

鳥山明さんは日本の漫画界の巨匠であり、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの名作を生み出しました。

彼の作品は世界中で愛され、多くの人に影響を与えました。鳥山明さんには、以下のような興味深いエピソードがあります。

  • 鳥山明さんは漫画家になったきっかけが、賞金50万円が欲しかったからだと言っています。23歳のときに初めて漫画を描き、『週刊少年ジャンプ』の新人賞に応募しましたが、入賞は逃しました。しかし、その作品にセンスを感じた編集者の鳥嶋和彦さんに見出され、デビューへの道を歩み始めました。

  • 鳥山明さんは『ドラゴンボール』の連載中に、市街地の背景を描くのが面倒くさいと感じて、バトルシーンを荒野や岩場に移動させたり、敵の必殺技で街を吹き飛ばしたりしていたそうです。また、超サイヤ人の髪の色を金色にしたのも、黒髪のベタ塗りがめんどくさいからだと言っています。

  • 鳥山明さんは『ドラゴンクエスト』シリーズのキャラクターデザインを担当していますが、最初はゲームに興味がなく、仕事として引き受けたそうです。しかし、ゲームの面白さに目覚めてからは、自らゲームのアイデアを提案したり、ゲームのテストプレイをしたりするようになりました。

  • 鳥山明さんは漫画の神様と呼ばれる手塚治虫さんからも高く評価されていました。手塚さんは「鳥山明にはかなわない」「ちょっと上手すぎるよね」「僕の後継者」と発言したことがあります。また、鳥山明さんは手塚さんの新人賞・手塚賞の審査員に推薦されたこともあります。

鳥山明さんは、漫画家としてだけでなく、デザイナーやイラストレーターとしても幅広く活躍しました。彼の作品は、多くの人に夢や感動を与えました。鳥山明さんのご冥福をお祈りします。

P.S.
いかがでしたでしょうか。
自分にとってドラゴンボールは漫画やアニメでもよく見ていた作品の中の一つでしたので、鳥山明さんの死は衝撃的でした。

亡くなってしまった事について、正直まだ実感が湧きませんが、後世に意志は受け継がれるのではないかと思います。

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