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うつ病は環境の病気だと思う

うつ病は環境の病気だと思っている。
淡水魚が海では生きられないのと同じように、自分に合っていない環境では生きるのが難しい。

僕の通っていた中学高校の話をしよう。東大に毎年何十人も入る中高一貫の男子校。典型的な進学校だ。そこに通う人の多くが、大手銀行や商社、医者など、将来的にエリートと呼ばれるような職に就く。

「良い大学に入って、良い会社に就職」

生徒やその親、教員は、これを正義だと思っている。
やりたいことのために専門学校に行くことだとか、高卒で就職することだとか、そういう道が、最初からない。

そして、全員が全員、その環境に馴染めるわけではない。


僕の中1からの友達のM君はその環境に馴染めなかった生徒の1人だ。M君は勉強があまり得意ではなかった。だから学校内での成績もあまり良くなくて、若干ネタキャラのように扱われていた。勝ち気なM君にとって、それは辛いことだったのだろう。
M君は途中から学校に来れなくなった。半分不登校のまま大学受験に突入し、みんなと同じような大学を受けた結果、どこの大学にも受からなかった。1年浪人したけど、それでもどこの大学にも受からなかった。そしてそのあと、M君は突然音信不通になった。

M君から次に連絡が来たのは2年後。
「俺今山梨の教育系の大学にいるんだよね〜」
大学名を聞いたけど、知らない名前だった。地元だとそれなりに有名な大学らしいけど、少なくとも、僕の高校からその大学に進学する人なんて10年に1人いるかいないか、そのレベルだった。プライドの高いM君がそれを自分から話してくれたことに、僕は驚いた。

その夏、M君の家に遊びに行った。大学以外に周りは山しかないような、ちゃんとした田舎。M君はとても元気そうだった。その大学で友達がたくさん出来て、M君は顔が良いから彼女も出来て。大学で友達が1人もいない僕に、そのことを自慢してきた。僕と初めて出会ったときの、勝ち気なM君の姿がそこにあった。
M君は3人兄弟の長男で典型的な長男気質だから、歳下の面倒を見る機会の多い教育系の学校は性に合っているのだろう。女好きなM君にとって、女の子からモテていることも自己肯定感をあげる要因だったに違いない。

かつての弱気だったM君の姿はどこにもなく、完全に自信を取り戻していた。


もう1人、僕の友達のO君を紹介しよう。
O君はすごく頭が良かったけど、それを活かして良い大学に入ることとか、お金を稼ぐこととか、そういうことに興味がなく、いつも美術室に引きこもって何かを作っていた。そんな風だったから、当然中高の雰囲気に馴染めていなくて、彼も不登校気味になった。
O君は頭が良かったので、それなりに名の通る頭の良い大学に行った。そして、その大学を半年で辞めた。やめた原因を聞いたら「友達が出来なかったから」らしい。そんな理由で大学をやめるのも珍しいけど、分からなくもない。僕も同じ理由で、高校や大学を辞めようとしていたことが何度もある。

O君はそのあと美大に入り直した。僕の高校から美大に行く人なんか、史上初めてレベルじゃないだろうか。
そして美大に行った結果、O君はすごく元気になった。今まで通り大人しい性格ではあったけど、毎日作りたいものを作っていてすごく楽しそうだし、彼もなぜか彼女まで出来ていた。


M君もO君も、「学歴」とか「お金」という観点からすれば悪い選択をしたわけだけど、そのことで彼らは幸せになっている。「学歴」を選んだ結果、友達が1人もいない大学にやりたくもない勉強をしに行っている僕からすれば、彼らのことはすごく羨ましい。

多分だけど、僕は今いる環境がすごく合っていない。
僕の精神的な不調が始まったのは小学5年生の時からだ。ちょうどその頃、中学受験のための進学塾に入れられた。僕の成績が悪かったり、僕が塾をサボると親がヒステリックを起こしてしまうので、僕はやるしかなかった。そして、幸か不幸か、僕は勉強すればそれなりの成績が取れてしまった。でも、塾に行くことも、勉強することも、ずっとずっと嫌だった。

中学受験と大学受験。
エリートばかりのこの環境から逃げるチャンスは今まで2回あったわけだけど、僕はその両方で失敗した。というか、この環境から逃げるという選択肢自体持てていなかった。次にあるのは「就活」。今僕の周りにいる人間と同じような場所に就職してしまったら、おそらくまた同じような環境が待っているのだと思う。だからこそ僕は、見栄とかお金とかそういう価値観を捨てて、今度こそ、自分が幸せになれる選択をしなければいけないと思っている。

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