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コミュ障な僕が「人と話すのが好き」と思えるようになった理由

「上手く話せなくてOK」

僕がこのことに気が付いたのは、僕が会話の勉強のために、芸人さんやvtuberさんの配信やラジオを聞いていたときのことだ。

彼ら彼女らはいわば「会話のプロ」であり、それでお金を稼いでいるわけなので、基本的に話すのも聞くのもすごく上手い。学ぶべきことが本当にたくさんある。

でも、その配信をずっと聞いていると、とあることに気が付く。

それは、

「会話のプロでさえ、気まずい瞬間や上手く話せていない瞬間はある」

ということだ。

話題が途切れてしまって沈黙が流れたり、「その質問に対してその返答はおかしくない?」と思う瞬間が、会話のプロでさえ結構あるのだ。

プロでさえできないのだから、一般人の僕が、常に理路整然と話して、常に笑いを取り続けるだなんて無理な話だ。

街中で聞き耳を立ててみれば分かるけど、一般人の会話なんて、上手く話せていなかったり、会話が成立していなかったり、気まずい沈黙が流れていたり、そういうのばっかりだ。

それでもみんな、それなりに楽しい時間を過ごして、「また会おうね」と言って笑顔でお別れする。

だから

「上手く話せなくていいや」

こう思い始めてから、僕は人と話すのが好きになった。

どんなにたくさんコミュニケーションのハウツー本を読んでも「人と話すのが好き」とは思えなかった僕が、この考え方に至ってからは人と会うのが楽しみになった。

かつての僕のように、会話が上手く出来ないがゆえに、人と話したくない、人と一緒にいたくない、と思っている人は、上手く話そうとするのを辞めてみると良いと思う。

もちろんその言葉が故意に他人を傷つけるようなものであってはならないけど、そこに相手への思いやりと、自分の思いを素直に伝えようとする誠実さがあれば、相手はきっとその言葉を快く受け取ってくれる。

そして、自分も相手の言葉を広く受け止めよう。そうすると相手も「この人には何話しても大丈夫そうだな」と思って、たくさん話してくれるようになる。

幼稚園生、小学生の頃から「自分は上手く話せない」だなんて思っている人はほとんどいないはずだ。

それはきっと、「相手を信じて言葉を投げる」「相手の言葉を広く受け止める」という、この当たり前のことが無意識に出来ていたからではないだろうか?

大人になるにつれて、特に前者の、「相手を信じて言葉を投げる」ことが出来なくなる人が多いと思う。

何回も言うけど

「上手く話せなくていい」

のだ。

ここまで読んでくれてありがとうございました!

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