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卯月

僕と外の世界を繋げる唯一の時間は
【運動】時間のフェンスの隙間から見えるスカイツリーだけだった。

外の世界は冬の白黒の景色から春の絵画のような景色に変わっていることだろう。

数ヶ月前僕の世界は突然終わりを告げた。

いつもの日常が突然終わったのだ。


僕は明日運命の日を迎える。


1月のある日僕は一本の電話で目覚めた。

僕は二日酔いの気だるい身体を無理やり起こし電話になんとか対応した。

「内藤さん?朝早くすんません、
ちょっと今日リフォームの契約書
取って来てほしいんですけど、
行ってくれません?」

僕は面倒くさい。
お前が行けよ。
お前の手足じゃねぇよ。
等々口に出しそうになりながら
冷静に口を開いた。

「時間と場所、あっ、
後内容簡単に教えてください」

それはいつも通りの仕事だった。

葛飾区の一軒家の水回りと簡単なリフォームの受注を得意先の二代目のバカ息子が受けたようだ。僕はその会社のぶら下がり業者としてなんとか自営業として生活をしていた。

と、言っても同年代のサラリーマンの倍は稼げているから、こんな下仕事も受けざるを得ないと思っていた。
「二代目の仕事で良いんですよね?
対応するんでちゃんと仕事振ってくださいよ〜」

と、営業にもならない営業をかけて電話を切った。
手帳を開いて今日の確認をする。
約束の時間にはまだ余裕がある。
今日のスケジュールはゆとりがある。

二日酔いではあるものの冬の一日を楽しむためには文句がないスタートだと思うことにした。
たまにはスーツを着て行くか?
スーツを着るなら御ろしたてのシャツを着ていこう。
ネクタイは??と、考えているうちにもう家を出る時間がになって、少し慌てて家を出た。

僕は冬の街が好きだった。

冬の空気が好きだった。

何より冬は飯が美味い!!

さて飯は何を食べるか??

と、考えているうちに客先に着いた。

そうして僕の日常は終わりを告げた。


そこから先の記憶は殆どない。


突然手錠をかけられ、パトカーに乗せられ、狭い部屋で何か怒鳴られていた。


何も考えられなかった。


時間は淡々と流れていった。

翌日はバスに乗せられ検事の取り調べ。

翌々日は同じくバスに乗せられ勾留請求と言われ、意味もわからないままベルトコンベアーの上の荷物のような扱いだ。

ようやく現状を理解したのは3日目の夜だった。

社長が雇ってくれたらしい弁護士が面会に着た。

高田と名乗った若い弁護士は

オレオレ詐欺のその受け子として僕が捕まった事。

リフォーム先と言われた家は騙されたフリ作戦で、警察官が待機していた事。

僕は現行犯なので、すぐには出れない事。

バカ息子は既に捕まったという事。

を優しく淡々と教えてくれた。

つまり僕はまんまと、オレオレ詐欺の容疑者に仕立て上げられたのだ。

高田は表情を変える事無く
「社長さんから手紙をもらっています。
後ほどお読みになってください。
私は時間の許す限りきますし、
不安な事があれば何時でも
お呼び立てください。」
と、言い残し狭い面会室を出ていった。

僕は留置場に戻され手紙を受け取った



拝啓

内藤様

この度は、うちの息子のせいでこんな事件に巻き込んでしまいいくら謝っても、謝りきれません。。

私も警察の取り調べを受けましたが、捕まることも、内藤様と代わる事もできないと言われてしまい、自身の無力さを痛感しております。

何もできませんが、せめて弁護士先生に一日でも早く無罪にしていただくようお願いしました。

今はただ謝ることしかできない私で申し訳ない。


敬具


僕はどのような感情を持てばいいのか解らずに、薄っぺらい布団に潜り込んだ。


朝起きると、少しずつ周りが見えるようになってきた。

人と話す事、物事を遠くからで見れる事というのは生きるチカラにになるものだと初めて感じた。


留置場というのは、10畳ほどの部屋に5〜6人が収容されていて、様々な犯罪者が詰め込まれていた。

麻薬で捕まった者、
窃盗で捕まった者、
傷害で捕まった者、
詐欺で捕まった者、
中には夜の街のキャッチで入って来た者もいた。

皆、口々に「俺は悪くない」と話している。

ここの人達の言うことを聞いていたら、世の中平和なのだと違和感を感じながらまた日々は流れていった。
弁護士との日々の会話の中で、始めの目標が決まった。
まずは不起訴を目指すという内容だ。そもそも僕がここにいる理由がない。何も知らず、突然当たり前の日常を奪われたのだ。
ただ、犯罪の現場にいただけで、冤罪だ!と、思っていた。

弁護士は、僕の意見と法律のすれ違いを丁寧に時間をかけて教えてくれた。

そして逮捕されてから22日後僕の元に一通の紙が届いた。


【起訴状】


その紙はあっけなく僕と外の世界への壁そのものだった。


翌日、高田弁護士は朝早くやってきた。
彼は僕に優しい声をかけ、励ましてくれた。
そしてより一層の真面目な顔で
「内藤さん、良いですか?
これからお話する話は現実の話です。
内藤さんはココにいるべき人でない事を
私達は知っています。
しかし特殊詐欺に対して世の中は
決して許しません。
なので、検察も少しでも疑いがあれば
そこをついてきます。
なので起訴された以上戦い方を変えましょう。」

僕は高田と名乗る弁護士が何を考えているのか観察しながら、一言一句聞き漏らさないように話を聞いた。

「これは余談なのですが、
日本で起訴された場合有罪確率は
99%以上です。
無罪を勝ち取る事は不可能ではありませんが、
非常に長く大変な道のりです。
ココからが本題ですなので、
執行猶予を狙った戦いをしましょう。
私は内藤さんが刑務所に収監される確率は
起訴された以上30%だと考えています。
なのでその可能性を限りなく
0に近づける戦い方に切り替えましょう」

高田は断固たる決意の眼差しでさらに続けた。

「もし社長さんのご子息の証言が、
内藤さんの指示でやったといった
証言をした場合は、
携帯の通話記録や、メールの履歴等で
私が責任を持って今田さんの
関与を否定しますし、
警察の取り調べも
矛盾だらけになると思います。
しかし、現場に内藤さんがいたという
事実は消せません。」

僕はその時自分自身が思っている以上にまずい状態にあるのだと初めて悟った。

高田は少し表情を緩めて続けた

「安心してください。
私があの日内藤さんの悪かった事を
一つだけ見つけましたので、
裁判の争点はその一点に絞ります。
良いですか?内藤さんはあの日、
訪問先にに連絡を入れていなかった。
もし、その時電話を一本入れていれば、
話の口違いや矛盾で行かなかったか若しくは
警察などに相談されていたでしょう。
なので、その確認を怠ったために
共犯者にされてしまったのです。
つまりは犯罪を助長ししまった可能性がある。
確認を怠った事が今田さんの罪です。」

僕は呆気に取られたが僕は痛く納得した。
それから、高田と僕で何度も裁判のシュミレーションをしたが、相変わらずベルトコンベアーの上上のような日常は続いていた。


突然呼び出され、バスに乗せられ、東京拘置所に移送され留置場よりは少しは良いが環境になったが、自由とは程遠い部屋に収監された。

ココも6人部屋だ。

中には留置場よりも話の通じる人たちが収監されていた。しかし、全て犯罪者だ。各有僕もその仲間入りをしてしまってしまったのである。

そんな生活の中で、僕の裁判日程が決まったという連絡が入った。

気がつけば3月になっていた。


裁判の朝、僕はスーツに着替え東京拘置所から東京地方裁判所まで檻付きのバスで移送された。

裁判はその日のうちに結審し、


検察は僕に【懲役2年】を求刑した。

最後に次回は4月10日 10時から開廷と言い渡された。


その後高田からは、手応えは良い、身体に気を付けて判決まで過ごしてほしいとの話をして、僕はまた小菅に移送された。


判決までは半月以上あった。

4月跨ぎの裁判は、人事異動等の関係で後ろ倒しにされる事があるらしい。
それでも、高田が粘り日程を早めてくれたとの事だった。
僕は憂鬱な時間を過ごしながら、檻の中の人の観察を日課にした。面白いからではない。二度とココに戻って来ないための確認作業だ。

僕の判決の数日前に同じ舎房の653番通常「部長」の判決があった。
部長は判決前に、横領で捕まったが、それは会社の金で遊んだ訳ではなく、一時的に借りてしっかりと利益を出した上で全額返したから、横領ではないし、誰も損はしていない。
それどころか皆特をしているのだから無罪であると胸を張って話していた。

しかし、裁判所から帰ってきた部長は一点を見つめ、結果を話すことはなかった。

そしてまた、ゆっくりと毎日が流れ、僕の判決の前日という朝僕は現実という衝撃を受けた。

拘置所の毎日は全てが規則正しく流れていく。

食事も、運動も、風呂も全てが時間通りだ。

しかしその朝は違った。

朝食前に普段聞き慣れない足音が大きな音を立て、僕の収監されている舎房までやってきた。

その音は規則的で威圧的であった。

足音が鳴り止むと「整列!!」という大きな声がかけられ、僕のいる舎房のだけが全ての動きを止められ、全員廊下を向いて正座させられ、刑務官が部屋を見渡すと少しの静寂に包まれた。

つばを飲み込む音も部屋に響くのでは無いかと思ったその瞬間

「653番執行!」

とうい号令が静寂を切り裂いた。

部長は顔を真っ赤にして「ハイッ」と叫ぶと、立ち上がり部屋から出ていった。


僕は呆然としていた。


通称垢落ちといって、これから刑務所に収監さる犯罪者が移送される瞬間だと、朝食の時に小柄な同房の男が教えてくれた。
僕の心拍数は上がっていった。
高田の戦い方が間違っていたら? 
そもそも高田は信用できるのか??
一体明日僕はどうなってしまうのだろう??? 
様々な思いがグルグル回り、気を失うのではないかと思うほどであった。

しかし、現実は一つしかない。

判決の結果は全て自分に降ってくるのだ。

その日の運動は憂鬱であったが、1日の内屋外の空気に触れられるのはこの瞬間だけだ。

僕はフェンスの隙間から外を覗いた。

かろうじてスカイツリーの先端だけが見えた。

涙が一筋頬をつたって、僕は自分自身の弱さを感じた。

僕は考える事をやめた。
もうもがいても何も変わらないのだ。

4月10日

ベルトコンベアーに乗せられた荷物のように僕の時間は過ぎていった。


判決は「懲役1年6月 但し3年間刑の執行を猶予する」というあっけない言葉で、僕は自由になった。

高田の作戦は見事に功を奏したのだ。
今日から先生をつけなければならない。

季節は春を迎えた。


街は春の色に染まり、人々は出会いの季節を謳歌していた。


高田先生にお礼の手紙を書き、

仕事の整理をして、

同業の仲間の応援もあり僕は少しづつ元の生活を取り戻していった。

そして、僕に一通の手紙が届いた。

文頭の書き出しには

【遺書】
と書かれていた。

僕は眼の前が暗くなりそこから先を読む事ができなかった。
そこから先は朦朧とした意識の中で目まぐるしく動いていった。

高田先生に連絡をし、社長の会社にタクシーを飛ばした。
鍵は裏口のキーボックスにある事を知っていた。
僕はキーボックスの中から鍵を取り出し、事務所へ飛び込んだ。

中はもぬけの殻だった。
僕は呆然として、次に何をするべきかわからず携帯を握りしめていた。
何時間?何分?何秒?時間の感覚が無くなり、思考が止まりそうになった瞬間握った携帯が震えた。
僕は反射的に通話ボタンを押し、携帯を耳にあてた。

電話は高田先生からだった。
先生は力ない声で
「今、警察と一緒に社長さんの
ご自宅に来ました。
私は中に入れてもらえませんでしたが、
駄目でした。
奥様と社長さんのお二人が。。。。」

僕には高田先生の言葉が届かなくなり、自分がどうなってしまったのかわからなかった。

気がついた時は病院だった。
高田先生が駆けつけてくれて、倒れている僕を見つけてくれたらしい。
医師からは一時的に過度なストレスがかかり意識を失ったのだと説明があった。
しばらく安静にするようにとも強く言われた。

それからはゆっくりと時間が流れた。
警察の事情聴取で社長からの手紙は一度警察に預けた。
葬儀の手配や諸々は社長のご両親が健在であったため、粛々と行われた。

僕は大切な何かを失ったが季節は繰り返していく。

良いときも、悪いときも、関係無く巡っていく。

絵画のような春の景色がまた巡った頃警察から、社長の手紙が帰ってきた。

僕はゆっくりと読み進めた。

拝啓
内藤様。
突然お別れをこのような形でする無礼をお許しください。
私達夫婦にはもうこの命でしか皆様にお返しができない程にご迷惑をおかけしました。
内藤様はこれからの人生、私達とは出会わなかったと思い、前向きに歩いていただけたら幸いです。
私達の息子がした事といえども、取り返しのつきようがありません。
どうか健やかにお過ごしください。

敬具

社長らしい丁寧な文章ではあったが、もう取り返しがつかない。
社長と一緒に手掛けた仕事だけが僕の宝物になってしまった。
これからもっと沢山の喜びがまっていたはずの人生はもう帰ってこない。

嘆いても、悔やんでも帰ってこないのだ。

しかし、人生は続いていく。

僕は高田先生の戦い方を変えるという言葉に習って、また歩き出さなくてはならない。

きっとあの数カ月は人生の春の嵐のようなものだったのだろう。

だから、恐れずに進んで行こうと強く誓った。

卯月 完

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