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私が海外に来た理由 vol.2

vol.1のほうで,幼少期と小学生の頃の海外滞在経験の振り返りを書いた。

今回は研究者の道を選んで,一度は断念したポスドクとしての海外渡航を再び考えたきっかけなどを振り返りたい。

博士取得後は海外へ行く!と意気込んでたはずが...

あわよくば海外でPhDを取りたいと思って大学院進学するも,情報も実力も何なら勇気もなく,それなら学位取得後に留学しようとぼんやりと考えるようになった。この"ぼんやり"という中途半端な姿勢が後々海外へ行くことを一度諦めることになってしまったのである。

学会や研究会に行くと,学年の近い人たちが当時の自分よりもはるかに優秀な成果を出している人がたくさんいた。彼らのプレゼンや英語力を見ても比にならないくらいすごいのに,ポジションを得るのに苦労していたのを幾度も見かけた。業績の面からも自分が彼らと同じ土台で戦えるはずがなく,早く安定したポジションを得ることを考えた。

就職後に…

大型施設でのテニュアトラックのポジションは非の打ち所がないくらい,研究に打ち込める環境があった。しかし,これまで自分がやってきた研究スタイルや大きく違う環境(考え方)に苦しむことになった。

周囲から見られる自分の立ち場と,自分自身の実力や感じていることに大きなギャップを感じ,孤立感と不甲斐なさで日々自信を失っていた。しがらみにも足を引っ張られ,何をしても上手くいかないと決めつけてしまう自分がいた。

決して周囲の人がどうこうではなかった。自分のやりたいことすら自信が持てず表現することができなくなっていた。全て自分自身の問題だった。

相談できる人がいたのに(普通にすればよかった),迷惑がかかるから,どう思われているのか分からないからと何も言えないままでいた。完全に殻に閉じこもっていたのだろう。

自分は何がしたいんだろうか。ここで何が出来るのだろうか。これで良いんだろうか。自問自答を繰り返す日々だった。

常に明るく振舞うことだけはやめなかったけれど,どうすればいいのか,そして何より自分がどうしたいのか分からなくなってしまった。

後付けの理由と言われるかもしれないが,どこか居心地に違和感を感じていた理由の一つは,職場に女性が圧倒的に少なかったことだと思う。これはイギリスに来てから気づいた。

海外研修のチャンスを得る

そんな中,転機が訪れたのは大型施設での職について2ヶ月ほど経過した頃だった。部内で海外研修報告会が開催され,主に若手研究員が情報収集を主目的に,海外の放射光施設などに2-4週間ほど滞在するような制度があることを知った。

こんな制度あるなら私もすぐさま絶対に行きたい!

その勢いで,すぐさま当時の部門長に「興味あります!行きたいです!」というアグレッシブなメールを送ってしまった。でも,一度直接話をしましょうと機会をすぐに設けてくれた。そして前向きに話を進める方向で調整してくれてた。

当時の自分には海外,特に放射光施設にアテがあるわけでもなく,何をしたいのか聞かれてもハッキリとは答えられなかったけれど,それでも関連分野で受入れてくれそうな研究者を紹介してくれた。それが,後に6週間滞在することになった英国のDiamond Light Sourceだった。

この時の体験談はこちらの記事に詳しくあるので,当時の心情の変化などを書いていこうと思います。

海外でのライフワークを見て感じたこと

Diamond Light Sourceに来て一番最初に驚いたことは,働き方に関する考え方であった。ホリデーや家族との時間,日々のTeaタイムを大事にする文化。私のこれまでの考えを覆す光景であった。欧米ではあると話では聞いたことがあったとはいえ,やはり実際に目にして何か感じることがあった。

これまで「研究者たるものは1年中研究のことだけを考えなければならない」と思い込み生活してきた私にとっては,この考え方だけが果たして正しいのだろうか?と疑問に持つようになった。これはあくまで他人がどうこうではなく,自分の価値観としてそれでいいのかを考えるようになった。

訪問者とのふとした会話の中で心の転機が

Diamond滞在中に偶然JSPS Londonの関係者が訪問され,ツアーについて行った時のことであった。現地コーディネータの方と交わしたある会話がとても印象に残っている。

イギリス(Diamond)での研究は楽しいか?と聞かれ,
すごく楽しんでいる。設備もサイエンスもエキサイティングと答えた。

すると,どのくらいイギリスに滞在する予定なのかと聞かれ,6週間と答えたら,なぜそんなに短いの?JSPSのフェローシップ応募すればもっと長くイギリスで研究出来るよ!!と言われた。

そうか,本当にこの国でサイエンスをやってみたいと思うなら,受入れ先を探してフェローシップに応募すればいいんだ。当時はそのような発想すらなかったけれど,その一言が当時の私には大きく響いた。

現ボスとの奇跡的な出会い

以前Diamondに勤務されていた方に,私が6週間ほどそこに滞在する予定だと伝えたら,Research Complex at Harwellに知り合いがいるから,せっかくなら「Hello!!」って伝えてほしいと言われ,今のボスを紹介してもらった。

もちろん,事前にどんな人かをHPなどでざっと(確認程度に)見て,膜タンパク質か...すごい~なぁ...インペリアルカレッジロンドン⁉世界大学ランキングTop10に入ってるなんてレベルが違いすぎる...くらいの気持ちで会いに行った。

当時の私からすれば研究者としては相手にされないであろうと勝手に思い込んでいた"雲の上の存在"だった。そう,この時すでに研究者として今後やっていく自信は完全になくしていた。

今のボスはすごくフレンドリーでResearch Complex at Harwell (RCaH) のラボを案内してもらって,RCaHの研究設備と環境に圧倒された。これまで見てきたものと明らかに何かが違うと。当時の私の英語力では,そのような感情もうまく表現できてなかったと思う。

続いて,オフィスに案内してくれて最近の研究紹介をしてくれた。やはりタンパク質の構造モデルは美しいし,それをサポートする機能解析のデータもクリアで感銘を受けたのをよく覚えている。

そしてもちろん聞かれた。今何しているの。これからどうするの。

当時誰にも言えずにモヤモヤと抱え込んでいたことを,正直に話した。エキサイティングな研究したいんだけど,新しいプロジェクトに手を出すのは難しいし,今の私には一人でプロジェクトを進める自信がないと。

うちでフェローシップとか出すなら全面的に協力するよ

そう言ってくれた。社交辞令なのかもしれない,今思えばそうなのかもしれないけど,こんなチャンス二度とないかもしれないと思い,また話が聞きたいと即答してその日は研究室を後にした。

大きなチャンスかもしれない,迷わず決意する

1回目の訪問後すぐに,次は研究の話が聞きたいからまた研究室に伺いたいとメールした。1週間後,プロジェクトの打合せすることが決まった。

日本学術振興会海外特別研究員の募集要項と申請書,研究室から出た最新の論文をいくつかチェックして会いに行った。

最初に私のほうから海外学振に応募するために,プロジェクトの相談をしたいと話を始めた。まず自分の持っているやりたいターゲットがあるか聞かれて,もちろん膜タンパク質は一切の経験がないから出来ればプロジェクトを分けてほしいとお願いした。

研究室でやっているプロジェクトをいくつか紹介してくれた。どれも面白そうだったけど,その時ボスの中では私に与えるターゲットは既に決まっていた。それが2021年Science Advances誌に発表したSbmAのプロジェクトだった。

申請書に書くべき内容を伝えたら,どのように書けば良いかなどたくさんアドバイスをくれた。研究費はつかない制度であることを念押したら,全てこちらでカバーするからそれは心配しなくていいと言ってくれた。ここなら安心して研究に取り組める気がした。この時すでに海外学振に応募することは決意していた。

そして無事に面接免除の採用内定をもらえて,2019年10月からイギリスで2年間新しいプロジェクトを始める切符を得ることができた。ボスとの出会いが全ての始まりであったが,それ以上に海外研修に行かせてもらったことが大きかった。Diamond滞在をアレンジしてくれた当時の部門長には本当に心から感謝している。

おわりに~もう一度自信を取り戻すために

イギリスで研究を始めて1年半が経ったころ,ボスにどうしても聞きたかったことを尋ねた。

ろくに英語で会話もできず,実績もなかった私をなぜ受け入れても良いと思ったのか?

どうやら,ここでやりたいという強い熱意が伝わっていたらしい。何とかして新しいプロジェクトに取り組みたいが,その方法に困っているように見えたのであろうか。自分が思っていた以上に,当時の私もそれなりに見てくれいたようだった。

ボスは私の過去(の業績など)を一切気にしなかった。その代わり,完全にゼロスタートだった。言語の壁を考えるとマイナススタートでも過言ではない。

その一方で,過去のモヤモヤするしがらみも一切なかったから,余計なことを考えることもなくなった。渡英後はこのあたりの心的ストレスが大幅に軽減された。

そして,ここで何かしら達成できると今後の自信に繋げられるはずだと,本気で頑張ろうと思えた。上手くいかなければその時考えればいい。そう思って出来ることを全力でやろうと決めた。

私がこれまで関わってきた研究プロジェクトに,あまり一貫性がないのは気になる点ではあるが,運が大きく味方をしてくれたおかげでここまでやってこれたのだと思う。もっと言えば,ピンポイントでの運が良すぎたのかもしれない。

何かを変えようと思ったところでずっと受け身では難しいかもしれないけれど,少しでも一歩踏み出してみるとそこには見たことのない新しい世界が広がっていくと思う。良いか悪いかは未来の自分しか知らないし,何か違うと思ったらそこで修正をかければいい。

キャリアまだ途中,もっといろんな世界を見てみたい。

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