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一人で黙々と。は成長を妨げる?

 練習において、あなたは一人で行う練習と、みんなと一緒にグループで行う練習はどちらを習慣的に行っていますか?
集団での練習がどうも苦手。社交的というよりは内向的な性格だわと感じる方は一人練習の方が楽に感じるかもしれません。しかし自分の成長を考えた時には、どちらに偏るのもおススメしません。みんなと一緒にやっているから大丈夫!一人でやっているから大丈夫!と思っている方!
どちらも大丈夫と思っているだけで実際大丈夫ではないようです。

一人練習の落とし穴



 一人で黙々と練習を行っていると、自分の習慣的なパターンで練習を評価するため、正確に練習ができるかという点は疑い深いものです。うまくいっていて調子が良いと思っているのも思い込み。間違えていることにも気が付かない、(気づくきっかけがない)ことが落とし穴にはまりやすく、なぜ間違っているのかも分からないまま、効果を感じられなくてやめてしまうという人が多いのではないでしょうか?
「マイペース」という、自分ペースを保ち続けることは時には必要な要素でありますが、言葉を履き間違うと自分の成長を自分で制限している可能性もあります。自分の伸びしろにも気が付くことができません。気づかせてくれる仲間や、教えてくれる人がいなければ何をしていても自分流の癖強なものしか出来上がらなくなってしまいます。

もちろんここでの瞑想の練習は癖強を強化したいわけではなく、むしろ自分で気づいて緩めていきたいところ。誰かと一緒にの練習がそれを助けてくれます。

みんなと一緒にがどうして嫌なのか


さて、ここで集団での練習の必要性を話しているのは、コミュニケーションも私たちの練習では大事な要素として含まれているからです。外との関わりなしでは何も始まりません。もし、集団行動が苦手、会議などみんなで意見交換が苦手と感じる方はどうして嫌と感じると思いますか?どうして緊張をするのでしょうか?

こんな思いをするくらいなら、一人で生活をして一人で仕事をしていたほうがいい!それを選ぶことが出来る社会になってきているとも感じますが、ここで「逃げる」ことでなく「向き合う」選択肢をとるのが瞑想の練習です。つまり瞑想は現実逃避に使うものではなく、どうして嫌なのか、どうして逃げたくなるのかを知り、向き合い、そしてまたしっかりと関われるようにすることです。逆に嫌と感じるなら大いに練習をする意味があるでしょう。

緊張したり、嫌と感じることは何も悪いことではありません。私は仕事柄か社交的に見せかけて本当はあまり得意ではないタイプですので、いつまでたっても緊張はしますが、緊張に対して焦ったり、嫌になることは減ってきたと感じます。

この長い人生、一人で生きていくことはできませんし、全ての人が、誰かと、何かと関わりながら生活をしています。コミュニケーションを学ぶといった意味でも一人での練習ばかりではなく、みんなと一緒に練習すること。輪の中に入っていくことは必要不可欠ということです。

さて、次回は今度は集団での練習ばかりしていることの落とし穴についてを書いてみたいとおもいますので、よかったら是非チェックしてください^ ^

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