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好きなものを全てごった煮したような小説が書きたかった。小説「よい屋」

年末だけども部屋のそうじはやる気がしなくて、パソコンの中身の断捨離をしていたら、大学時代にゼミで書いた小説のデータが出てきました。
noteのはじめての記事でも書きましたが、私は文芸創作ゼミに入っていて、小説だけじゃなくてエッセイでも短歌でも書くものはなんでもよかったのですが、小説を書いていました。

noteでは自分の好きなことについて言語化したいしていきたいと思っていると書きましたが、ゼミで小説を書く時は自分が好きなものをごちゃまぜに全部ごった煮したようなものが書きたいと思っていような気がします。

自分の家だと中々すすまないから、電源が確保できて適度に空いていたフレッシュネスバーガーが主な執筆場所。2階にある喫煙席のスペースがいい感じに他のスペースとは区切られていてお気に入りで、そこを陣取り何時間も。

ごった煮したようなもののイメージを確かにする為にお気に入りの小説やマンガを何冊も持っていくんです。
自分がこのシーンで感じたような気持ちを表現したい、そんなものを継ぎはぎして何とか繋げていく作業でした。集中力がきれる度に、どれかを手にとってこーゆー感じなんだけどな~と試行錯誤して何時間もねばっていた。

「よい屋」は大学2~3年生の時に書いていた作品で、ちょっとずつちょっとずつ続きを書いていました。久しぶりに読み返してみたら出てくる登場人物が懐かしくて、記念にのせてみようかななんて気持ちになったのです。

よい屋

 
 私が「よい屋」で働き始めたのは、大学一年生の冬だった。それまでは自分で言うのもなんだがおしゃれなカフェで働いていた。
 おしゃれカフェは秩序のある世界だった。こうあるべきだという姿が働いている私たちにも、お客様にも求められていた。おしゃれカフェを否定するつもりはない。今でも私自身よく女友達と遊ぶ時に利用している。でも、疲れてしまったのだ。ずっとその世界の住人で居続けることに。
 疲れている人間は食事に弱い。カフェのバイトの帰り、私はなんとなく遠回りをしてみた。その帰り道で「よい屋」に出会った。黒い文字で「よい屋」と書かれた白い提灯がぶら下がっていて、引き戸からは光こそ漏れているが店内の様子はわからない、私のような小童にはとても入りにくい雰囲気を醸し出していた。
 そんな外見にも関わらず、私が「よい屋」に足を踏み入れたのは店の中からあたたかい匂いが漂ってきたからだ。あたたかい匂いとは何かと聞かれてもあたたかい匂いとしか言えない。ここに今、入らなきゃいけないと私に思わせる匂いだった。
 「よい屋」は居酒屋である。店内はカウンター席が十席と、掘りごたつの四人席が二つあるだけの小さな店だ。こんなに小さいのに、この席が満席になったことは未だかつてないらしい。それってやばいですよと店長に言ったことがあるが、いつも通りのええ声で「いつも誰かのために席が余ってる位がいいんだよ」と返された。
 この店はもしかして客を選んでいるのではないかと思う。本当にこの空間を必要としている人だけに見える店なのかもしれないと。私が招かれたように。
 私が招かれたとき、店長はしじみ汁を出してくれた。ここで働くようになってからそろそろ一年半になるが、あれ以来しじみ汁を店で見たことはない。そういう店なのだ。
 私の仕事は店長が作った料理をお客さんのところに運ぶことと、頼まれたお酒を用意することだ。会計も店長がその時その時で決めるので私はただ「てんちょー、お会計ですー」と厨房に声をかければいい。
 色々と謎なことはある。というか謎だらけだが、なんとなーくまわっているので私も気にせず働きつづけている。何か気になることがあっても「そういう店なのだ」で解決。

「みっちゃん、吉野さんにこれ出して。取り皿もつけてな」
「はーい、深めのお皿のがいいですよね」
「うん」
 みっちゃんとはこの店で働くようになってからつけられた私の愛称である。最初に呼んだのは……加納さんあたりだったかな。
 最初のころ店長に言われて常連さんに挨拶をすると、みんな少し驚いた顔をしていたがすぐににっこりと微笑み、よろしくと言ってくれた。ぎこちない人もいたが今ではみんな「みっちゃん」と呼んでくれる。
 居酒屋で働くことを両親に報告した時には、ひとり暮らしをしていることもあって少し心配された。しかし一度、お店に来てもらってからは何も言われなくなった。実家からここまでかなり距離があるが、今ではお父さんもお母さんもこっちの方に来ることがあると必ずお店で食べてくれる。両親がおいしいおいしいと箸を進めているのを見るとなんだか私も誇らしい気持ちになる。
「あ、そうだ。香奈恵ちゃんたちそろそろ来るから席、準備しといて」
「あちゃ、いつものとこさっき通しちゃいましたよ」
「まあ、大丈夫」
「まあ、そうですね」
 この店に来る人たちはみんな落ち着いている。居酒屋で働いていると言うとお客さんに絡まれたりしないのと聞かれるが、うちの店はむしろ包まれているという感じ。そんな中でも香奈恵さんたちは年もわりかし近いので、特に仲良くしてもらっている。
「あ、いらっしゃいました。香奈恵さん、亜紀さん、今日こっちの席でお願いします」
「はーい、店長なにか煮物お願いします」
「はいよ」
 香奈恵さんと亜紀さんは高校の同級生らしい。いつも最初は仕事の愚痴などをこぼし合っているのだが、最終的には幸せそうにニコニコしながら帰っていく。それは他のお客さんも同じ。帰る時にはみんなニコニコ、そういう店なのだ。
「てんちょー、なんか今日、亜紀さん雰囲気ちがくないですか」
 なんとなくだけど、いつもより静かというか大人しい気がする。
 店長が煮物をつくっていた手を止めてふたりが座っている席の方を伺う。いつもは掘りごたつの席だが、今日は先に他のお客さんを通してしまったので、厨房の入り口から一番離れたカウンター席だ。今はカウンターに他のお客さんがいないので静かに感じるだけだろうか。
「すこし違うね」
「ですよね」
「ほんとよく気がつくね」
「てんちょーほどではありません」
「私はそれも仕事のうち」
「そーですかい」
 仕事として、このお店をやってるようにはとても見えないんだけどなー。生きてい くためというよりも、もっと別の理由がある気がする。
「まあ、なんとなく気にしてやってね」
「もちろん」
「ん、じゃあこれ持ってって」
 トレーの上に藍色のお皿が乗っけられた。めいいっぱい匂いを吸い込み、自分もなんとなく味わってからふたりの待つ席へ運ぶ。
「新じゃがと鮭のスープ煮です」
 働いてて一番楽しいのはこの瞬間。お客さんの表情が店長の料理を前にして緩んでいくのを感じる。その顔を見ると自分がはじめてここに来た時のことを思い出して、わかる!わかるよーと言いたくなる。
「飲み物は何になさいますか」
「すっきりとしたやつがいいな」
「そうだね」
「すぐお持ちします」
 香奈恵さんと亜紀さんには先にお料理を出してからお酒を聞く。料理を見てから決めたいのだそうだ。待ち合わせ場所からこの店までの道を歩きながら、その日何を最初に頼むかを相談するのがふたりの決めごとなのだと、前に教えてくれた。
 香奈恵さんは可愛い系で、亜紀さんは綺麗系。雰囲気のまったく違うふたりなのだが不思議としっくりとくる組み合わせだ。そこにはふたりが過ごしてきた時間が確かに感じられる。
「そうだ、みっちゃんと店長にも報告しなさいよ」
「えっなんか恥ずかしいよー」
「いいから」
 四品目の料理とお酒をお持ちしたタイミングで引き止められた。掘りごたつの席にいたお客さんはもう帰っていった。ふたりの他にはお客さんは居なくなっている。
「なんですか」
 話し声が聞こえたのか、店長も厨房から出てきた。
「私、結婚することになりました」
 亜紀さんよりもお酒に弱い香奈恵さんが頬を真っ赤にさせながら言った。
「めでたいね」
「いつも話されてた人ですか、ついにって感じですね」
 香奈恵さんのお相手のことはたまにお話にまぜてもらうこともあったので、私も少し知っている。確か大学生になってすぐに付き合いはじめたとかで、そろそろ付き合って六年になると言っていた。
「ほんとほんと、香奈恵から話を聞いてても全然そういう雰囲気出してことないから、あの男そろそろ本気で絞めようかと思ってたわよ」
「冗談に聞こえないですよ……。亜紀さんはお相手に会ったことあるんですか」
「本気だもの。何度かね、いつも縮こまってる感じの男よ」
「それは、亜紀がいつまでたっても名前を覚えないからでしょ。いつも落ち込んでるんだからね、直樹」
「へいへい、どうせ私はこうるさい彼女の友人ですよー」
 見た目は綺麗系の亜紀さんのやさぐれた様子にみんなが笑った。
 その後は祝い酒ということで私と店長も一緒に飲ませてもらって、ゆるりゆるりと喋った。そしていつもと同じように幸せそうにニコニコしながらふたりは帰っていった。支払いも今日は店長からのお祝いということでサービス。
「ふたりともいつもより飲まれてましたね」
「そうだね」
「来られた時はなんか亜紀さんの雰囲気が違う感じがしたんですけど、そんなことなかったですね」
 食器を洗いながら、レジの絞め作業をしている店長に話しかける。お酒を飲んだ後なので私自身も手元がゆるりとしてしまっている。さっきからお皿がすべって仕方がない。
「どうだろね」
「どうだろねってなんですか」
「まあ」
「まあってなんですか」
「そういうことだよ」
「……そういうことですね」
 店長はよく何かを含ませたような言い方をする。聞き出そうとしても大体答えてはくれないので、私は自分で勝手に「そういうこと」と言われたら深追いするのをやめると決めている。

 それから三日後、亜紀さんがひとりでお店にあらわれた。
 開店してから数時間たっても誰も入ってこないのであまりに暇すぎて、もう今日は閉めちゃいますかと店長に軽口をたたいていたところだった。
「あれ、今日はおひとりですか」
「そう、今日はひとりなの」
「何にしますか」
 香奈恵さんは来られないんですねと言おうとしたのに被せるように店長が亜紀さんに尋ねた。
「どうしようかな、決めてなかった」
 どこか遠くを見るような寂しげな表情だった。
「おでんなんてどうでしょうか」
「……すてき。大根多めでお願いします」
「はいよ」
 いつもの席ではなく、厨房の入り口の近くのカウンター席に亜紀さんは座った。なんとなくその場に居るのは違う気がして私も店長と一緒に厨房に入った。
 いつの間に用意していたのか、鍋の中にはすでにおでんの具たちがぎゅうぎゅうになっていた。
「取り皿と、からし用意しといて」
「はい」
 喋る気もしないので、二人でぐつぐつと煮えていく鍋を眺める。すでに具には味がしみ込んでいたようであたたまるまでそんなに時間はかからなかった。店長が丁寧にひとつずつお皿に具材をのせていく。
 玉子に巾着、ちくわ、牛すじ、こんにゃく、さつまいも、そして大きな大根を三つ。私は大きく湯気を吸い込んだ。なんだかうるっとする。
「よろしく」
 私はこんなんなのに店長はいつも通りでなんかむかつく。でもその様子のおかげで少し落ち着いた。
「はい、いってきます」
 先に持っていっていたお茶は手が付けられていなかった。外も静かで誰も入って来そうにもない。
「お待たせしました」
「ありがとう」
 言葉は返ってきても、亜紀さんは何も捉えていないようだった。
「おでんにはぬる燗がおすすめです」
 このままここに留まるべきか去るべきか迷っていると、後ろからおちょこと徳利を持って、店長がやってきた。
「じゃあ、それで」
 店長が自らお酒を注いだ。あまり香りのないお酒だ。香奈恵さんは注いだ瞬間にぶわっと香りの広がるお酒が好きで、いつも、その瞬間にとても幸せそうな顔をしてくれるのだ。今日は香奈恵さんはいない。香りも広がらない。
「いつもと違うのもたまにはいいんじゃないかと思いまして、きっとお気に召していただけると思いますよ」
 店長の言葉に流されるように亜紀さんがおちょこを口元に運ぶ。
「ほんとだ、いいですね」
「そうでしょう」
 不思議と亜紀さんの雰囲気が柔らかくなった。
「こちらもいただきますね」
 大きな大根に箸を入れ、したたる汁を逃がさないようにさっと口の中へと運んだ。
「あちっ」
 その様子が可愛らしくて自然と微笑んでしまう。
「おいしいです。すごく」

 おでん一皿とぬる燗一合。それだけしっかりと味わって亜紀さんは帰って行った。帰り際、亜紀さんはお店に入ってきた時とは違う、落ち着いた様子で「あした、香奈恵の結婚相手に会うんです」と言った。
 その日は、それでお店を閉めた。そして、閉め作業が終わってから店長と一緒におでんを食べた。

 2


 四季の中で、春と秋は人気があるように思う。熱すぎることもなく、寒すぎることもないイメージがそうさせているのだろう。でも実際はなんとなく間の慌ただしさで、そんな素敵な日は片手で足りてしまうような気がしてならない。春はとくに心拍数がいつもより速い。何かが起るような気がして、ずっとそわそわとしている。
 よい屋での春の思い出と言えば、去年の春の洋平さんとの出会いは春にふさわしいそわそわだったかもと、また新しい春がきて思った。

 洋平さんは加納さんが連れてきたお客さんだ。年は多分、三十代かな。本人に直接聞いてはいないけど、二十代には見えない感じ。
 加納さんは私に「みっちゃん」という愛称をくれた常連さんだ。私が働きはじめるずっと前からの常連さんらしく、ちゃんと確かめたことはないが、どうやら店長とはお店が出来る前からの仲らしい。
 今年で八十二歳になる立派なおじいちゃんだが、すごくお洒落で昭和の大物俳優って感じがする。全身から只者じゃないオーラが出ているけど、加納さんのまわりはいつも暖かい。店長の料理みたいで、私は深く息を吸い込んでしまうのだ。とても元気な加納さんと喋った後は私まで接客のテンションが高くなる。それも厨房に戻って店長と喋ると落ち着くのだけど。
 加納さんのまわりにはいつも人が集まっていて、常連さんはもちろん、新規のお客さんともすぐに打ち解ける。加納さんと話したお客さんは必ずリピーターになるのではないかと私は睨んでいて、店長にも冗談で一度、加納さんのおかげでもっているようなもんなのだからお代いただくの止めたらどうですかーなどと言ったことがある程だ。店長も確かにねーと軽く返してきたが、実際のところ加納さんがいつもお代以上のお金を置いていっていることを私は知っている。
 そんな加納さんが連れてきた洋平さん。彼は多分、やくざさんだ。
 格好がまさにって感じで、そういう世界に詳しいわけじゃないけど、映画とかで見るやくざさんそのもの。
 加納さんが洋平さんを連れてきた日は二人以外にお客さんはいなかった。開店してすぐに加納さんがいつもと同じように豪快に、洋平さんはその後ろから戸惑った様子で静かに入ってきた。すれ違いざま、洋平さんの袖口から入れ墨が見えたのを覚えている。
 すぐに席を案内すると、加納さんは洋平さんを席に座らせて、自分はそのまま厨房へと向かった。私はレジ横でおしぼりとメニューを用意していたが、厨房が気になったのと、正直、見た目やくざな洋平さんの所にひとりで向かう勇気がなくて無駄に綺麗におしぼりをたたみ直していた。
 四人しかいない店内はとても静かで、加納さんが店長の名前を呼び、よろしくなと言ったのが聞こえた。
 そして、厨房から出てきた加納さんが私の顔を見て、すべてを悟ったように苦笑いをして「洋平っつうんだ、よろしくな」と手からおしぼりとメニューをひょいと持ち上げ、そのまま席に戻ってしまった。
 その後も注文を受けるのと、配膳以外、私は厨房に引っ込んでいた。店長も何も言わなかった。まだ、働き初めてそんなにたっていない私には刺激の強いお客さんだったのだ。
 その日から、二日と開けず洋平さんはお店に顔を出すようになった。加納さんのまわりが暖かいのと対照的に、洋平さんがお店に現れると空気が一瞬固まるのを感じる。もう厨房に引っ込んだりはしないけど、私自身すこし態度に出てしまっていると思う。だから、洋平さんのことを考えるとそわそわしてしまうのだ。

 そんな私のそわそわを余所にその日も洋平さんはやって来た。
 洋平さんはお店に入るとまず店の中を見回す、なんとなく視線を感じた他のお客さんはこの時点で恐縮してしまうのだ。そんなに広い店内じゃないのだから、あからさまに見回したりなんてしなくてもいいのに、やくざさんの習性なのだろうか。
 他のお客さんが恐縮してしまうと、不思議と私は大丈夫になった。お客さんを守らなきゃという気持ちが生まれるのか、いつも以上に元気な接客をする。もちろん洋平さんに対しても。
「洋平さん、どーも。カウンター空いてるとこどうぞ」
 私の言葉にカウンターに居たお客さんが少し反応するのを感じたが、今日は別に隣同士になるような込み具合ではないので我慢してほしい。洋平さんを掘りごたつの席に座らせると、カタギじゃない空気感がその一体をより大きく覆ってしまうのだ。
「とりあえずハイボールで大丈夫ですか」
「ああ」
 本当によく来るので、一杯目がハイボールなことはもうわかっている。
「洋平さん、来た?」
「いらっしゃいましたよー、今日もなかなかなファッションで」
「ふふ、おもしろいよねー」
 自分は厨房から出ないからか、店長は気楽なもんだ。すこし憎たらしくなる。
「はい、じゃあこれよろしく」
 今日のお通しは湯豆腐だ。お盆の上にゆっくりと崩れないように置く手のしわをつねり上げたい衝動にかられた。きっと良く伸びるに違いない。
 洋平さんはすぐに料理を注文せず、お通しをゆっくりと食べながら、ハイボールを飲み干す。
 お通しなんてそんな量のあるものじゃないし、人によってはひょいひょいと二口くらいで終わらせてしまう人もいる。そんな時、私は少し悲しくなる。人それぞれでまったくいっこうに構わないが、私はお通しが好きなのだ。お店に訪れた人達みんながが必ず口にする唯一の料理。そんなに凝ったものではなくて、大量に作れて、作り置きもできるものが多いけれど、そのお店の顔だと思う。だから、洋平さんがお通しをゆっくりと食べているのは、なんだか好ましいと思う。
 前に、お通しが出てくる時の気持ちとクリスマスプレゼントを開ける時の気持ちはとても似ていると思うと友達に言ったら、わからないと一蹴されたが、そんな気持ちなのだ。どきどきとそわそわ。あ、春とも似ている。春とお通しと洋平さんとクリスマス。こうやって並べると洋平さんなんか怖くもなんともないぞ、よし。
 そんなことを考えながら、洋平さんのようにあからさまではなく自然と店内を見渡すとちょうど洋平さんがお通しを食べ終わったところだったので次のお酒と料理を取りに厨房に戻る。
「てんちょー、洋平さんに次のおねがいしますー」
「はーい、お酒は左から二番目のやつね」
「へーい」
 加納さんと同じように、洋平さんに出す料理もお酒も店長まかせ。
 店長は洋平さんにいつもラベルがとても綺麗なお酒を出す。風景が描かれたものや、古風な和柄がプリントされたもの。文字だけが大きく主張されたラベルのものは出さない。きっとなにか思うところがあるのだろうから、私は洋平さんのとこにお酒をつぎに行くときは何も言わず、そのまましばらく席に瓶を置きっぱなしにするようにしている。そうすると、洋平さんはそのラベルをじーっと見ながらお酒を口に含むのだ。
 何度か料理を運んでいると、ふと洋平さんの手に目が止まった。ごつごつとしていて、固そう。洋平さんはきっとやくざさんなのだから、この手で誰かを殴ったりするのだろうか。それはとても痛そうだなと思った。
 洋平さんは、どんなやくざさんなのだろうか。やくざはとっても悪者に描かれているときもあるし、仁義に熱い良い人のように描かれている時もある。洋平さんはどっちなのだろうか。
「洋平さん、明日も来ますかね」
「なに、恋なの、みっちゃん」
 閉め作業をしながらのいつもの店長との雑談。恋なの、なんてどう見たっておじいちゃんな人が言わないで欲しい。
「ちがいますよー。ただ、こんなに毎日のように来るお客さんって珍しいじゃないですか」
「料理が美味しいからね」
「はいはい」
 確かに店長の料理が美味しいのは認めるけど、けどなあ。
 会計の時に店長が出てくると、洋平さんが少し申し訳なさそうにしているのが気になった。あんな風になるのに、なんでこのお店に通うのだろうか。

 それから数日たった水曜日、洋平さんの居ない店内は程よく賑わっていた。みんなのびのびとしている様にも見える。それはきっと良い事なんだろうけど、聞こえてくる会話に私は落ち着かなくなった。なんだ、これ、今日は洋平さんが居ないのに。そわそわにもやもやが重なって重たくて仕方がない。
 私は注文を頼まれそうにないのを確認してから厨房に行き、鍋に向かっている店長の背中を見ながらゆっくりと息を吸った。
 お客さんたちの会話がざわざわとこちらにも聞こえてくる。さっきからずっと同じ話題。あいつはぜったいやばい、きけん、にらまれた、こないだ同じようなやつらと歩いてるのを見かけた、おれもみた、ちあんが、けいさつもなにをしてるんだ、こないでほしい。
「こないでほしい……」
 ぽつりと言葉を繰り替えしてみる。しっくりこない。
「ん、なに」
「……なんでもないです」
 店長が振り向き、何かを言いかけるのと同時に誰かが入ってきた音がした。店長に顔を見られないように、すばやく確認しに行くと、入ってきたのは洋平さんだった。
「あっ」
「……」
 洋平さんの目の中に映る自分がうろたえているのがわかった。ざわざわとした会話も全部、止まっている。何か言いたいのに、何も言葉が出てこない。
 そのまま少しして、洋平さんはいつものようにお店を見渡すことはせず、そのままお店から出て行こうとした、だが同じタイミングでまた誰かが入ってきて、二人はぶつかってしまった。
「痛ってえーな、おい。なんだ、洋平じゃねえか」
「加納さんっ」
 思ったよりも大きな声が出て、自分でも驚いた。
「おう、みっちゃん、世話になるぜ」
 加納さんはいつものように私に微笑み、洋平さんの肩に手をまわしながら、既にお客さんたちの居る掘りごたつの席へと向かった。洋平さんの体がその動きに追いついていけないようにドタバタと足がもつれそうになっている。
「ここいいかい?」
「あ、ああ」
 加納さんが声をかけると、固まっていた人たちがまた動き出した。みんなが少しずつ詰めて、やっとふたり分のスペースが出来る。
 その狭いスペースに遠慮なさげに加納さんはどっしりと座ったが、洋平さんは一段上に上がる、段差の前で止まったままだ。
「あの、加納さん、俺、今日は……」
「洋平、こいよ。せっかくみなさんが空けて下さったんだから」
「でも」
「こいよ」
 きっとどんなギャングでもしっぽを巻いて逃げ出すような凄みを利かせた声で加納さんが言った。その空気の変化に一瞬みんなが縮み上がったのがわかる。
「……はい」
 そのある種の金縛り状態から抜け出した洋平さんがおずおずと段差をあがり、残ったスペースへと収まった。
「紹介が遅れちまって、申し訳ねえ。こいつは俺の知り合いの洋平っついます。見ての通りのチンピラ風情ですが、中身に関しては俺が保証しますんで、何とぞ仲良くしてやって下せえ」
 その言葉と共に、加納さんが両手を付きながら、頭を机ぎりぎりまで下げた。
 まだ、金縛り状態から完全に戻ってきてはいなかったお客さんたちがその行動にはっとする。
 そして、加納さんは再び顔を上げると他の席のお客さんたちに向かってもお願いしますと頭を下げた。店内が静まり返る中、厨房から聞こえる何かを揚げている音だけが響いていた。
「加納さんの頼みなら、なあ」
「そりゃなあ」
「仕方ねえ」
「ああ」
 一人が口火をきると、それに乗っかるようにしてみんな口々に同意を重ねた。そして、拍手が鳴り止む時と同じように、ちょうどよいタイミングで、ありがてえなあと加納さんが満面の笑みを見せる。
「で、みっちゃん。俺のおしぼりまだ?」
「あ、はい、すぐに」
 やられた、これは完璧な加納劇場だ。すっかり店中、加納さんの空気だ。今の言葉にみんなが笑っていた。ただ、当事者であるはずの洋平さんは何が起っているのか把握しきれないように呆然としていたけど。
「加納さんって、ずるい」
 厨房に戻るとすでに二人分のお通しと、みんなで食べれる位の量の春野菜の天ぷらが用意されていた。私は自分が感じている感情をいきなりすべて吹っ飛ばされたような気分だった。
「そうかもねえ」
「なんか、なんかいいんですか、あれで? あんな勢いで全部まあるく収まったなあ、みたいな。それでこの後もみんな仲良くできちゃうものなんですか……」
 私にはわからなかった。やくざで、もしかしたら誰かを傷つけているのかもしれない洋平さんと、お通しをゆっくりと食べたり、綺麗な日本酒のラベルをじーっくりと楽しそうに見ている洋平さんが、同じ人物なのだ。いつも私のことをみっちゃんって呼んで可愛がってくれるお客さんたちと、さっきみたいに洋平さんのことを悪く言っているお客さんたちが同一人物のように。それを私はどうすればいいのか。何を認めて、何を受け入れればいいのだ。
「私がこどもなんですか……」
「そんなことないよ。あせらないで、ただ見てればいいんだよ」
「……料理もっていきます」
「うん、お願いね」
 店長の微笑みは、加納さんとはまた違う暖かさがある。加納さんの笑顔が、それこそ差太陽とかひまわりとか、まさにな感じだとしたら、店長のは、なんというか……こたつみたいな暖かさがあるな。
「はい、どーぞ」
「おお、天ぷらじゃねえの」
「てんちょーからのサービスです」
「わかってるねえ」
「はい、そりゃもう。で、こっちからふきのとう、のびる、菜の花、うど、こごみ、これは、えーっと」
「たらの芽です」
 どこから出た声だと、見渡すと洋平さんと目が合った。
「え、あっそうです」
「おお、やるねえ、洋平さん」
 その前に座っていた常連さんが勢い良く声をかけ、横に座っている加納さんはよくやったと背中を叩いた。あれは絶対に痛い。
「こいつ、こー見えて料理とか詳しいんですよ。なあ、洋平」
「ま、まあ」
 みんなの前で褒められて、洋平さんは恥ずかしそうにハイボールを煽る。なんだ、それ女子か。みんなもそう思ったらしく、面白そうに洋平さんを眺めている。
「本当はなんつったっけな、あれだ、グルメリポーターってやつになりたかったんだよな、おめえ」
 そんなみんなの視線を余所に、加納さんから爆弾発言が落とされた。
 グルメリポーターって。あれだよね、あのテレビとかで、スプーンに綺麗にちょうどよく料理をのせて、お口にひょいって入れて、んーーってしっかりと噛み締めた後に「うまい」とか言うやつだよね。
 この場にいる全員の頭の中で整理がついたらしく一斉に吹き出した。
「グルメリポーターっっっ」
「いや、いいね」
「ほんとほんと、いいよ。その感じ、洋平くん」
 みんなの言葉に、洋平さんはどんどんと縮こまっていく。それがまた、見た目とのギャップを生み出して、さらに面白いことになっている。
「だいたいよ、その服装もネタなのか、違うのかはっきりさせてくれよ」
「それそれ」
「で、どーなんだよ、洋平」
 みんな食い入るように身を乗り出し洋平さんを囲んでいる。もう、なんなんだ、これ。
「え、なんかかっこいいかなって……思ってるんですけど……違いますかね」
「みっちゃん、どう思う、かっこいい?」
 他のみんなが反応を返すよりもはやく、加納さんが私に尋ねた。いきなりのことで驚いたが、ここは加納劇場に乗っかってあげようじゃないの。
「まったく」
 私の言葉と共にどかんと、爆発のような笑いが起る。
 少し気落ちしているように見える、洋平さんもなんとなくだけど満更じゃないと言うか、悲しいとかそういう感じではないような気がする。
 そして、さく、さくと揚げたての天ぷらがみんなの口の中に放り込まれていく。
 春野菜の天ぷらには、苦みのあるものもある。その代表例はふきのとうだ。ふきのとうと言えば天ぷらというのがなんとなくみんな耳馴染みがいいからか、メニューに入っているとよく頼まれるのだが、以外とその苦みを知らないお客さんも多い。慣れるとこの苦みが癖になり、天つゆの甘さとの相性の良さにとりこになるのだが。
 今日のみなさんはそんな苦みもすべて飲み込める方々ばかりなので、むしろふきのとうは人気なようで、すでに残り一個になっている。
 熱々の天ぷらに口をはふはふとさせている様子は洋平さんじゃなくても、可愛らしくて自然と笑みがこぼれた。
 加納さんもずるいが、店長もずるい。こんな楽しい気持ちになっちゃったら、誰のことも嫌いだなんて思わないじゃないか。……思わないなら、それでいいのだろうか。
 私がこのよい屋との距離感をつかみ始めた春のことだった。

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