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心療内科医は、心を動かしていいのか?

メンタルヘルスに関わるプロの医療従事者が、自分の真のこころや感情というものを動かすことは、是か非か?

私は心療内科1年目のときに、この問いにぶつかりました。
自分としては、いいんだろうなということは分かっていたのですが、プロである教授はどう考えているんだろう、ということにとても興味を持っていました。

わたしが悩んだ背景には、医師たるもの、常に平静に、問診のなかで正しい診断を下さなければならない、という前提観念とのコンフリクトがありましたし、自分のこころを守る、という必要性もあったからかもしれません。

あれやこれや悩んだ上、ズバリ聞いてみたことがあります。

「ほぅ。いいんだよ。それとね、、」と教授は切り出します。

それから、「第三の眼」の話をしてくださいました。

大変そうだなーとか思っていいんだょ、思うょ。
その時にね、あの辺(診療室の右角)くらいから、患者さんと自分の2人を眺める眼みたいなものをもつといいんだよねぇ。第三の眼っていうのかな。
心が引っ張られすぎてないかなー、距離が近すぎないかなーってね。

このエピソードが、私の診療スタイルの礎です。

いまから考えると、これは世間で「メタ認知」という言葉、ノウハウとして使われているものですね。ですが、私にとっては、大切なストーリーの中での、"ブレイクスルー" かつ "再発見"だったので、単なるノウハウという感じではありません。医師としての在り方であり、マインドセットです。

なぜ、再発見だったか?というと、
受験生の頃から、「心痛することのできる医師」がわたしの理想像だと据えていたからです。
これは、自然にそう悟ったのではなくて、小論文をレクチャーをしてくださった先生が紹介してくれた一節の中にありました。

人は、相手の痛みそのものを分かることはできない。
しかし、心痛することはできる。

書いているだけもいい言葉。
というわけで、教授とのエピソードは、この考えを追認するようなエピソードでもあり、とても嬉しく、希望と自信を与えてくれるものでした。
その日のことは、一生忘れません。しみじみ。深謝。

「第三の眼」の話に戻りましょう。
これは、日々トレーニングする中で、自問自答する中で、身につけていける能力だとも思っています。段々と、無意識でやれるようにもなります。

ただし、メンタルヘルスには、完璧も正解もありません。うまく結果を出せない時も、共に悩む時もあります。
そんな時にこそ、戻るべき原点、支柱となってくれます。

自分の心はどうなのか?、そんな「自己モニタリング」にもなりますので、とてもサポーティブです。

医療従事者でなくても、たとえば、面談をする機会が多い方も、育んでいけるといいものですよね。自分の助けにもなりますので。

心療内科診察でも、産業医面談でも、根本は変わりません。
いつも、このマインドセットでやらせていただいています。

今日もあなたに笑顔がありますように。


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