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そして誰も言わなくなった

ピグマリオン効果というのがある。

学校で、一つのクラスをA・Bの2つに分けてテストをおこない、Aには採点した答案用紙だけを返し、Bには「よく出来ていた」とだけ伝える。これを複数回続けると、Bの平均点がAを上回るというものだ。現実を見せ続けられるより、「お前はできる」と勘違いさせた方が、結果も良くなるという、心理効果。

「人による」と思う。

確かに、誉められれば気を良くして上機嫌に取り組める。叱られるばかりでは嫌な気分が続き、その場から逃げ出したくなる。

しかし、誉められたことで気を良くし、怠けるものもいる。何点だったか知らないが、よく出来ていたなら、そうなんだろう。次もこんな感じでいいやと、向上心をなくす。叱られても、なにくそとめげずに、這い上がってくるものもいる。少なくとも客商売は、後者のマインドでなければ戦えない。

お菓子屋さんを始める男がいたとする。試作品を友人に食べてもらう。こんなまずいものにとてもお金は払えないと、友人は、思っても言えない。「まあ悪くはないんじゃない」「若い人は好きかも」「結局味なんて好みによるし」と曖昧な返事でやり過ごし、「まあ頑張れよ」と応援する。やはり自分は才能があるんだと勘違いしたその男は一念発起し店をオープンさせ、半年も待たずに廃業する。

映画を撮る。みんな誉めてくれる。公開しても客が全く入らない。

YouTubeを始める。誰も見てくれない。

見知らぬ人が作ったものに、同情で触れてくれる人はいない。金を払ってくれる人もいない。

スポーツの利点はここにある。君は足が速いねといくら煽てられても、100mを20秒で走っていれば、どれだけバカでも現実に気づく。そして、どうすれば速くなるかを考える。自分でいくらやっても速くならなければ、誰かに教えを請う。

現代は、本音を誰も言わない社会である。

いくらその人のことを思っていたとしても本音を吐いたらアウト。注意、指摘、指導、教育、これらは、いかようにもパワハラ変換できる。老害、ブラックにも変換できる。

誰も注意してくれない世界。それは、抗生物質のように、本来必要なものも一緒に消してしまった。

その先に待っているのは、自分なりの方法で勝手に努力できる人しか大成しない世界だ。小学校に通わせず、立派な大人にさせられるかと考えれば、「自分なりの方法で勝手に努力」することが容易でないことは誰でも察しがつく。

今の時代、ネット検索で十分という考え方もある。しかし、ネットの情報はアルゴリズムの優位性を考えインプレッションを稼ぐことを第一の目的として作られているので、本気で勉強しようとする人にとっては薄い。

記事の執筆者は、タップしたくなる過激なタイトルを置き、検索上位に入る構成にし、飽きさせないための記事を作る。PVを回して1円でも稼ぎたいから。

だから教科書はつまらなくて、ネット記事は面白い。その中から自分に有意義なものを見つけるのは至難の技。エロビデオを流しながら古代史を勉強するくらい難しい。

それを突破できるような賢い人間は、そもそもネットなんかに頼らず聞きに行ける相手を確保する頭がある。調べるより聞く方が早く、身になることを知っている。通信教育は昔からあって、これだけネットが普及しても塾がなくならないのはそのためだ。

100人いれば、嫌な奴は多くて1~2割。普通の人が5~6割で、優秀な人は1~2割。学校でも会社でも、それくらいと感じるのではないか。

とすると、嫌な奴に当たる可能性は最大20%なので、80%の確率で真っ当な先輩・上司がいる。なので思い切って、誰かに教えを請うた方が早い。

「いや、10割嫌な奴だ」という人は、自分自身が1~2割の嫌な奴である可能性が高い。

結局は人による。

そしてそれは、タイミングにもよる。

全ての人がいつの時代もバカではないし、天才でもない。バカでも天才になれるし、天才でも転落する。

問題は、いつ気付けるか。気付いたときその先輩がいなければ、手遅れだから。

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