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佐賀でムーミンみたいな暮らしはできるのか?

「ムーミンみたいな暮らし」と聞いて、あなたはどんなことを思い浮かべますか?

もしくは、「暮らす」ではどうでしょうか。
私がイメージする「暮らす」とは、住むところが確保されていて雨風をしのげ、お腹が空いていなくて、安心して眠れる場所があること。
自分に向いている仕事があって、本音を語り合える家族や友人がいて、打ちこめる趣味ができる環境があって、といったことが加わると「より良い暮らし」と言えそうです。
その「暮らし」のラインは人それぞれで違っていて、だから人は、自分に合った住む場所を探し、選びとっていくのでしょう。


私は今年の6月から、佐賀県有田町にある「NPO法人灯す屋」という、主にまちづくりをしている団体で働き始めました。有田という町のことを知っていく過程の中で、「幸せに暮らす」というのはどういうことなのかを考え始めているところです。
私の元々の生まれは佐賀から遠く離れた青森県で、進学と共に県外に出て上京したのを皮切りに、人生の転機のたびに自分に合った場所を求めて住む場所を変えてきました。

最近、子供の頃以来久しぶりに見たムーミンのアニメで、その暮らしぶりに私は魅入りました。
「ムーミン」は、元々はフィンランドあたりの伝承の中の妖精(妖怪?)ですが、広く世に知られているのはトーベ・ヤンソンさんの創作のお話です。
ムーミンは周りを自然に囲まれた谷の中に暮らしています。都市部のようになんでもすぐに手に入る便利さはないけれど、それぞれの個性をもった仲間や家族と、嵐の後の海で難波船の舳先の木像を見つけたり、冬眠前にたらふく食べるモミの葉に文句を言ったり、毎日の生活に飽きることなく工夫しながら好奇心たっぷりに暮らしています。
私が子供の頃はそんな「ムーミンの暮らし」をファンタジーだと思って楽しく見ていましたが、大人になって今の自分の暮らしと照らし合わせてみると、「そんなに離れているものではないな」と思えたのです。

有田にはマクドナルドもピザハットも吉野家もありません。一番近くのコンビニでさえも歩くのはためらう距離ですし、映画館へ行こうと思うと車で最低一時間かかります。
それでも、ふと顔を上げるとそこにある、季節によって様々な表情を見せる山々の美しさを前にすると、そんなことは些細なことではないかと思えてくるのです。

有田で私がしているような生活を「ムーミンみたいな暮らし」だとするならば、それっていったい、どういう暮らしのことを言うのでしょうか。少しずつ紐解いてみたいと思います。


そもそもムーミンって、なんだっけ?

「ムーミン」の物語は、フィンランド・ヘルシンキ生まれのトーべ・ヤンソン(1914〜2001)が書いた、「ムーミン族」の男の子を主人公にしたお話です。

日本語版ムーミン・コミックスの表紙 (記事執筆者私物)

作者のトーベは、彫刻家の父と挿絵・切手作家の母という芸術に造詣が深い両親の元で育ち、美術教育を受けたのちに画家となりました。第二次世界大戦中は生活の糧として新聞の風刺漫画などを書いていましたが、戦後すぐに「ムーミントロール」の小説を発表。しばらくのちにロンドンの夕刊紙に漫画が連載されると、たちまちに人気が沸騰。漫画・戯曲・絵本など媒体も広がり、ムーミンはヨーロッパを飛び出します。その愛らしい存在は、世界中の人に愛されることとなりました。それは日本でも例外ではなく、日本国内で製作されたアニメーションはトーベ自身が監修しており、ムーミンの世界をよく表したものとなっています。現在でもその人気は衰えることなく、書籍やグッズ類などを気軽に手にすることができ、最近では埼玉県に「ムーミンバレーパーク」というテーマパークが作られ、多くのファンが訪れています。

ムーミンは、冒険家の父、しっかり者の母とともに、『ムーミン谷』の『とんがり屋根の二階建ての家』に住んでいます。スノークのお嬢さん・スナフキン・スニフ・ちびのミイたちといった友人と遊び、ときには生きていく上での哲学を交わします。
ムーミンたちの暮らしには常に自然が寄り添っています。洪水に家を追い出されたり、彗星がくると大騒ぎになったり、ムーミンパパが冒険心を抑え切らずに大海へと航海に乗り出したり。その背景には、ムーミンが生まれた土地、フィンランドが自然豊かな国であることが深く関係しています。

ムーミンが生まれたフィンランドってどんな国なんだろう

「世界一幸せな国」として知られているフィンランド。
外務省のHPによると、面積は33.8万平方キロメートルに対して人口が約553万人、人口密度が16.37人/㎢と世界から見てもとても低く、国土は深い森林に覆われ、約19万弱もの湖が存在します。フィンランドなどの北欧諸国では「自然享受権」というものがあり、国立公園や私有林であれ、人々は自由に森に入り、サウナを楽しんだあとは湖に飛び込んで外気浴をしたり、収穫シーズンにはベリーやきのこ狩りを楽しむことができます。
林業が盛んなことから主な産業は紙・パルプで、世界に先駆けてITの推進を始めていたことから情報通信も発達しています。
「世界一幸せな国」と評されている所以は、自然の営みを享受できることに加え、福祉や教育、社会保障などにおいて「誰であろうと格差なく平等に、質の高い権利やサービスを得ることができる」という政策や意識の一貫した姿勢があることが挙げられます。国が、国民の生活の土台をしっかりと建てることで、個々がそれぞれの幸せについて追求できているのではないでしょうか。

PHOTO:Inga Seliverstova  https://www.pexels.com/ja-jp/photo/3243242/
私はフィンランドに行ったことはありません。行ってみたい。

有田がある佐賀って、どんなところ?

佐賀県は日本の九州地方の北部にあり、県の総面積が2441㎢で日本全国で第42位とコンパクト。推定人口は2023年11月時点で80万人弱。人口密度は約327人/㎢と日本の中では第16位と高いのは、隣県の地方中枢都市である福岡市とほど近い、佐賀市や鳥栖市などの都市部に人口が集中しているからだと思われます。
主な産業は食料品や電子機器、機械の製造。
温暖で広大な平野が広がっていることもあり農業が盛んで、玄界灘や有明海といった海に接しており、水産物では海苔生産が全国第一位。東西に伸びる山、筑後川などの河川など自然がごく身近にありアクセスも容易です。佐賀の西から東まで高速道路を使えば2時間程度と、移動しやすいことも特徴となります。
佐賀の人を見ていると、生活や遊びの中に「自然の中で過ごす」という選択肢がごく当たり前のように入っているように感じられます。仕事が終わってそのまま夜釣りに行くとか、家庭菜園をして収穫物を交換したり、家の中に薪ストーブを作ったなどといった話をよく聞きます。

佐賀とフィンランド、それぞれの環境をざっくりと並べてみました。
そもそもの国土や成り立ちが異なっており、緯度経度も離れているので、環境といった面ではそれほど似ていませんが、人口が少なく自然豊かなところが共通しています。
次は視野を狭めて「有田町」を見てみましょう。

焼き物のまち、有田町

佐賀県の西部に位置する有田町は、東西を黒髪連山と国見連山に囲まれたまちです。面積は約65㎢で人口は約2万人、人口密度は307人/㎢。この町の大きな特色は、江戸時代に窯業が興ったことです。初めは脆弱だったそれは、朝鮮人陶工李参平氏の尽力により大きく花開くこととなりました。その繁栄の軌跡は、泉山陶石場の跡地や内山地区に連なる町屋から、現在でも窺うことができます。
また、自然の景観がほぼ手付かずのまま残っており、文化的景観と自然景観が調和した町並みも美しく、観光に訪れる人も後を絶ちません。

高台にある陶山神社から望む有田の古い町並み

ものづくりの町であることは、優れたデザインのものが多くあるフィンランドと共通しているかもしれません。フィンランドでも陶芸は盛んに行われており、「アラビア」「イッタラ」といった陶磁器メーカーが有名です。

「有田」をさらに細かく分け、有田の「もの」「こと」「ひと」「ばしょ」と、ひとつづつ見ていきましょう。

有田の「もの」

有田の「もの」といえばなんといっても「有田焼」。
有田焼は有田町周辺で作られている磁器ものを指し、江戸時代からおよそ400年の歴史があります。江戸時代には伊万里から海を渡りヨーロッパに輸出され、その美麗さと高い技術は驚きを持って迎えられ、賞賛を浴びたと言います。その、芸術とも言える技と精神性は現代の有田焼にも脈々と受け継がれています。

昔の有田焼の図案。ゆるいフォルムがムーミンに似ていなくもない。
撮影場所:佐賀県立九州陶磁文化館
縦のラインが印象的な昔の染付。この呉須の滲みを出すのが難しいのです。撮影場所:佐賀県立九州陶磁文化館

有田焼には染付(呉須だけで絵を描いたもの)、色絵(白磁や染付に赤絵や金彩を施したもの)などといった伝統的な有田焼のほか、それぞれの作り手によって工夫された新しいデザインのものもあります。

有田の春の陶器市で購入した、作家さんの器。(記事執筆者私物)
陶器市はコロナの間は中止・縮小開催をしていましたが、今年からまた通常開催されるようになりました。

有田焼を実際に使ってみると、400年の間、改良に改良を重ねてきたことによりよく手に馴染み、高温で焼いているため見た目の薄さに反して丈夫で、観賞用としても美しいですが実用も兼ね備えており、大事にしていると長く使うことができます。そういったさりげない技巧が詰まった「もの」を、有田では全て見ることが不可能なくらい、たくさん見て手に取ることができます。

焼き物という産業があることで、ものづくりの精神をもった人たちが有田には集まります。何気なくその辺の通りを歩いている人が、ものすごい技術をもった凄腕の職人やクリエイターだということが珍しくありません。
そういった人と気軽に立ち話できたりするのも、有田で暮らす魅力と言えるでしょう。

有田で起こる「こと」

ムーミンと佐賀・有田のことで頭がいっぱいの私の元に、ある日、耳寄りな情報が飛び込んできました。有田町で「佐賀×フィンランドのイベント」があるというのです。
まるで私のためにあるようなイベントです。
どうしてそういった催しが開かれることになったのか調べてみると、どうやら佐賀県は、東京オリンピックでフィンランドチームのホストタウンになったことから相互交流が始まり、佐賀からもフィンランドの先進的な各取組みを学ぶための「フィンランド使節団」を派遣するなど積極的に政策連携を目指しており、その一環として、今回は有田町でイベントをするということでした。
どんな連携をしているのか気になるので、そのイベントに行ってみることにします。


「フィンランドフェア in SAGA」は2023年12月2.3日に有田町の陶磁器卸団地「アリタセラ」と、「竜門キャンプ場」にて開催されました。
初日、開場と同時にメイン会場である「アリタセラ」に入ると、メイン通りには出店がずらりと立ち並び、すでにたくさんの人で賑わっています。
タイミングよくサブ会場へ向かうシャトルバスが来たのでそれに乗り込み、10分ほど揺られて「竜門キャンプ場」に到着しました。

これは…!だいぶムーミン谷っぽいです(イメージの)

サブ会場の「竜門キャンプ場」は黒髪山の登山道の入り口にあり、周りを森林に囲まれた閑静なキャンプ地となっています。近くを渓流が流れ、そのせせらぎが微かに聴こえてきます。

テントサウナ。薪ストーブを炊いたテントの中で体を充分に温めた後、そばの渓流に体を浸して体を冷やします。別団体が運営する竜門キャンプ場のテントサウナイベントは定期的に行われているそう。
ドリップ体験で淹れたフィンランドコーヒーと、ソーセージとホットワイン。これはかなりフィンラン度が高いです。
薪割り体験。フィンランドの山間部では冬の薪割りは重要な仕事。

またシャトルバスに乗って「アリタセラ」に戻り、出店などを覗いていると、「アンニーナの部屋」というブースを見つけました。

佐賀県の国際交流員として活動されているアンニーナさん

フィンランドから来日したアンニーナさんは、フィンランドと佐賀を繋ぐ「国際交流員」というお仕事をされているそうです。
「佐賀とフィンランドで、似ていると思うところはありますか?」と尋ねたところ、「自然が豊かで人が少なく、過ごしやすいところです」とのこと。
アンニーナさんは毎日の国際交流のお仕事の傍ら、週末はあちこちに足を伸ばすのが好きで、佐賀で一番のお気に入りの場所は、有田町のヌルヌル有田温泉だそうです。「サウナより好きかもしれません」と笑うアンニーナさん。
私も行ったことがありますが、有田温泉の泉質は超軟水で、お湯にとろみがあって柔らかく、肌にじんわりと優しい感じがしました。
「こちらで暮らしてみてどう感じてますか?」という質問には「日本に来てからは困ったことがなく、皆さん優しくて嬉しいです」と、同僚の方から借りた本を見せてくださいました。俳優の片桐はいりさんによる北欧についてのエッセイで、いつも持ち歩いているそうです。

「アンニーナの部屋」を離れ、引き続き他のブースを巡ります。
モルックコーナー、テキスタイルの展示、フィンランドの公式サンタとの写真撮影、「MaaS」という交通体系IT化の取り組みの紹介など内容も盛りだくさんで、だいぶフィンランドについて詳しくなることができました。私は時間の都合で見れませんでしたが、ライトアップで「アリタセラ」の空にオーロラも出現したそうです。
また佐賀のどこかで開催されるかもしれませんので、その際はぜひご来場をお勧めします。※公式インスタグラム

有田の「ひと」

有田には、ムーミンに出てくるような、ちょっと変わっていてとても愉快な人が潜んでいます。
その中で私にとって一番身近な人といえば、「有田のファーストペンギン」こと、NPO法人灯す屋代表・佐々木元康さんです。

教育について語っている佐々木さん

佐々木さんは有田町出身で、Uターンでこちらに戻ってきました。有田町地域おこし協力隊を経て「NPO法人灯す屋」を立ち上げ、地域活性のための様々な取り組みを意欲的に行なわれています。

私が「ムーミンの話をしていいですか?」と話の口火を切ると、「ムーミンってなんなのかよく知らないんだよなあ」とスマートフォンで検索し始めた佐々木さん。「あ、ムーミンのキャラクター診断がある」と、質問に回答し始めました。
待つこと5分、診断の結果は「ムーミンパパ」でした。
※ムーミンのお父さんであるムーミンパパは、海と自由を愛する冒険家。文章を綴ることが好きで、冷静さとユーモアがあり、ムーミン一家を導く頼りになる存在です。

「生きるだけではよくない。人のまわりには重要な意義深いことがたくさんある。それを体験し、それについて考え、自分のものにしなければならない。その中心には、自分がいる」

「ムーミンパパの思い出」第四章よりムーミンパパの言葉。 著:トーベ・ヤンソン

しばしの雑談ののち、「佐々木さんにとって幸せってどんなことですか?」と尋ねてみると、
「たくさん寝たり食べたりして、気持ちに余裕があることが幸せなのかもしれない。有田に来てからは、周りが楽しい人ばかりだから僕も楽しいです」
と明快なお返事。
私から見た佐々木さんの印象は、「いつもたくさんやりたいことがあって、楽しそうにしている人」なのですが、それは間違っていなかったようです。
※佐々木さんが代表を務める「NPO法人灯す屋」についてはこちら

有田の「ばしょ」

江戸期から昭和期にかけての建物が現存しており、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている内山地区。そのお隣の白川地区を歩いていると、皿山代官所跡の奥手の山の急な斜面に、鳥居が立っているのが小さく見えました。
なんだかとても気になり、そこへ続く石の階段を登ってみます。

階段は上へ上へと続いていく
お賽銭箱があるお社の奥に、まだ階段が。

後ほど調べたところによると、古来から窯があった場所には山の神や稲荷を、水辺には水神を祀るのが慣わしだったようです。元々は農耕や養蚕の神として祀っていたのが、工業ならびに商業の興りによって、その信仰の意味するところも増えていきました。
特に稲荷は現在確認できるだけでも相当数にのぼるようで、陶磁器で作られたお狐さんが祀られている、有田ならではの祠もあるようです。

階段の突き当たりにはお稲荷さまが祀られていました。地元の方によって綺麗に整えられています。

ようやく階段の突き当たりまで登り切り、後ろを振り返ると

うわーお

山の切れ目を見下ろすその視界は、登ってきた高さが一望できて怖いくらいです。
周りの山肌に木々の葉の擦れ合う音や鳥の声が反響して、別の世界に紛れ込んだような錯覚を覚えます。町中にこんなところがあるなんて思いもせず、しばしその光景を眺めていました。
ふと、谷の中に暮らすムーミンも、もしかしたらこういう風景を見ているのかもしれないと思いました。

振り返って

4つのポイントを軸に、ムーミンの視点からも「有田」を見てみると、いつもとは違った一面を垣間見ることができました。
ここには書ききれなかったことも含めて、有田にはまだまだ面白いことが眠っている予感が芽生えてきています。

ムーミン谷では、日々いろいろなことが起こります。
時には奇妙な隣人が突然ムーミンの家に大勢で押しかけたり、何者かになりたい若者がやってきて政治活動に付き合わされムーミンたちが辟易したりするけれど、それは「毎日つつがなく続いていく当たり前の暮らし」があってこそできることとも言えます。

自然がすぐそばにあること。面白い人がいて、その人に会いにまた面白い人がやってくること。
そして、楽しいことを探しながら、毎日真面目にこつこつと生きていくこと。
そういった毎日を繰り返すことが、「幸せな暮らし」と言えるのかもしれません。

さあ、あなたも佐賀でムーミンみたいな暮らしをしてみませんか。

参考文献
「ムーミン童話の百科事典」高橋静男・ムーミンゼミ・渡部翠 講談社
「ムーミンを生んだ芸術家 トーヴェ・ヤンソン」冨原眞弓 新潮社
「とっておきのフィンランド」クッカメリ ダイヤモンド社・ダイヤモンドビッグ社
「フィンランドはなぜ『世界一幸せな国』になったのか」岩竹美加子 幻冬舎新書
「ムーミンとトーベ・ヤンソン 自由を愛した芸術家、その仕事と人生」ボール・グラヴェット  日本語版監訳:森下圭子 訳:安江幸子 河出書房新社
「ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン」トゥーラ・カルヤライネン 訳:セルボ貴子・五十嵐敦 河出書房新社
「ムーミンコミックスシリーズ」トーベ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン 訳:冨原眞弓 筑摩書房
「フィンランドのおじさんになる方法。」森下圭子 武井義明 写真:松井康一郎 角川書店
「北欧の小さな大国 『スウェーデン』の魅力150」西田孝弘 雷鳥社
「佐賀のトリセツ 地図で読み解く初耳秘話」昭文社

文責・写真:高蔵陽子

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