出亜江ノイト

小説が、束の間の、でも生きていくために大事な何かを与えてくれる、夢のようなものなら、も…

出亜江ノイト

小説が、束の間の、でも生きていくために大事な何かを与えてくれる、夢のようなものなら、もしあなたといくばくかでもそれを共有できれば、とても嬉しいです。 平日の、夜が移り変わる明け方に、毎日、更新します。

最近の記事

現代日本霊異記 十二

水泳のメドレーリレーのように、目配せを受けた人が立ち上がって窓際に立つ。ガラス窓から外を見上げる。しばらくして、あきらめたように戻ってくる。次の人が立ち上がりまた同じように大きな窓から外を見る。ただメドレーリレーと違うのは、戻ってきても固い表情のまま、考えるようにイスに座って机の上を見ている。不安と動揺を隠す顔は、無表情だ。 窓から空に向かって首を捻り、弱々しそうに微笑むと何かの同意を求めて振り返る人もいた。今にも空からあり得ないものが降ってくることを予言するみたいだ。 ただ

    • 現代日本霊異記 十一

      「何が、あったんでしょう。」 雷男を覗き込む。壁に引っ付いて影になった横顔から、悲しそうないびきしか聞こえない。 「取っ組み合いでもして、負けたのかな。」 先輩がところどころ禿げた髪の毛を触ると、雷男は夢見の中で首を振る。 「そんな大胆な人がいるんでしょうか。」 うーんと言ったまま、また黙り込む。 僕たちの沈黙と雷男のか細いいびきの隙間に入り込むように、テレビからアナウンサーの小さな声が遠慮するように聞こえる。 午後11時のニュースだった。高そうなスーツを着たロマンスグレーの

      • 現代日本霊異記 十

        「そろそろ、連絡しようかと思ってたよ。」 そう言った先輩は、白いTシャツに黒い半パン、黒いサンダルで、水を被ったように頭から汗をかいていた。括った総髪の毛先も濡れて、シャツは肌に張り付いている。 「どうしたんですか。」 「雷男がね、いなくなった。」 いなくなったって、帰ったんですか。 先輩は首を横に振る。僕は、確かめる。 「例のバランスとかが治って、お空に帰っていったとか。」 「ないね。」 先輩はそう言うと、ドアの薄い合板を開ける。玄関から見える6畳の部屋の真ん中に太鼓が見え

        • 現代日本霊異記 九

          「朝早くから、悪いね。」 先輩は眠そうにあくびを1つすると、目をこする。 「ひと晩一緒にいると、それなりに話ができる様になってね。それで、この方が思い出したことがあるらしい。」 雷男は、なんども頷く。 「急いで伝えた方が、いいと思ってね。」 先輩は、天気の話でもするようにのんびり言った。僕は、周りを見る。フロアの真ん中に、僕らしかいない。 「どうやって入れたんです。入り口に守衛さんもいたでしょう。」 ビルの入り口の、帽子を被った人の良さそうな初老の守衛さんを思い出した。 「そ

        現代日本霊異記 十二

          現代日本霊異記 八

          「大いなる使命を帯びてやってきた、と思いたいね。」 先輩の言葉に、雷男は頷く。でもそれはそんな使命を与えてほしい、おぼつかない頷きだ。先輩は、優しく道を示すように言った。 「とはいえ、やることを忘れちゃったなら仕方がない。まずは、もとに帰って頂くしかないな。道を誤ったときは、まず戻ってそこから始めるものです。あなたは人ではないとは思うけど、そこは人と変わらないんじゃないかな。」 先輩にそう言われた雷男は、間違った道の分岐を探すようにふらふらと視線が泳ぐ。その目が部屋の隅に転が

          現代日本霊異記 八

          現代日本霊異記 七

          奥の畳部屋に敷かれた白い布団の上に、現代美術のオブジェのように、4本の足と4本の腕が絡み合っている。手と足の境目に、水色のブランケットがミルフィーユのように巻き付いて、鼓動のように蠢いていた。 窓からの光に影絵のように浮かび上がっている。僕は光に細めて目を凝らす。 ブランケットから出る手足の隙間から、肉付きのいい男性の白い背中が見える。その肩から背中に掛けて、女性の長い黒髪が汗に濡れて張り付いている。あみだくじのように髪の毛の元を辿っていく。白い背中の肩口に、こっちを向いた

          現代日本霊異記 七

          現代日本霊異記 六

          思い出せないことに、思い出す順番があるんだ。 凪の海に、来るべき波とまだ来るべきでない波があるように。 僕は感心しながら、でも、そんなことより、この周りの視線を何とかしたい。 「少し落ち着いたところに行かないかい。とにかく、聞きたいことがあるんだ。たぶん、たくさん。」 雷男は、僕の言う意味に初めて気付いたように、太い眉毛を下げて周りを見る。 さっきまでの怖い顔が、たちまち泣きだしそうな顔に見えた。 雷男の困った視線の先を見る。 指を口に当てた、白いブラウス姿の小学生だっ

          現代日本霊異記 六

          現代日本霊異記 五

          これは、雷神だ。 風神雷神の屏風絵。対になった風神の左側で、バチを持った手を踊るように振り上げて、体の周りの太鼓を鳴らそうとしているあれだ。 僕の驚きに同意するように口を開けて頷くと、雷男は、囲んだ人に向かって右手を突き出す。 初めて与えられたおもちゃで遊ぶ子供みたいに、無邪気だ。 雷男が動くと人混みが崩れる。でも磁場から離れられない砂鉄のように、また彼を中心に新たな人の輪が広がる。 僕は、固定されたように足が動かない。 腰が抜けて、膝に力が入らない。まるで生まれたばかりの子

          現代日本霊異記 五

          現代日本霊異記 四

           僕は注意深く意識を集中する(白い意識は、何も言わない。夢の中で意識を集中するなんてできるのかい、そんな皮肉もない。)  その夢は、見慣れたトランプの絵札ではなかった。  周りの景色が、映画館のスクリーンで、映画泥棒のあの追いかけっこのあとのように、ゆっくりと立ち上がる。  凪の海面にゆっくりと現れた鯨の背中のようだ。なめらかに盛り上がり、暗い海面をしずかに大きく波立たせる。    そこは、人混みの雑踏。  僕は、ぼんやり立っていた。  混み合う朝の電車のような人の多さ。  

          現代日本霊異記 四

          現代日本霊異記 三

           ベッドを仕切るカーテンから覗き込んだのは、長身の痩せた看護師の女性。僕の目線は、ツンと上を向いた鼻に二重の大きな黒い瞳にぶつかる。ナースキャップから短い黒髪が、半袖の白衣から白い腕が、見えた。すっとベッド脇に来る。改めて僕という存在を確認するように、目を覗き込む。  はいはい、ちゃんと起きて、存在していますよ、多分。  反応の鈍い僕に、彼女はポケットから体温計のセンサーを取り出して、僕の額に向ける。  うーん、やっぱり思い出せない。  本日、一度目の空振り。  僕は、いつも

          現代日本霊異記 三

          現代日本霊異記 二

           美人とは言えなくとも、明るく人つきあいの良い母には、人生のパートナーとして、他の選択肢もあったような気がするーもちろん、他の選択が選ばれていれば、もちろん僕はここにいないわけだがーが、父を放っておけなかったのだろうか。  父の司法試験浪人中、母が会計事務所のパートで生活を支えていたと聞いた(なんと、涙ぐましい美談。)。  結果、合格する直前に、僕が生まれたらしい。つまり、僕が生まれた年に、父は司法試験に合格しー何事にもギリギリセーフという生き残りのための優れた感覚だけは幾分

          現代日本霊異記 二

          現代日本霊異記 一

          1 雷男降臨  僕―軽部小平、カルベショウヘイ 「カルベ」、それにしても不思議な名字だーの父は、世の中がバブルに浮かれた時代にさえ縁のない弁護士だった。  父は、そのときの熱狂に気付いてなかっただけかもしれない。  父は、市民派弁護士と言われ、そう言われる弁護士さんがそうであるように(多分)、朝は僕が起きるより早く出かけ、夜は僕が深夜ラジオを布団の中で聞いているころ帰ってくる。  そんな父は、当然、夕食を家族と共にすることはめったになかった。  でも、振り返れば、世の中の親た

          現代日本霊異記 一

          『痛みと悼み』 あとがき

          最後に、お礼を述べたいと思います。 ・作家檀一雄氏とご家族 ・NHK ETV特集「“孤独死”を越えて」(初回放送日: 2021年6月19日) ・NHK ハートネットTV「“生きる”ことを教わった~ホームレス支援の若者たち~」(初回放送 2021年9月7日) あなたの誠実さが、どの宗教にも属さない私に、この物語を書く何かを与えて下さいました。 つらいこと、なっとくできないこと、いきにくいことのあるこの人生です。 今日一日をやり過ごす。 そのことに、この物語がほんの少しでも、何

          『痛みと悼み』 あとがき

          『痛みと悼み』 四十四

           死者には、何をしてあげることもできない。  生きている者の、偽りに満ちた身勝手な自己満足かも知れない。  でも、と初めて思う。  たとえ自己満足でも、それが偽りだとしても、死者は自分を弔うことができないように、弔いと悼みは、生きている者のためなのかもしれない。  そして、めぐむの仕事も、そんな弔いと悼みなのかも知れない。  生きている残された者の、死者への捧げ物と死者を死者として終わらせないためのもの。  めぐむの仕事の、ある種の意味は、めぐむ自身にも同じように意味のあるこ

          『痛みと悼み』 四十四

          『痛みと悼み』 四十三

           この苦しみを終わりにしたい。  母に先を越された今、めぐむの願いは叶えられない。  復讐。  知られないまま、完全に世の中から姿を消して、それを悟られないように一人暗い世界で暗く微笑む自分を夢見ていた。  もう叶えられない。  終わりにしたい。  のたうち回りながら白い腹を見せる何十ものヘビから、降り続く雨で薄く光る堤防に空ろな視線をやる。  誰もいない。  頭に過ぎる甘美な誘惑を感じる。  このまま川の流れに身を任せたら、あっという間に何もかも終わらせてくれる。  そのま

          『痛みと悼み』 四十三

          『痛みと悼み』 四十二

          木箱の中で動かないようにきっちりと中心に陶器の壺が入っている。ようやく暑さが緩み始めた夏とは別の冷たい死の世界。季節を無視する木箱の中立的な温度と手触りに、母の死との奇妙な違和感を感じて混乱する。 鶴見の警察署で、太田さんが、優しくめぐむに言う。 「埋葬許可証はここに入っているから、埋葬するときはこの書類を一緒に渡してね。」  大田さんが小さな封筒に入った薄い書類を骨壷と一緒に木箱に入れてくれる。要塞のような分厚いコンクリートの建物の中で渡された木箱を持って、警察署を出る。

          『痛みと悼み』 四十二