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【男の自画像-6】Jazzの聖地「BlueNote」

 エンパイヤステートビルの帰り道に、Jazzspotの「BlueNote」に寄ることにした。横浜支社のSさん、東京支社のKさん。そして、出たがり屋のHさんをさそった。Hさんによれば「あのね、俺が皆を連れて行ったの」と例の調子で豪語している。

 Hさんは、仕事はできる。僕とも気があう方だと思う。それだけに、いつも話し方で損をしているのが残念である。マァ、だれが連れていったのかはともかく、憧れの「BlueNote」でJazzを聞けたのはなにものにもかえがたい。

 Jazzに魅せられて10年。今日、こうしてNYの「BlueNote」にいることが信じられない。スィングジャーナルというJazzの専門誌の写真を見ながら憧れていた世界が今現実にここにある。

 僕がJazzに目覚めたのは、前職で出会ったYさんという先輩の影響だ。Yさんは、学生の時にビックバンド活動でテナーサキソフォーンをやっていたという。仕事もいろいろ教えてもらったが、Jazzの話になると熱を帯びてくる。
 お付き合い程度におすすめの曲があったら教えて下さいというと、翌日スタンリー・タレンタインというテナーサキソフォーン奏者のLPレコードを持ってきてくれた。

 そのアルバムは「ミスターT」、出だしからインパクトがある素晴らしい曲だった。好事家の僕は、このレコードを聴くためにオーディオにはまり、スピーカー自作やコーヒーの自家焙煎等にはまる。この独身時代は、小田急線の相武台前の安アパート暮らし。相武台前から少し歩くと米軍の座間キャンプがある。近所のお店には、米軍がたむろしている環境だ。まさにJazzを勉強するにはもってこいの環境であった。

 この頃Yさんの影響でアルトサキソフォーンを買った。もちろん中古である。相武台前駅の中古屋さんで5万円だったかな? アルトサキソフォーンなど吹いたこともないド素人だが何事も形から入る性格なので先ず買ってみた。

 ところが安アパートでは、アルトサキソフォーンを吹くわけにはいかない。やむなく夜な夜な米軍の座間キャンプ近くの公園に行って、プォ〜、プォ〜とやっていた。近所迷惑も甚だしいが若さを盾にして結構練習したものだ。しかし、今アルトサキソフォーンは、実家のクローゼットの中に鎮座している。

スタンリー・タレンタイン(Stanley Turrentine、1934年4月5日 - 2000年9月12日)は、アメリカ合衆国のテナー・サクソフーォン奏者「ミスターT」や「ザ・シュガー・マン」の愛称でも知られる。

 アメリカが生んだ偉大なる文化Jazz。憧れの「BlueNote」のお店で妙に興奮している。バドワイザー $4.50。チャージ $15。安い。日本のバーでは考えられない。いきがってカウンターに座って、バドワイザーを飲る。お店の中は暖かい。自分の顔がほてっているのがわかる。「シャネル」か何かわからないが、甘い香りが妙に興奮させる。隣にブロンド髪の女性がいる。身体が、知らない間にスゥイングしている。ここちよいスゥイングをしながら、ここにくるまでのハプニングを思い出していた。

 エンパイャーステートビルで夜景を楽しんだ後、イエローキャブに乗った。もちろん例の4人組で乗ったのは言うまでもない。Please go to blue note jazz bar
運転手は「 ?? 」

どうやら運転手は「BlueNote」を知らないらしい。困ったもんだ。

僕の英語が通じないなんて事は考えられない。

 「NYでBlueNoteを知らないなんて潜りの運転手じゃないか」なんていっているKさん。「住所は?、住所は?」と騒いでいるHさん。

 僕は、鞄の中をゴソゴソとガイドブックを捜し始めた。131 W 3rd St, New York.住所はわかった。これで一安心。運転手も、OK、OKの連発である。5分程、走る。車窓から「世界貿易センタービル」が遠くに見える。ガイドブックによると世界貿易センタービルの手前らしい。すると、この辺になるのだろうか。しかし、タクシーは止まらずにさらにスピードをあげる。しばらくすると左手に高速道路が見えた。高速道路の下は大きな河だ。Hさんが言う。「この河は、イースト河だね。」

 嫌な予感がした。さっき見たガイドブックには、「BlueNote」の近くはハドソン河があったようだった。ハドソン河とイースト河は、まったく逆の方向である。街並も倉庫街のような風景である。車が止まる。運転手も心配そうな顔である。

日本人の男4人で来るところではない街並だ。住所を、もう一度確認する。

 131 W 3rd St, New York.しかし、英語の発音が駄目らしく、良くわからないらしい。しかたがないからHさんが、手帳に書いた。日本人は、書くのは得意である。次の瞬間、運転手は目を丸くしていた。Oh my god!(なんてこったい!)助手席のHさんに、早口で言っている。「さっき、south(南) streetと言ったからここまで来たんだ。あなたが今、紙に書いたのは、3rd Stだ。」

 やれやれ、3番街の(サード)と、南(サウズ)の発音が悪く通じなかったらしい。Kさんも「アハハ・・・」と笑っている。僕もHさんも、そして、運転手も「アッハハ・・・」と笑い出した。

 Kさんが言った。「マァ、いいじゃないか。今回のコースにはなかった「ハドソン河の夜景」を我々は楽しめたんだ。得したもんさ。」そんなもんだろうか。僕は、「BlueNote」の開演時間が気になってしょうがなかった。憧れの「BlueNote」はどうなってしまったのだ。NYの初日からこのハプニングである。これからどうなることか。

 「BlueNote」の店の前は、待っている人でいっぱいだ。店の右側に列を作って並んでいる。意外と年輩の方が多いのに驚いた。やはり一流のお店故なのか。

 日本のJazz雑誌「スゥイング ジャーンナル」にでていた写真と同じだ。店の入り口の上には、白地にあざやかなブルーの文字の看板がある。当たり前であるがやっぱりうれしい。「あぁ、僕は、今BlueNoteに来ているんだ。」という実感がする。さて、どこに並べば良いのだろうか。感動ばかりしていてもお店には、入れない。とにかく人が並んでいる最後部に4人で並んだ。

 先にきて待っている人は、40人くらいだろうか。お店の大きさによっては入りきれないかも知れない。Kさんが心配そうに言う。「本当にここでいいのかな。」「俺が聞いてくるよ」こんな時には頼りになるHさん。お店の前の立っている店員に聞いてくるらしい。
 僕も興味本意で後ろにしたがった。相変わらずの和製英語での会話である。しかし、何とか意味はわかった。この列は、予約している人の列らしい。予約していないのなら、そちらのポールの所へ並べと言っているらしい。

 なるほど、ポールには、「non-reserved」と書いてある。Hさんが先に並ぶ。僕は、Kさん達を呼びに言った。Kさんの後ろにはもう、10人くらい並んでいた。4人で予約なしの列に並ぶ。ラッキーにも一番前である。予約者の列はすでに50人を越えているようである。本当にここに並んでいれば良いのだろうか。並んで待っていても席がない。なんてこともあるだろう。不安になってきた。

 その確認をするだけの度胸もなければ会話力もない。仕方がない。待つとしよう。しばらくすると、僕達の後ろにも数人が並んだ。日本人も何人か居る。

 身なりの良い40歳くらいの夫婦がそわそわしている。良く聞き取れないが並ぶのはここでよいのかが心配らしい。亭主らしい男と僕と目があった。自信はなかったが僕はゆっくりとうなずいた。男は、ニッコリと安心したようであった。良い事をした。僕もうれしくなった。もし、お店にはいれなかったら知らないふりをして帰ればいいさ。ここは、NY。気にする事はない。

 24、5歳の女の子がうろうろしている。どうやら自分のツアーとはぐれたらしい。髪の毛は長く、今、流行りの「ソパージュパーマ」をかけている。目もクリっとしていて大きい。ポッチャリ型か。すこし、「斎藤由貴」に似ているようでもある。可愛いがどちらかというと「少々足りなそう」にも見える。はぐれたのはこの辺らしい。僕達の前を3度、4度といったり来たりしている。

 困り果てているのだ。人差し指をかんでいる。彼女の顔は、あせりでいっぱいだ。どんなツアーで来たんだろう。一緒に探してあげようかな。困っているのだろうな、かわいそうだな。そんな助けべ心を出してニヤニヤしていると、後ろで大きな声がした。「ああ、いたいた。あそこの店の前にいるヨー」彼女は、聞き覚えのある声の方を向いた。次の瞬間、彼女は掛けだしていた。道路の向こうがわで、ツアーの仲間と抱き合っている彼女。うれしそうである。

 よかったよかった。「大島さん、さっきからなに、ニヤニヤしているの?」とKさんの声にハッとして我に戻った。「少々足りなそうな顔」をしていたのはどうやら僕らしい。

 かれこれすでに20分は待っている。風がでてきた。寒い。顔が痛くなってきた。夜になると摂氏マイナス6度ぐらいになると近畿日本ツーリストのMさんがいっていたのを思い出す。

 Hさんのタバコを持つ手が振るえている。人が動き出した。予約者の列がザワザワしはじめてきた。お店にはいり始めた。僕達は、入れるだろうか。もっとさっさと入ればいいのに。ペチャクチャと話しながらダラダラと歩いている。僕は、寒さと不安とでイライラしていた。

お店の中は相当広いらしい。50人ほどいた人達を全部のみこんだ。

「大丈夫かな。入れるかな。」みんなが口々に言う。人員整理していた店員は、先ほどから入ったきり出てこない。後から来た人が数人入っていく。「だめかなぁ」Hさんがこぼす。店員が出てきた。僕達に向かって言う。

「何人だ?」「4人」。親指を折って手をつきだした。「OK」。やった、やった。僕は、みんなの肩をたたきながら飛び跳ねてお店の中に入った。

 やっとの思いで入れたこのお店。待っている間は、本当に寒かった。こうして、暖かい店にいると忘れてしまう。いつか誰かが言っていたのを思い出した「人間の良いところは忘れる事ができることだ。」まったくその通りだと思う。カウンターで飲むシーバスリーガルも格別である。

 5曲目が終わった。そろそろ、午前1時00分。Hさんがあくびをしている。「そろそろ、帰ろうか」誰かが言った。僕は名残惜しい。「じゃあ、最後にもう一杯。」Kさんの顔が火照っていて赤い。Kさんも眠そうである。

 1分でも長くいようと、ちびちび飲んでいたウィスキーも残り少なくなった。しかたがない。一気に最後のウィスキーを飲み干し、店を出た。

 ウィスキーとJazzでほろ酔い気分。先ほどの、凍るような冷たい風が今は気持ちいい。店の前でHさん、Kさんとかわるがわる記念写真を撮った。写真を撮り終えるのを待っていたかのように、右手からイエローキャブがすべりこむ。

 みんなは、「やっと帰れる」といったような顔をして車に乗り込む。僕は、最後にもう一度お店を振り返って見た。「今度、女房を連れてきてやるか・・・・」

車が左に曲がってお店の看板が見えなくなるまでそんな事を考えていた。


がんになってから、「お布施をすると気持ちが変わる」ことに気がつきました。現在「認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえ」に毎月定額寄付をしています。いただいたサポートは、この寄付に充当させて頂きます。サポートよろしくお願い致します。