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父の死と飴ちゃんの神様

今日は珍しく風邪でダウンして床に伏せっているのですが、そういえば今日は父の命日だったな、とふと思い出しました。

2011年5月9日の朝、私は、がんセンターのホスピスの藤棚の下で父が死ぬのを待っていました。

とはいっても別に父が死ぬのを待ち望んでいたわけじゃなく、その数日前に病院側からいよいよです、と引導を渡され、家族交代で病院に泊まり込んでいたのです。

父の死に関してはとっくに覚悟はできていました。
人は全員死ぬものだし、人を見送る側のマナーとしては、泣かず騒がずなるべく本人が苦しまないようサポートするのが上々、と思っていた私は、父がガン告知を受けたその日に自動車教習所に申し込みに行ったくらいです。
(家には父以外のドライバーがおらず、今後は自宅と病院との車往復が予想されたため)

でもそのおかげで一生助手席人生だと思っていた私は、晴れて車を運転できるようになり、その後は旅先でもレンタカーでどこへなりと行ける人間になりました。お父さんありがとう。

話を戻して2011年5月9日の朝、私は満開の藤棚の下で父の死を待っていました。
むせ返るような藤の香りの中、そのうちにそういえば今日は友達の誕生日だったな、とふと思い出し、お祝いのLINEをしたら、

「ありがとー! 今何してる?」

まさか父が死ぬのを待っているんですとも言えず、当たり障りのない返事をして携帯を鞄にしまいました。
人ってしょせんひとりなんだな、と妙に寂しい気持ちになるのはこういう時です。
そのまましばらくその場でぼんやりしていると、ふと庭の向こうにしゃがみ込んでいる女性がいるのに気づきました。

歳の頃は70歳手前くらいでしょうか、パジャマ姿で喉に包帯を巻いた女性が、何かを探している様子です。

私は立ち上がって近づいていき、その女性に尋ねました。
「なにかお探しですか」
するとその女性が振り返り、私になにか答えるのですが、残念ながら手術で声帯をとったらしく、声がさっぱり聞き取れません。抗がん剤治療で毛が抜けたのでしょう、頭に毛糸の帽子をかぶったその女性は、それでもしきりに私に向かって何か懸命に言ってきます。

言葉によるコミュニケーションを諦めた私は代わりに「大阪のおばちゃん」戦法をとることにしました。すなわち鞄から飴を取り出し、その女性に差し出したのです。

「どうぞ」

すると彼女は不思議そうに私を眺めていましたが、やがてその飴を両手で受け取り、ありがたそうに捧げ持ちました。そして次の瞬間、私に向かってはっきり、手を合わせながらこう言ったのです。

「マリア様、ありがとうございます。マリア様からもらったこの飴、大切にいたします」

予想のはるか斜め上をいくその答えに私は思わず動揺し、慌ててその場を離れましたが、その後小一時間藤棚の下でなぜか泣きっぱなしでした。
決して彼女がかわいそうとか父の死の重みが急に襲ってきたとかそういうことではなく、その瞬間、私はその女性から何か、ありがたいものをもらった気がしたのです。

私は無宗教だし神様とかそういうのはあんまりよくわからないのですが、その彼女の中には確かに彼女の信じる神様を中心とした精神世界が広がっていて、その何かはとても芳醇な、無宗教の私にとっては本当にうらやましい、不安から遠くかけ離れた「安心立命」の世界だったのです。

信仰ってなんだろう。
救いってなんだろう。

あれ以来、毎年この日になるたびに私はあの日の彼女の言葉と静かな目を思い出します。

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