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ライブマナー私見「犬も歩けば棒にあたる」

 僕は音楽を聴くのが好きで、ライブにも行くことがある。と言っても、年に数回。でも、それを30年ぐらい続けているので、まあまあの回数行ったコトになる。

 僕はライブが好きだ。一度でも行った人はわかると思うけど、他では味わえない経験ができる。ミュージシャンの生演奏がいいのはもちろんだけど、そこに観客として居る自分や、他のお客さんの反応、会場の空気感、その全部がビタっとハマった時、信じられないような感動を味わえる。だからまた行きたくなる。

 僕が今でも理想としているライブがある。いや、「理想としているライブ空間」と言った方が正しい。
もう30 年ぐらい前、僕が20歳そこそこで、まだ独身だった頃、イギリスの伝説的なパンクバンド、セックス・ピストルズが再結成した。いわゆる「金のため」の再結成。なんでもいいよ、諦らめてたバンドが見れるんならと、僕は大喜びした。そしてそのツアーで日本にも来てくれた。僕は大阪会場のチケットを取った。

 一緒に行くはずだった親友が急遽仕事になり、僕はひとりで大阪行きの新幹線に乗った。新大阪駅から会場までどう行ったか覚えていないけど、なんとなく同じライブに行く人達と一緒に移動したように記憶してる。
 僕がその時に出会った大阪の人はみんな親切で、田舎からひとりで出できてピストルズのライブに行くって話したら、案内してくれたんだと思う。あの頃はスマホなんてなかったもんね。ありがとう大阪。

 会場に入ると、椅子がなかった。僕はそれまで指定席のライブしか経験がなかったけど、そのライブはオールスタンディングだった。でも、僕も若かったから、なんとも思わなかった。敢えて言うと、僕は背が低いから、「こりゃあ何にも見えないなあ」と思ったぐらいだった。

 ピストルズが出てきてライブが始まった。僕はフロントマンのジョン・ライドンをひと目見ようと、前のめりになった。他のお客さんも一斉に前に詰めた。隙間なく圧縮された人、人、人。それが音楽に合わせて縦に、横に、揺れていた。そのうちにだれかが僕の頭の上に乗っている事に気がついた。見ると、僕の上だけじゃなく、何人もの人が、人に登って人の頭の上を泳いでいた。
 僕のモッシュ、ダイブ、サーフの初体験だった。こんな世界があるんだとびっくりした。

 そのうち、こんなにギュウギュウなのに、すぐ隣にポッカリと空間が空いた。見ると、空間を保つように、それまで踊っていた人達が人間の壁を作っていた。
 空間の中には女性が倒れていた。助け起こされた女性はお礼を言っているようだった。そして、女性の「もう大丈夫!」という声と同時に、その空間はなくなり、元の密々としたモッシュピットに戻った。 
 そのうち、頭の上を靴が流れていった。誰かの脱げたものらしい。そして、靴が到着したところでは、また空間ができて、靴の主が履いているようだった。
 その後も誰かの落とし物が頭の上を流れて行き、人も流れて行き、何か起こるとパッと安全空間ができて、用が済むとまた閉じる、というのが終演まで続いた。
 会場のスタッフとか、ミュージシャンとか、主催者側からの指示は何もないのに、そこに居る観客のみんなが自然に判断して行動してた。誰も怪我をせず、物も無くならないオールスタンディングのライブ。

 僕は感動した。ピストルズの演奏は正直ほとんど覚えていない。僕の大好きなノーリップチャイルドはやっぱりやってくれなかったけど、そんなのどうでもよかった。

 「これがオールスタンディングのライブか、そして、これが正しいライブマナーなんだ。 これがライブの理想の空間、夢空間なんだ」と、若き田舎者は洗礼を受けたような気持ちで故郷に帰った。

 そっからの僕は少し変わった。普段は人嫌いで「閉じて」いる僕だけど、ライブに行く時だけは、「開いて」いるようになった。

 大好きなギタリストが投げたピックを運良く手にしたら、「残念、取れなかった」と泣いている女の子に渡してあげ、スタンディングでブチ上がってる最中に倒れた見ず知らずの女の子を介抱するために会場から連れ出してあげたり(対象が女の子ばかりなのは単なる偶然です、たぶんw)
 (あ、この時ね、結構前のいいポジションで観れてたのに、1回出たからもう一番後ろになっちゃうなーと思って会場に戻ったんだけど、みんなが僕のやった事を見ていて、僕を元の場所に戻してくれたんだよ!そうかー、あのライブハウスも夢空間だったなあ)
 そんでフェスの時はゴミ拾いをし、ぐったりしてる彼女を見ても何もしてあげない青年に自分の大切に取っておいた冷たい飲み物を渡したり(そう言えばあの青年、礼も言ってくれなかったなあーグチグチ)
 たぶん、大阪の夢空間に招かれたお返しに、夢空間をつくる側になりたくて、やってたんだと思う。

 ただね、さっきのフェスの若者の話しでも少し愚痴ったけど、いい思いばかりできたわけじゃないんだよね。
 「自分と同じ音楽が好きなんだから、思いも一緒、集まってるのはみんないい人達ばかり」と、思ってたし、思いたかったけど、実際は違った。こっちが好意的でも、それが嫌な人もいる。「ここではこうするのが常識」と思っても、それが通用しない人もいる。
 歳をとったせいもあると思うけど、ここ何年かは、「まあ、色んな人がいるよね」というスタンスに落ち着いていた。
 そしてコロナ禍になった。

 コロナ禍、僕は元々引きこもり体質なので、そんな辛くなかった。むしろ会社の飲み会ができなくなったのは万々歳だった。
 でも、ひとつ、ものすごく辛いことがあった。それはライブに行けなくなったこと。
 初めの頃はライブハウスが目の敵にされてた事もあったよね。あれ何だったのよ。
 とにかくあらゆるライブ、コンサートが中止になった。

 僕がすごく楽しみにしていたツアーも中止になった。ちょうどハマり出したバンドのボーカルの人がソロ活動をスタートさせて、そのデビューアルバムのツアーだった。チケットも取れていた。あと何日かで会えるのかと思っていたある日、中止の発表があった。もう覚悟はしていたけど、それでも落ち込んだ。車の中でひとり、そのアルバムをかけて、僕は泣いた。いい歳して恥ずかしいとは思ったけど、泣いた。自分も残念だったし、演者もさぞかし残念だろうと思って、やりきれなかった。 

 2年が経ち、どうにかライブができるようになった。色んな制約が課せられたけど、ライブができない状況よりは全然いいと思った。その制約されたライブに僕は行った。職場には黙って行った。何かあったらそれなりの処分を受ける覚悟で行った。
 久しぶりのライブ。マスクはしてるし、声は出せない。反応は拍手でしかできないけど、爆音に身体が反応して熱くなった。やっぱりいいなあー、声が出せなくても、こんなに楽しむことができるんだと、嬉しくなった。
 他の人達はどうなんだろうと、SNSを見てみた。
 そこでは意見が割れていた。

「ライブが続けられるようにルールを守ろう」という意見と、「ライブ会場ぐらい自由にさせろ」という意見が対立していた。
 僕はどちらかと言えば前者寄りの考え方で、みんなが安心して行ける方がいいと思っていた。でも、そうやってルールを守るように呼びかける人に対して、「文句があるやつは外に出ないで、おうち時間してろ」という書き込みがあった。
 悲しかった。感染症のせいでピリピリした世界になってしまった。音楽が好きな人のなかで分断ができてしまったと感じた。

 そして今年2023年。春ごろにライブでのマスク有り声出しが解禁された。その頃、僕の好きなバンドがホールツアーをやっていて、僕はライブに行くことができた。
 ライブが始まってすぐの僕は、声出しってどうだったのか忘れてる感じで、遠慮がちに小声で歌ってみたりと、変な感じだった。たぶん周りの人もそんな感じに思えた。でも、2曲目の頃にはもう思い出していた。演者のコールに答えるレスポンス!身体が覚えていた。
 あれっ?と思った。コロナ禍中に生み出された曲達はこのツアーで初めてレスポンスを受ける事になるのかと。そして僕が大好きな曲のイントロのハーモニカが始まった。その曲も掛け合いがある曲なんだけど、この2年間は観客は拍手だけで反応してた。今日は初めて声で反応できる。
「オーオー、イェイイェイイェーエエー♪」
文字に起こすとばかみたいだけど、これがかっこよくて、僕は泣いていた。
 歳を取ったことが影響しているのもあるのだろうけど、この日は泣けて仕方がなかった。声を出すことで感情が開放されるんだというのがよくわかった。で、ここまでがこの日のライブでの良い話し。
 ここからはそうではない事を書かないといけない。

 僕はこの日演奏してくれたバンドの「出現」以来のファンで、アルバムは全部持ってて、ほとんどのツアーに参加してる。そして、僕がレコードプレイヤーを購入したのも、このバンドのボーカリスとギタリストに影響されてのこと。
 このバンドはとても優しいバンドで、僕が知ってる限り地球で一番優しいバンドだと思う。何をやっても怒らないし、許してくれる。だからそれに甘えるファンがいる。この僕も含めて。
 ただ、そんな甘ったれの僕から見てもこのバンドは優しすぎる。だから、ライブが始まる前に前説の人が出てきて、注意事項を言ってくれる。ずっとこうだから当たり前に思っていたけど、たまに違うバンドのライブに行くと、「あ、ないんだ」と気付く。
 他のバンドのファンには言う必要がないことを、このバンドのファンには言わないといけない。そんな風にも受け取れる。
 でも、僕はこの前説が嫌なわけじゃない。むしろ盛り上がるから好きなんだけどね。

 そんなバンドのニューアルバムに、今までなかったようなタイプの曲が収録されていた。このバンドはだいたいの曲が「ジャーン!ドカーン!バーン!」で2〜3分くらいでおわっちゃうのが多いんだけど(笑)、その曲は違った。
 曲間のブレイクっていうのかな?無音になるところが多くて、とてもシュールな曲だった。これをライブでどうやるのかとても気になっていた。
 そして、その曲の順番になった(このバンドはアルバムの収録順に演奏していくので、とてもわかりやすい)。演奏前に、ステージ上でちょっとした動きがあった。いつも観客の方を向いて演奏してくれているこのバンドが、お互いに顔が見えるように内向きに配置を変えたんだ。
 あっ!と僕は思った。

 僕はこのバンドのリズム隊は世界でもトップクラスだと思っている。その理由を説明できるといいんだけど、音楽の理屈はさっぱりわからないので説明はできない。でも、色々聴いてきてそう感じてる。

 そのリズム隊でもアイコンタクトができるように配置を変えるってことは、ブレイクの無音を合わせるのは相当難しいことなんだと。 
 僕は緊張した。バンドの緊張が伝わったんだ。息ができない。こんな張り詰めた空気は感じた事がない。
 僕は思った「ああ、また新しいことをやってくれる、やろうとしてくれるんだなあ」と。

 ずっと聴いてる僕はあんまり意識しないけど、たまにテレビに出た時には「日本ロック界の生ける伝説」なんて紹介されるようなキャリアのあるバンドなんだ。そのバンドがまだ新しい引き出しを開けようとしてくれることに感動した。

 そして問題のブレイク、バンドは完璧に決めた。かっこいい!今まで僕が経験したことのない感覚!これはたまらないと思った。
 でも、ブレイクの無音な中に雑音が入ってきた。
 観客の笑い声。クスクス
 全員じゃないよ、ほんの数人
 ブレイクが繰り返される
 クスクスからゲラゲラ、もう可笑しいー、なんて声まで
 僕の後ろの辺の席からだった。
 確かにシュールな曲で、僕も最初レコードで聴いた時には、こうきたかーと、ニヤニヤしたのも事実。
 でも、今ライブでこんなにもカッコよく演奏してる。僕は心底痺れてるところだった。なぜ、それを笑うのか?
 声出しOKって言っても、これは違うだろ、演者の邪魔をするようなことは感染症対策に関係なくダメだろ。
 とても気になった。
 僕の耳はバンドの演奏よりも雑音の方をキャッチしだした。その曲が終わっても、そこに周波数が合ってしまって、戻らなくなってしまった。
 その人達は曲が終わるごとに話をしていた。世間話。そして曲が始まると奇声を発してボーカルの名前を叫んでいた。
 僕は聞きたくなかったが、僕の耳はライブとは関係ない世間話と奇声をキャッチし続けた。
 もうダメだった。僕は自分の集中力のなさにうんざりした。それと同時に雑音の発生源にどうしようもない怒りを感じた。どうして向こうは楽しそうにやりたい放題してて、僕は我慢しないといけないのか。
 おそらく振り返ると声が届くぐらいの距離だったと思う。むこうの雑談はずっと僕に届いていたから。
 何回か直接注意しようかと思った。でも、しなかった。僕の怒りはどんどん大きくなっていて、コントロールできる自信がなかった。
 僕が原因でこのライブをぶち壊すような事態にならないよう、僕は自分の怒りを抑えるのに必死だった。

 何曲か過ぎ、僕はバンドのフロントマンの優しいMCとバンドの最高の演奏に助けられた。ライブ終盤、大好きなナンバーの連発に僕の集中力は回復し、笑顔になる事ができた。やっぱりこのバンドはサイコーだなあと満足して帰宅した。

 帰宅してもライブの余韻で眠れなかった。僕はSNSでその日のライブを振り返ることにした。その日同じ会場に居たであろう人達の書き込みを見るのは楽しかった。
 その中に、苦情を書いている人がいた。あの、雑音についての事だった。僕は思い出した。そうか、僕だけじゃない、他の人も迷惑に感じてたんだと。
 とたんにあの怒りが戻ってきた。楽しかった余韻に浸っていた僕の頭の中は怒りでいっぱいになった。若い頃には経験があるけど、こんな年寄りになって、まだこんなに怒りの感情があるのかと、自分でも驚くぐらいだった。
 僕の怒りは溢れ出した。SNSに吐き出した。それだけでは収まらず、ライブ中のマナーが悪い人のことを検索して探し、それについてまた怒った。僕は怒りに乗っ取られた。それは何日も続いた。マナーの悪い客、楽曲の魅力がわからない客はライブに来るべきではないと憤っていた。

 何日か後、自分のプライベートな時間を怒る事に費やしているのに気付き、馬鹿らしくなった。自分は何をやっているのだろうと悲しくなった。

 僕がやろうとしていたことは分断だった。境い目がないところに線を引き、善と悪を作る。そして自分を絶対的な善にして、悪の方の人達を排除しようとしていた。
 そして、この分断こそ、僕が好きな「世界一優しいバンド」が一番悲しむ行為だということに気がついた。
 
 なんのことはない、僕がこのバンドのファンとして一番ふさわしくない人間だったんだと思った。
 僕はもうこのバンドのライブに行く資格がないのかもしれないと思った。
 でも、行きたい。
 でも、行けばまた同じ思いをするかもしれない。嫌な思いを。そしてまた怒りの感情が溢れ、自己嫌悪することになるかもしれない。
 どうすればいいか、悩んだ。

 悩んで、またそのバンドの曲を聴いた。

レインボーサンダー/ザ・クロマニヨンズ

レインボーサンダーというアルバムの中に、「人間ランド」という曲がある


人間ランド / 作詞・作曲 甲本ヒロト
「人間ランド 人間のくに
 人間ランド 人間の世界」
「涙飛散る 号泣ライド
 行列できる 悲劇のマシン」


テーマパークに行ったら、怖い乗り物とかお化け屋敷に喜んで並ぶだろ、実生活でも一緒だよ、いろんな経験していろんな感情を味わえるのが醍醐味だよ
と、ヒロトは言ってるんだと感じた。

 ライブも、行けば必ず楽しいもんじゃなくて、鬼が出るか蛇が出るかわからない、得体のしれないアトラクションだと思えばいいのかなあと思えた。

 それが嫌なら、それこそ「外に出ないで、おうち時間」してたらいい。
 幸い僕は今、自分の家で音楽を好きに聴ける環境にある。レコードもだいぶ集まってきて、おうち時間が楽しくて仕方がない。
 
 ただ、それでもやっぱりライブに行きたくなったら行ったらいいよね。
 それで、頭に来ることがあったら怒ったらいいし、楽しかったら笑って、感動したら泣いて、それが醍醐味。

 嫌な思いをしたくないから何にもしないのはもったいない。みんなそれぞれフリーパスを持ってるんだから。
 もちろん、木陰のベンチでゆっくりするのを選んでもいいよ、自由。でも、それが平穏なところとも限らないよ、毛虫が落ちてくるかもしれないし。

 だから、ライブに行く時は「犬も歩けば棒にあたる」の精神、これを心がけて行くことにするよ。外に出れば、いい事も、そうでない事もあるよね。
 ほんとは「虎穴に入らずんば虎子を得ず」がいいかなあと思ったんだけど、ちょっと力み過ぎ。もっとリラックスしたい。
 たかが、だからね。
 ライブのことじゃないよ、ライブはすごいこと。
 「たかが」は、僕の人生。たかが僕の人生ごとき、どうなったって最後は死ぬだけ。大した意味なんてないよ。だから、できるだけ肩の力を抜いて、なんでも楽しんで味わいたい。

 あ、そーいえば、アトラクションの悪役、ライブマナーの悪い人達ね、あれはどうするといいかなあ。
 実被害を受けなかったら楽しもう。フック船長の登場しないピーターパンなんてつまらないもんね。
 実被害を被ったらどうしよう。よし、今度はなんとか言ってやろうか。なんて言えばいいんだろう、できるだけバカな事を言って、可哀想な人だと同情されるようにしよう。そんで、周りの人も笑ってくれるといいなあ。うーん、これは相当難しいぞ、すぐには思いつかないなあ。
 僕はこんなことを考えてるよ。ホント、ばかだなあ。

 そんなバカな僕、「犬も歩けば棒にあたる」精神に則り、今からもライブに行っちゃいます。みなさんがもし、ライブに行って、泣いたり、笑ったり、怒ったりしているバカそうな男がいたら、そっと観察してみてください。それは僕かもしれません。
                おしまい


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