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新卒でクリエイターになれなかった男が、10年経って作っているクリエイティブの話(noteを始めるにあたって自己紹介)

皆さん、初めまして。
クリエイティブディレクターの黒江と申します。

今回、縁あって登壇などをさせていただく機会が増え、
言語化・アウトプットの場が大きく増えましたので、
コレを皮切りにnoteでも「何を考えているのか」を残していくことにしました。

手始めに、この黒江という男が、
どのような変遷を経て、今を生きているクリエイターなのか。
思い起こしつつ書き留めていこうと思います。

これは「新卒でクリエイターになれなかった男」の、
10年跨いだ今までの話です。
(写真は、居酒屋で書いてもらった似顔絵)

芸大を出たのに、量販店員!?
デザインを見直し、データに明け暮れた5年間

自分は大阪芸術大学の映像学科出身なのですが、
大学を出て就職を意識してみるも、目指していたアニメ業界は極度の薄給。
次点で考えていたゲーム業界も、2004年までの大きな業績不振から採用の門は狭くなっており、
とてもではないですが「次点で」なんて考えていた半端なポートフォリオで入っていける空気ではありませんでした。

開き直って視点を一新し、「伸びしろがある業界」「潰れない会社」という基準を徹底したとき、
入り込めたのが、大型量販店のヨドバシカメラでした。
学歴を棒に振った気持ちで飛び込んだ、この量販店という場所。
しかし、実はこの量販店こそ、
商業デザインの思想を培うには最高の場所で、

・視線コントロールの意義や、テキストの言葉尻による反応の違いを肌で感じられる
・空間デザインの検証結果を、膨大な母数のお客様で確認できる
・商材ごとのPOSデータや発注定番情報を、逐一追跡、管理できる
・何より、商業デザインの先で動くものは全て、
 「人と金の商流」なのだという実感が湧き、価値観にできる

という、社会人デザイナーのための経験値宝庫。

芸大で止まっていた「アーティスト」の思考を、
「社会人デザイナー」として叩き直してくれた、
まさに黒江のアイデンティティと言える場所になったのです。

夢中で売上データを漁り、毎晩棚の位置をいじりました。
夢中で商材トレンドを追い、POPを作りました。
そして5年目、自分にとってデザインは、
好きなものを描く”ことから
人を動かすためのもの”に変わっていきました。

データとデザインの融合を信じてくれたドリコム
エンジニアと言う職業との出会いが、
人生を変えてくれた

次に大きなターニングポイントとなったのは、
初めての転職先である「株式会社ドリコム」でした。
https://www.drecom.co.jp/

この会社の先ず凄いところは、他でもありません。
「社会人歴が量販店しかなかった」自分という人間を、
ポートフォリオと面談を経て「社員デザイナー」に採用してくれたことです。
普通なら、先ず考えません。
でも、ドリコムは雇ってくれました。

1. 数字が見れる
2. 描いた絵の結果を見てアクションができる
3. なら商業デザイナーとして機能できる

文字に書けば真っ当なロジックかもですが、20代も後半のデザイン未経験者を、そのロジックを信じて雇ってくれた恩は一生忘れません。

そして、そのドリコムで、自分は凄まじい人達に出会います。
それは、「エンジニア」という、スペシャリスト達です。

ドリコムで働いていたエンジニアは、
決して単なるツールを使った開発者ではありませんでした。

企画時に立てたサービスコンセプトを、
実装したい挙動や機能を、
デザインを組み込んで得られるUXを、
「設計者の意図をコミュニケーションで汲みながら」
「スケジュールに向かって昼夜問わず黙々と実装し」
「動き、触れるモノとして生み出していく」

しかも、
「実装後もお客様のリアクションを追い、作業評価とする」

彼らは量販店では決して出会うことのなかった、
まさに最強のシステムデザイナー集団でした。

苦労をかけて作ったシステムが、例え動いたとしても、
サービスや顧客にとって役に立たなければ、意味がなくなってしまう。
「機能するとは、狙った誰かの役に立つことだ」ということを、
彼らは背中で教えてくれました。

デザイン会社を経てたどり着いた広告業界
世界はデザインで出来ていて、デザインはコミュニケーションだと気づいたセプテーニ

ゲーム業界を経て、次に辿り着いたのは、
商材を問わず依頼を受けまくる、小規模デザイン会社でした。

10人~20人という規模で、営業をかけて仕事を探しながら、同時にどんどん納品物を仕上げていく…
開発でワンサービスに集中していた時には考えられなかった頻度で、自分の手によって生み出されたものが世に溢れていきました。
そして、そんな作品たちを見るたびに
「デザインはあらゆる世界を作り、人を動かしているのだ」と痛感しました。
工業デザインや、映像納品物の経験値を得られたのもこの時期からです。

人員配置や、採用、解雇なんて言う業務に触れたのもこの時期で、
小さな企業が稼いでいくためには、サービスそのものの質は勿論、
その信用に相応しい稼働を安定して実施してもらえるよう、
マネジメントでの布陣最適化が必須でした。

そんな中、
休業しなければならないメンバーのバトンタッチとして偶然入ったのが、
今の所属であり、当時の常駐先である「株式会社セプテーニ」だったのです。
https://www.septeni.co.jp/

広告業界は、とにかく衝撃でした。
データの分析は過去の職場でもやっていたのですが、
その並走本数が尋常じゃない。
しかも、当時はDR広告の拡大期でしたから、規格の更新や拡大は日進月歩。
その対応でデザインを描き下ろし、リサイズしていくのも、他の業界と段違いのスピードです。

目が回る、と同時に、興奮しました。
今まで触れたことのないほど大きなお客様(とそのサービス)が、あらゆる業種で動いていて、その配信データが毎日集まってくる。
今までの経験値がフルに回転する音が聞こえます(そして、空転する音もw)
そして、不思議と、それら無機質なデータたちが、
量販店時代のように、お客様の動きに変換されて目に映るような感覚を得られました。
更新頻度が凄まじいお客様のデータは、まさに生きた足跡でした。

お客様のライフスタイルを想像して、
情報に触れるタイミングを想起し、
メッセージを丁寧に作ると、
みるみるトライ&エラーの結果が見えてくる…!
常駐1年と経たずに転職を計画し、翌年、社員になりました。

トレンドと深層的な機能を追う日々
デザインとは、人間工学だ!

広告、特にWEB広告には、様々なデザイン面での分析要素が存在しています。
メッセージである訴求軸は勿論、それを伝えるデザイン軸も様々です。

コントラストとして効いては廃れる、トレンド的なものも追いかけつつ、
それでもやはり最後まで残るのは、
画面上のUIや、サービス利用時のUXを元に構築される、
「人としての物理特性や、感性に効く部分」。
つまり、「人間工学」の側面で機能したデザインだと気づきました。

メッセージを伝えるには
まずそれを発見してもらい、
メッセージを感受、理解してもらい、
そして、“メッセージを元に判断、行動”してもらわなければいけません。
手段としてビジュアルデザインを用いる以上、この人間工学的なプロセスは避けて通れないのです。

今、自分はこの観点を元に、
改めて各業種の広告アプローチを見直し、企画を立て、挑もうとしています。
また同時に、社内のクリエイター全てに向けて、この重要性を認知してもらうべく、微力ながら教壇にも立っています。

10年ちょっと前、新卒クリエイターになれなかった男は、
紆余曲折を経て、「デザイン×人間工学」の旗を振る、
セプテーニの中堅ディレクターになりました。

遠回りして得た、しかし大きく重いこの旗を背負って、
「人に伝わるデザイン」の道を、
一歩ずつ、前に切り拓いていければと思っています。

最後までお目通し頂き、ありがとうございました!

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