見出し画像

いわきに来て半年。振り返りとその先について。〜①福島で「ローカル」を学ぶということ。〜

みなさんお久しぶりです。およそ4ヶ月ぶりのnoteの更新となります。
「もしかして…死んだ…?」と思われている方もいるかもしれません。なんとかかろうじて生きております。ご心配おかけしてすみません。

超久しぶりに書くので、とりあえず簡単な近況報告からいければと…

現在、4月にいわきに来てからお世話になっているヘキレキ舎・小松理虔さんのお手伝いをちょっとずつ続けながら、主な活動拠点を小名浜から車で10分ほど離れた中之作という小さな漁港に移し、中之作プロジェクトというNPO法人で、広報などのお手伝いを新たにはじめました。

画像7

中之作港。昔ながらの漁村の風景が残る。

中之作プロジェクトは震災後、解体の危機に瀕した古民家を保護・再生し、港町の風景の保存活動を行うNPO法人。津波で被災した築200年超とも言われる古民家を修復し、集いの場として再生した清航館、急坂の上にあり15年間も放置されてしまっていた家屋を、海を望むカフェとして再生した月見亭と、これまでに2軒の空き家を再生し、小さな漁村である中之作地区に新たな人の流れを生み出してきた実績のあるNPOです。

そんなNPOでお手伝いをさせていただきながら、新たに地区内にある空き物件をシェアハウスとして再生するプロジェクトを手掛けることとなりました。(詳細は追って書こうと思います。)

超ざっくりいうと、「メディア」から「場づくり」へとフィールドを移すことになりました。元々興味があったことでもあり、かなりワクワクしております。

***

そんな感じで簡単な近況報告を終わらせ、ここからは半年間のことをより深く回顧して、自分の中での整理を進めたいと思います。


そもそも、なぜ「ローカル」に身を置くことになったのか。

なぜ僕は「ローカル」の現場に身を置くことになったのか。決して「ローカル」に限った話ではないけれども、自分の関心領域に深く関われば関わるほど、「あれ、俺って今なんでこんなことしてるんだっけ?」と、たまに、いや、しょっちゅう思うことがある。

今年の4月から福島県いわき市に引越し、地域活動家の小松理虔さんのもとで半年間アシスタントを務めた。

(今見ると「青い」記事だな…)

このお仕事をするようになったのは、言わずもがな「ローカル」に興味があったからだ。ではなぜ「ローカル」に興味を持つようになったのか。

それは自分の出自からだろう。僕は長野県にある小さな農村集落に生まれた。

周りに田んぼと山しかないというような環境で20年弱過ごした。年々子供は減っていくし、小さい頃あった近所の商店はいつの間にかなくなってしまった。幾度となく葬式に参列したことがあるが、いまだに結婚式には一度も呼ばれたことがない。(もしかして、友達がいないだけ…?)

こんな目に見えて右肩下がりの地域で、これまでの人生の80%を過ごしてきている。小さい頃から「俺の地元はこの後どうなっていくんだろう?」とずっと考えていた。

画像1

そして、その漠然とした地元の将来に対する不安は、大学進学で上京するとさらに強くなった。外に出たからこそ可視化された、地域格差が生まれる構造、そして、それに無自覚に加担してしまう都市生活者の圧倒的な存在を目の当たりにし、自らのアイデンティティーが脅かされているような不安を感じた。

この危機感、不安があるからこそ、僕は「ローカル」に興味を持ちはじめ、積極的に関わっていくようになっていった。


いわきに来て初めて体感したローカルの「多様性」と「よそ者」の感覚。

そんな思いを抱えつつ、新卒で入った会社を一年で辞めるという波乱もありながら、僕はいわきに流れ着いた。理虔さんのアシスタントとなり、「ローカル」での身のこなし方を学ぶ、という目的のためだ。

よく「なんでまたいわきに?」と聞かれることがあるが、率直に言っていわきという土地を選ぶ理由は全くなかった。ただただ純粋に理虔さんがアシスタントを募集していたタイミングで、僕もまた仕事を探していたという偶然により、いわきに来た。

画像8

僕としては前述したような過疎地域で生まれ育ち、いわゆる「田舎っぽい」ようないろんな出来事とともに生きてきたので、「まぁだいたいどんな土地でも生きていけるだろう」「どこでも同じだよ」くらいに考えていた。車も運転できるし。

でも、いわきに来てその目算が誤っていたことに気づいた。

まず、山の民と海の民がこんなに違うとは思わなかった。プライベートなことは余り表に出さず、保守的な性格の人が多い地元・長野県の人たちに比べ、いわきの人たちはめちゃくちゃオープンで闊達な人が多い。山の民らしく(?)、わりとガッチリプライベートなエリアを設けがちな僕にとって、いわきの人のオープンさはかなり衝撃的だった。

もうひとつは、「街」に対する考え方がかなり違うなと感じた。松本城をはじめとして、古くからの文化財や街並みを保存する動きが活発な僕の地元に比べて、いわきは、スクラップアンドビルドの繰り返しでできている街だという印象を受けた。小名浜のイオン、工業地帯、鹿島街道のロードサイド店舗、市内に数あるニュータウンがその象徴として現れている。コンパクトシティや歩ける街並みの実現が叫ばれる昨今だが、いわきはまだまだ開発意欲が旺盛な街のように感じる。

画像3

そんなふうに、地元と比べたとき、いわきはあらゆるものが対照的に見えてくる。東京から特急で2時間半、高速バスで3時間という距離感はほとんど変わらないのに、ハードもソフトもこんなに性格が違ってくるものなんだと驚いた。「ローカル」のひとことで片付けられそうな各地域も、詳しく見ていくと極めて多様な地域性があることを身に染みて感じた。

そして、これだけ性格が異なるいわきで、初めて体験することになったのが「よそ者」の感覚だった。僕にとっていわきは、初めての地元以外の「地方」での暮らしとなった。東京などの大都市のように、さまざまな地域からたくさんの人が集まるような場所では決してない。

そんな土地に一人でやってくるというのは、想像以上に孤独なものだった。もちろん、いわきの人たちはそのオープンさもあって、とても暖かく、面倒見がいい人たちが多い。すでにいろんな場面で大変お世話になっている。ただ、それだけ歓迎されていることがわかっていても、やはりこの孤独感はなかなか抜けるものではないのだ。

これは別にいわきでなくても、どんな土地でも同じだと思う。知り合いが全くいない場所で生きていくのが、これだけ孤独であるということは、いわきに来るまでわかり得なかった。この経験はきっと将来僕が地元に帰り、移住者を迎える立場になった時に、大きく役立つ経験になるはずだ。


「被災地」に片足を突っ込むということ。

そして、いわきに来てたびたび話題に上がるのが、「震災」の話だ。

僕も当時の様子をテレビやインターネット越しに目撃していたし、震災が社会に与えた影響が計り知れないことはわかっていた。当然、いわきに来ればあらゆる場面で震災の話題に直面するだろうと予想していた。

ただ、現地に来てみると想像以上に今でも震災が話題になる頻度が高いと感じた。震災そのものの爪痕もさることながら、その後の国策による復興やマスメディアでの報道が、福島を必要以上に「被災地」にしてしまっているようにも思える。

画像4

震災後かさ上げされた防潮堤。海の姿は全く見えない。

正直言うと、震災の話題が上がれば上がるほど、当事者性が薄い僕にとって、この地域のことは語りにくくなってしまう。純粋にこの地域を楽しみたいと思っても、「震災」の存在をそこに垣間見てしまうことで、途端に楽しむことが難しいように感じられてしまう。

では、当事者ではない僕が震災の話題をひたすらに避けて、この地域の「いいところ」だけを発見・発信していけばいいかというと、決してそんな簡単な話ではないだろう。それは結果的にこの地域が抱える課題を当事者に押し付けることになってしまう。このことは理虔さんの本に書いてある通りだと思う。

この半年の間に何度か東京の友人をいわきに迎え入れた。当然だが、いわきに来れば震災の影響を感じる場所が多々あり、目に入らないことはない。その場を訪れるとみな重い口を開くようにして震災のことを語り出す。「自分が語っていいんだろうか?」というためらいを感じながら、である。

ただ、この状況こそが望ましいのだと、僕は思う。この経験を少しずつ広めていくことで、より多くの人に震災の経験が共有され、「被災地」は「被災地」だけのものではなくなっていくのではないか。ためらいを感じながらも片足を突っ込んでみる。そこにはもしかしたら大きな地雷が落ちているかもしれない。でも、幸いなことに「部外者」であるからこそ、その地雷を踏んでも死ぬことはない。だからこそ、より多くの部外者に片足を突っ込んでもらう必要がある。

画像5

薄磯海岸。福島の海。

そのためには、僕自身も部外者として、震災についてもっと語っていかなければならない。部外者でありながらも、いわきに半年間は住んでいるという中間的な立ち位置は、「被災地」としてのいわきを開くのにはうってつけではないかという気がしている。そして、きっとそれが「よそ者」としての僕の役目なんだろう。


もっとローカルの「暮らし」に目を向ける。

コロナ禍にいわきに来て感じたことがもう一つ。それは、ローカルを「訪れる場所」として見るより、「暮らしが営まれる場所」として見る必要性が高まったのではないかということだ。

コロナ禍であらゆる場面でリモートの可能性が拡大したことにより、相対的に「移動」の重要性が低下した。どこかを訪れて余暇を楽しむことよりも、今いる場所でいかに生活を楽しむかが重要になった。だからこそ、今後ローカルはもっと「暮らし」へと目を向けて、その居心地を良くしていく必要があるのではないかと考えている。

画像7

いわき駅前、平の街並み。

今、僕たちが住んでいる街の居心地はどうだろう? あまりゴミゴミせず、それでいて適度に人の営みが感じられるような場所だろうか? 近くにいざという時に頼りになる隣人はいるだろうか? 生活に必要なものはその街で揃うだろうか? 近場にリラックスできるような自然環境はあるだろうか? そして、何よりも一番大切なのは、その街に住むことに誇りを持てるだろうか?

僕たちが生きていく上で抱えるリスクはもはやコロナだけではない。震災以降毎年のように全国各地で自然災害が起きるし、政治情勢も経済状況も極めて不安定なものになってしまった。まさに、「ワイルドサイド」な世界を、僕たちは生きていかなければならない。僕たちの「暮らし」はそんな世界にも対応できるものだろうか?

画像8

震災、そして原発事故という想像もできないような大きなリスクを体験したこの福島、いわきだからこそ、あらゆるリスクの中でも力強く、柔軟に生きていけるような、そんな「暮らし」を実践できるのではないかと、最近は考えている。僕が新たに拠点を移した中之作地区ではこれからそういうことをやっていくつもりだ。乞うご期待! なんて大きな声で言うつもりはないけれど、今後も気にかけていただければ幸いです。

ここから先は

0字

¥ 300

サポートが文章を紡ぐなによりの励みになります…!