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週真ん中の独り言②

走り梅雨が晴れてだんだん熱くなってきた今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。

僕はここのところしばらく谷の時期を迎えていました。相変わらず自分のメンタルを一定に保つのがヘタクソです。

しっかり休息を取るのか、あるいはそんな中でも手を動かし続けて効率が悪くとも何かを完成させるのか、いろいろ解決方法はあるでしょうが、どうもどっちつかずでウジウジしてしまっております。

そんな中でいろいろ考えたことを少し書きます。


ローカルのジェンダーバランスと、自分の女性性について

「これが100%女性の目線を代表するものだよ」とは思わないが、この記事に引用されている数字は、地方における女性の息苦しさを如実に表したものだと思う。

都市部に比べると、地方部はどうしても性差が如実に表れてしまう。
僕は、この事象は一定程度仕方がないものだと思っている。

つまり、地方部に行けば行くほど、産業構成が低次偏重になり(サービス業よりも鉱工業、そして農林水産業の割合が多くなる)、そして、低次の産業は重労働が多いため、どうしても性別による分業をせざるを得ない場面が多々ある。

もちろん、現代の一次・二次産業は高度に機械化されているので、以前よりも体力差を理由にした性別による分業の必要性は薄れてきているのかもしれない。ただ、だからと言って、伝統的に男女で別れてきた仕事を均質化するにはそれ相応の時間を要することは想像に難くない。人間がそう容易に思考を変化させることができないのは、自分自身を見つめ直すことでよくわかる。

(こういったジェンダーバランスの話をすると、男社会が絶対悪とされることが多いが、僕は決してそうではないと思う。僕の親を例に出すと、母はヒステリック気味に父に家事の手伝いをするよう迫っていたが、当の自分は土仕事や、車・家のメンテナンス、信州の冬に不可欠な灯油の管理など、いわゆる"家の外の仕事"となるとほとんど父に任せきりだった。)

こうした構造を無視して、それこそヒステリック気味に「田舎は男尊女卑の社会だ!」と叫んでも虚しく響くだけだ。問題提起にはなるが、実効性はない。

***

一方で、「地方で生きる女は我慢しっぱなしかよ」という風になってしまうのは、男性である僕でも腑に落ちない。

どんな場所にうまれ、生きようとも、個人が個人としてその人らしくある社会を、少なくとも僕は目指している。

僕自身、農家の長男として田舎に生まれ、ある種の「男らしさ」を常に求められてきた経験がある。

小さい頃から小心者だった僕は「女々しい」なんていう言葉で性格を表現されたりすることもあった。

今でも、そんな「男らしさコンプレックス」があり、男性ばかりが集まっている場よりも、女性ばかりの場に交じっている方が呼吸がしやすい。

きっとこういう息苦しさを、地方に生きる女性も感じているのだろうと想像することができる。

だから、自分を救うという意味も含めて、こうした課題は常に考え、解決していきたい。

(今のところ、この文章に綴れるようなアイディアはないのですが、なんか思うところがあればぜひコメントをください)


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