週真ん中の独り言①
せっかくローカルでいろいろやってるので、そこで経験したことを残し外に公開しないともったいないよなと思い、だいたい週の真ん中らへんで日々思うことを綴っていけたら…というシリーズ、今回から始めます。
コロナけっこうやばそう。しかし生きていく外ない。
毎日コロナの話で持ち切り。実際僕もこうやってコロナに言及している。というか、せざるを得ないのだろう。今の世界はコロナ抜きでは語れない世界だ。僕は東京都などに初めて緊急事態宣言が出された今月7日に長野県からここ、いわき市に来た。
だから、いわきの普段の姿がどういうものなのかは今でもわからない。だけど、いわきに来た日からでもどんどんと街の様子が変わっていくのが目に見える。
僕が滞在させてもらっている旅館がある湯本では、休日の夜でも開いている飲食店はほぼなくなってしまった。何より、僕がいる旅館も今週1週間は休館し、来週以降も平日の宿泊者は受け入れないとのことだ。
9年前の震災を乗り越え、ようやく勢いづいてきたいわきの街はこのコロナ禍にも耐えきれるだろうか。僕が訪れる前の姿は見れるのだろうか。
そんな街の姿を案じながらも、なんとなくこの時期に僕がいわきに来たのも何かしらの必然性があったのかなとも感じる。
僕は先月まで銀行員であったわけだし、なによりてきぱきと物事をこなすのが本気で苦手だ。コミュニケーションも決してうまくできないし、はっきり言ってメディアっぽいことをやる人間としてはかなり不適合な方だと思う。
ここ数日は「僕はそういうコンプレックスを乗り越えるためにこの仕事をやりたいのかもしれない」と思うようになった。そして、そういう困難とも言えるような自分の状況を少しずつ消化していくには、通常期の仕事の量ではとても追いつけず、今の混乱期中の仕事のスピード感がちょうどよかったのかもしれない。
多くの人が混乱している中で、ものすごく身勝手な発想だが、そうやって一つ一つ消化しているのが今の僕の状況だ。
小名浜の"オープンさ"に驚く毎日
僕は長野県のとある農村から港町であるいわき・小名浜に来た。「大体ローカルというのはクローズなコミュニティに支配されていて外からの人間には厳しいんじゃないか」という先入観をもって小名浜に来ると、その先入観を180度ひっくり返される。つまり、小名浜の人は僕のようなよそ者でも、あたたかく受け入れてくれる。
住む家を探していると言えば話を聞いてくれるし、インタビューをしたいと言えば応えてくれる。よそ者には相当に厳しかった(と思ってるだけかもしれないが)僕の地元の姿を重ね合わせると、日本の"地方"は実はいろんな姿があるんだなと実感する。
小名浜の人たちのマインドはもしかしたら"港町"だからなのかもしれない、と考えることがある。つまり、港町ということは主幹産業は漁業だったはずだ。漁業には私有財産権という概念はほとんど存在しなかったのではないか。なぜなら、海は共有地だから。そういう意味で、だれがどこで何をしようと、獲れたか獲れなかったかの結果が何よりも重要で、自らの権利など主張する暇もなかったということ。
それに比べて、僕の地元は土地の広さがすなわちその人の豊かさ、つまり、田んぼが広ければ広いほど稲がたくさんとれる状況だった。こうした状況かなら、もちろんどれだけ広い土地を確保できるかがキーになるし、一度確保した土地は絶対に守り抜きたいものとなるはずだ。そういう意味で、農村のような場所は土地を奪われないように他者を締め出し、どんどんとクローズになっていくのではないだろうか。
僕は小名浜で人々のオープンさに触れ、徐々に自らの閉じた心を開きつつある。
天気悪い
ここからは愚痴。
中々天気よくならない。晴れてほしい。コロナでアレなのにますます心がふさぐ。
酒の飲みすぎよくない
風呂上がりに絶対飲みたいんだけど、いや、飲むんだけど翌朝の目覚めがめちゃ悪くなるね。まぁ今日も飲んじゃったんだけど…
以上!とにかくメンタルを健康に保ってゆるくがんばるぞ~
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