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初めてのロッコクツアー①~いわき市南部編~

いわきに来てから初めての週末。

いわき・常磐地域についてほとんど知識を持たないまま身一つで来てしまったので、文字通り右も左もわからない…

「とりあえずざっくりと地域を知ろう」ということで、師事している小松理虔さんが『新復興論』の中で提案されている「ロッコクツアー」を催行しました。

だいたいのルートはこんな感じ。
まずは滞在先のいわき湯本温泉から車で"ロッコク"こと国道6号線を南下し、勿来を目指しました。


湯本~勿来 ー勿来発電所の威容を横目に南下ー

湯本を出発し、まずは県道66号線を南下。住吉交差点から国道6号線に入ります。国道6号線は鉄道の常磐線に沿って東京の日本橋から水戸市、いわき市などを通過し、福島県の浜通りを北上。仙台市で奥州街道・国道4号線と合流する路線です。

いわき市内の国道6号線は多くの区間で片側2車線以上となっており、高速道路並みの高規格となっています。

湯本から出発して15分ほど経つと、左手に小名浜の工業地帯が見えてきます。ここには化学工場や石炭の積み替え場があり、重厚長大産業の一大集積地となっています。

このあたりから石炭を積んだトラックが多く見かけられるようになります。そのトラックと並走しながらさらに南下。

しばらくすると、左手・海側に巨大な煙突が見えてきました。これが、常磐共同火力勿来発電所。もともといわき市内の常磐炭田で採掘された低品位炭を利活用するために、東京電力と東北電力の共同出資で作られた火力発電所だそう。

先ほど目撃した石炭を積んだトラックは、吸い込まれるように国道6号線からこの勿来火力発電所に入っていきます。ここで生まれた電力は福島県含む東北だけでなく、東京など関東各地にも送られます。

国道6号線をさらに南下すると、植田駅を過ぎたあたりで片側2車線の区間が終わり、対面通行の区間へ。同時に海岸にぐっと近づき、海と並走するようになります。しばらくすると茨城県との県境が近づいていることを示唆する看板も。そして勿来地域に入っていきます。


目の前に広がる、ただただ静かな海

県境ギリギリのところまで行くと、国道を外れてすぐのところにこぢんまりとした海水浴場がありました。風はありましたが、波は静かで穏やか。浜辺を歩くおじいさんや小さい子どもを連れた親子の姿がありました。

この辺りの海というと、どうしても9年前の津波のことを思い浮かべてしまいます。が、どうやら普段の姿からはそんなことを思い出すことすら難しい、というくらいに穏やか。

遠方の水平線上を滑るように大型タンカーが進んでいきます。

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そして海に向かって左手奥に見えるのが、先ほど通り過ぎた勿来火力発電所。

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数キロ離れたこの海水浴場からもその存在感が薄れることはありません。先ほど浜辺を歩いていたおじさんが波打ち際の岩場に登り、勿来発電所の方にカメラを向けていました。

海風に吹かれていよいよ寒くなってきたところで、車に戻り勿来の関跡へと向かいます。


「来る勿れ(くるなかれ)」と呼ばれた関東と東北の「潮目」

勿来(なこそ)という名前は、その昔、大和朝廷が蝦夷の流入を防止する関を設置した際、蝦夷に対して「来る勿れ(来るな)」というメッセージを込めて関を名付けたのがルーツだそう。

古代からこの地は大和と蝦夷の潮目であり、現在においても関東と東北の境になっています。

勿来の関跡は海水浴場から5分ほど車を走らせた山の稜線上にありました。

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散り始めでしたが、桜が綺麗に咲いていて、花見の家族連れの姿もちらほら。

勿来の関は古くから旅情や恋情を掻き立てる場として多くの歌に詠まれてきました。その歌々が銘じられた石碑が、勿来の関跡にはたくさん立てられています。(撮るの忘れた)

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関跡がある尾根のピークにたどり着くと新緑の峰の間から先ほど見た太平洋がその姿を覗かせていました。
こうしたのどかな情景からは、とてもここが大和と蝦夷の係争地であったなどとは想像できません。

近くにあった茶屋で甘酒を買ってから山を下り、再び植田方面、勿来発電所のふもとまで車を進めました。


「エネルギーの供給地」の一翼を担う勿来火力発電所

山から降りると今度は現在の国道6号線からは少し外れ、6号線の旧道とおぼしき県道56号線を北上し、植田駅前の市街地に向かいます。

しばらく車を進めると、よくある「旧道沿いの市街地」といった風景になり、その間から勿来発電所の姿が再び大きく見えてきます。

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スーパーの看板と並び、目に入ってくるのは発電所の煙突。
この地域では発電所のある風景は文字通り生活に溶け込んでいます。

そしてさらに車を進め、勿来発電所の"ふもと"へとやってきました。

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見上げるような高さの煙突。東京タワーでもスカイツリーでもありませんが、もしかしたらここで作られた電気は彼らのイルミネーションのあかりになっているのかも知れません。

勿来発電所は1957年の1・2号機の運転開始以来、設備の更新を重ね、現在は7・8・9・10号機の4機で運転しています。

その中でも10号機は震災後の2013年から商用運転を開始した、IGCCという石炭ガス化技術採用の発電設備。

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通常石炭は石油やガスに比べCO2の排出量が多い燃料ですが、この技術を採用することでその排出を削減できるとか。

常磐炭田という、国内でも有数の旧産炭地の、石炭への"こだわり"、そしてその裏返しの"依存"という関係が垣間見えたような気がしました。

勿来発電所を離れ、今度は荷下ろしをしたトラックと一緒に小名浜へと車を進めました。


勿来〜小名浜-重工業地帯を通り抜け漁港へ-

勿来発電所からは国道6号線を一本海側に外れた、県道239号線を北東の方向に進みました。

岬状の地形を通り抜け平坦な土地に出ると、石油の貯蓄タンクが見え始め小名浜の工場地帯が始まります。

化学工場や石炭の保管集積所が立ち並び、街の大きさとは明らかにスケール違いの風景が続きます。
ここで生まれたものはこの場で消費されるのではなく、ほとんどが大都市・東京へと供給されます。
東京まで200km・2時間半という距離がありながらも、そこには切っても切り離せない関係があります。

工業地帯を抜けると、左手には2017年にできたばかりのイオンモール、右手には水族館のアクアマリンふくしま。こちらもかなり大きい。

そして、海沿いには都市公園・アクアマリンパークと観光物産センター・ら・ら・ミュウが続きます。
いわきに来て初の週末ランチはら・ら・ミュウの中のウロコジュウさんでいただきました。

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海鮮丼。いいだろ。

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そしてメヒカリの天ぷら。これがめちゃくちゃうまかった。フワフワの身とちょうどいい塩気が口の中に広がり幸福度MAX。

(ちなみに地元の人はら・ら・ミュウ内の店舗ではなく、少し山側にある本店に行くそう)


お腹が満たされたところで今日のロッコクツアーは終了。いい日でした。


圧倒的な海の恵みと、垣間見えた外部との微妙な関係性

いわきは間違いなく海に恵まれた土地だった。海から獲れる魚はうまいし、海があるから燃料を輸入して発電所を回せる。
それがすなわち、この土地の豊かさだろう。

ただ、その豊かさを「取引」する外部との関係性は非常に微妙なものであるとも感じた。

発電所は誰かに押し付けられたものではなく、地元の積極的な誘致もあり、建設されたものらしい。炭坑や海の豊かさを外部にも分け与える気前があった、と言えるのかもしれない。

一方で、巨大な発電所や工業地帯の存在は慣れていなければ「異様」とも取れるものだった。
そうした風景が生まれた時から当たり前だった地元の人たちは、この場所をどう思っているのだろう。余計なお世話かもしれないが、そんな関心が生まれた。

この土地で生きることと、僕が地元で生きること、誰かが東京で生きることとはどう違うのだろうか。

いろんな疑問を抱えながらこの土地で"いろいろやっていき"たいと思った。

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