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いわきに来て半年。振り返りとその先について。②〜「ローカル」を学ぶはずが、「福祉」と出会う。〜

前回に引き続いていわきに来て半年の事を振り返ります。今回はこの半年で最も大きな出会いとも言える「福祉」との出会いについて。


いわきに来て2日目。「ババアの園」へ。

いわきに来て2日目、僕は大勢の高齢女性を目の前に、ただただ立ち尽くしていた。

その日の前日、すなわちいわきに来て1日目の朝、僕は理虔さんから現在進行しているプロジェクトについて説明を受けた。芸術や文化に関するメディアの運営、福島の海や水産に関する企画や広報のお仕事など、実に多様なプロジェクトが進んでいるようだ。そして、その中には「福祉」の項目もあった。しかも「福祉」の項目だけでもいくつもプロジェクトがあるみたいだ。正直言ってほとんど事前知識を身に付けずにいわきに来た僕にとって、その「福祉」の二文字はまさか自分がその分野で仕事をすると思っていなかったし、異質なジャンルにも思えた。「どんな仕事があるんだ…?」と不思議に思っていたところ、早速その翌日に「いごく」という福祉のウェブメディアの取材があるので、「北二区集会所」というところに来て欲しいと言われた。「集会所…? どんな取材なんだろう…?」と半信半疑ながらも、言われた通り2日目の朝、僕はその「北二区集会所」へと車を走らせた。

そこで目にしたのが、冒頭の大勢の高齢女性の姿、それは言うなれば、「ババアの園」だった。

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この北二区集会所では、その昔、ここが石炭の採掘場だった頃にできた「一山一家」のコミュニティが現在でも存在し、地区のお母さんたちが一堂に会する「つどいの場」が月に一度、必ず開かれている。そこでみんなが顔を合わせ食卓を共にすることで、心と体の健康を保ち、お互いの安否を確認する。(残念ながらあまりポジティブな文脈ではないが)最近よく耳にするようになった、共助の仕組みがここでは見事に機能しているのだ。

そんな北二区をずっとフォローし続け、その素晴らしさと面白さを伝え続けてきたのがいわき市地域包括ケア推進課が運営するウェブメディア「igoku」。この北二区以外にもいわきの福祉の現場を常に追い続け、「福祉」をあくまでも面白く、楽しく伝えてきたメディアだ。

ウェブマガジン「igoku」は、
いわき市地域包括ケア推進課がお送りする
いわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン。
 
誰もが慣れ親しんだ土地で“最期まで”暮らせる地域をつくるため、
人と人、人と地域、地域と地域の間を「いごく」人、
様々な領域を横断、包括する「いごく」取り組みを
日々脱線しながら、死をタブー視せずに伝えています。

-いわきの「いごき」を伝えるウェブマガジン「いごく」

このigokuはいわき市地域包括ケア推進課が主体となり、デザイナーやライター、ビデオグラファーなど、いわきのクリエイターの方々の手によって運営されている。ウェブマガジンとフリーペーパー「紙のigoku」を中心に、「認知症開放宣言」や「igoku Fes」など、福祉のタブーを打ち破る尖った企画を連発してきた。

ババアの園」との衝撃の出会いの後、僕も理虔さんのアシスタントとして、この「igoku」の取材の場に立ち合わせてもらったり、記事を書かせていただいた。

いわきに来た当初はまさか地域のお年寄りたちと一緒に体操したり、バスに乗ったりするなんて思いもしなかった。だけど、この経験を通して、いつしか自分が「福祉」に対して持っていた、重くて深刻で、できれば遠ざけたくなるようなイメージが、いつしか「そこにあって当たり前のもの」に変わっていった。なぜなら、取材を受けてくれるじいちゃんばあちゃんは、みんな当たり前にそこにいる一人の人間だから。別に「福祉サービス」を受けているからと言って必ずしも弱っているとか危機的な状況にあるとかではないのだ。

igokuに関わらせてもらうことで、今ままで通りであれば関わることがなかったであろう福祉の分野で、思いもよらぬ発見や出会いの機会が得られたのは、僕の中で貴重な財産になったと思う。


「障害」とはなにか。レッツとの出会い。

もう一つ、福祉の分野で貴重な体験となったのが、浜松で障害者福祉施設の運営などを行うNPO法人、「クリエイティブサポート レッツ」との出会いだ。ただし、「出会い」と言ったものの、僕が実際に浜松まで足を運んでその活動を見学したり取材を行ったりしたわけではない。

僕がレッツに関わったのは、理虔さんが行ったインタビューを書き起こす、という極めて限定された形の中でだった。だからレッツという組織の中にどんな人がいて、どんな活動を行っているのか、詳しいことは正直あまりわかっていない。けれども、そのインタビューで語られる言葉の一つ一つが、僕の「福祉」に対するイメージを180°(あるいはそれ以上)覆し、僕の頭の中で渦巻いている思考や価値観にビリビリと強烈に響いていった。

まだ世に出ていない本の内容に関わるので、インタビューの詳細についてはここでは書かないが、レッツでは障害を持っている利用者と支援する立場の職員の方々の境界線が非常に曖昧であるように感じた。僕がイメージしていた障害者福祉施設は、支援を「施す」側と「受ける」側がいわば学校の「先生」と「生徒」のように対の立場となり、そこで行われるのはあくまでお金を払った対価として施される「サービス」である、というようなものだった。しかし、インタビューの音声を聞いている限り、そのようなサービスの授受の別は感じられず、利用者も職員も文字通り「ただ、そこにいる」ように思えた。

考えてみれば、それはごくごく普通のことなんじゃないか。生まれた時に「障害者」として生まれてくる人間は一人としていない。にも関わらず、僕たちは成長の過程でそういった人たちをいつの間にか差別化し、「自分とは異なるもの」として扱うようになってしまう。しかし、よくよく考えてみるとその「異なる」という判別はどういった基準のもとで行われるのだろうか? もちろん、福祉の制度の中に医学的根拠に基づいた「障害者等級」は存在する。けれども、それならば「障害者等級」を有していない人は「障害」を持っていないのだろうか? 持病がある人は? 目が悪い人は? 物覚えが悪い人は? 背が低い人は? 足が遅い人は? 歯並びが悪い人は? よくよく考えてみると自分も生きていく上でなんらかの「障害」にぶち当たったことがあるような気がしてくる。そして、その「障害」の度合いというのはどこかのポイントで線引きされるようなものではなく、グラデーションのように様々な様相を呈しているものだという事実に思い当たる。

レッツとの出会いは、上記のように極めて限定的な関わりかたであったのにも関わらず、「障害」というテーマを飛び越えて、僕のあらゆる物事に対する思考を、いわば「ふやかして」くれるような体験だった。


考えてみれば「ローカル」には「福祉」の話題がたくさんある。

繰り返しになるけれども、いわきに来るまで僕が福祉に関わるなんてことは全く予想だにもしていなかった。いわきには「ローカル」を学ぶつもりでやってきた。

でも、ちょっと考えてみる。なぜ僕の「ローカル」からは「福祉」が抜け落ちていたんだろうか? 「移住」とか「ワーケーション」とか「関係人口」といったなんとなくきらびやかなワードで語られることの多い「ローカル」だけれども、そこに「福祉」の姿を見ることはあまりなかったように思える。でも、「ローカル」の場において、「福祉」の存在を目の当たりにしないことの方がむしろ珍しいんじゃないだろうか?

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言うまでもなく日本は超高齢化社会であり、特に地方部ではその傾向が顕著だ。高齢化に伴って限界集落が生まれたり、福祉施設の空き待ちなんていう状況も多発している。東京などの都市部で一人暮らしや核家族での暮らしをしている限り、なかなか出くわすことのない福祉の現場が、地方にはたくさんある。

それにも関わらず、今までの「ローカル」の文脈では「福祉」を考える機会はそんなに多くなかった気がする。「地方創生」の御名のもと、経済の活性化や人口の回復ばかりに気を取られて、そこでの人々の生や死、老いといった営みから目を背けてはいなかっただろうか?


取っつきづらいことをあえて語るということ。

僕はいわきに来て、「ローカル」にあるのは数あるきらびやかなワードではなく、ただ、そこにある暮らし、つまり、生や死、老いの営みだということに気づかせてもらった。その場には良いものもあれば、反対に課題や困難も当然のように存在する。考えてみれば極めて当たり前のことだ。けれどもいつの間にか「ローカル」の文脈は聞こえのいいものばかりを扱ってはいなかっただろうか?

少し話は変わるけれど、Twitterで地方移住の話がトレンドに上がったりすると、「地方最高派」と「地方やめとけ派」に意見がきれいに二つに割れるのをよく見る。「最高派」の意見は「東京のような人混みがない」「自然がたくさんある」といった、いわば「ローカル」の文脈でよく目にする意見だ。一方、「やめとけ派」の意見は「しがらみが多い」「価値観が合わない」「人付き合いなど面倒なことがたくさんある」という意見が目につく。地方に生きている身からすると、「やめとけ派」の意見はあまりにも悪いイメージが先行しすぎているような気もする。しかし、だからこそ、こちらの意見にもよく耳を傾け、いいところも悪いところもひっくるめた地方での暮らしを伝えて行く必要があるんじゃないだろうか。あまりにもいいように「ローカル」を伝えてしまうことが、かえってその裏にある課題を見えづらくし、地方に対する疑心暗鬼を生んでしまっているような気がしてしまうのだ。

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取っつきづらいかもしれない、でも、だからこそあえて語る。もしかするとローカルや福祉といったエリアだけの話ではないのかもしれない。福島であれば原発や震災といった体験がそうだろうし、鬱やひきこもりといった個人的な困難もそうだろう。取っつきづらいからといって放置して無理やりいいところばかり伝えていると、課題が見えづらくなるばかりか、伝えようとしている魅力もなんだか嘘っぽく聞こえてしまう。

取っつきづらい事を語るには勇気がいる。僕も震災や原発事故の事を語るにはかなり勇気が必要だった。他人が抱える課題や困難に分け入ることなんて到底できないと思ってしまう。自分が抱える困難に目を向けることさえつらいことだ。

だからこそ、どうやったら取っつきづらい事を語れるようになるか、考えていきたい。しかも、僕一人で考えるのではなく、なるべく多くの人を巻き込みながら。僕にとっては超苦手な事なんだけれども。少数の大きな勇気に希望を託すのではなく、みんなで語れる環境を作っていきたい。なんかいい方法があるといいすね…できるだけみんなで一緒に考えていきましょう。みなさんの意見もぜひ聞かせてください。みんなでちょっとずつやっていきましょう。

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